第70話:神、秘書の「事務(デバッグ)」に震える
床に叩きつけられたヘルガは、即座に跳ね起きると、
狂気じみた笑みを浮かべて全身の筋肉を膨張させた。
その巨躯から放たれる威圧感は、並の魔族ならば
心臓を止めるほどの重圧だが、ルナリエは
乱れた髪一筋すら気に留めず、淡々と構えた。
「ははは! いいぞ、その技! 面白い!
この鋼の筋肉を翻弄するとは、貴様、ただの
女官ではないな。よし、もし私に勝てたなら、
去勢だろうが魔力封印だろうが、貴様らの
言うことを何でも聞いてやる! かかってこい!」
ヘルガの宣言を聞き、ルナリエはバインダーを
スッと背後の空間に収納すると、眼鏡の位置を
人差し指で静かに押し上げた。
「承知しました。合意形成、完了。これより
対象の戦闘データを強制的に書き換えます。
無駄な筋肉を削ぎ落としてあげましょう」
次の瞬間、ヘルガの巨体が視界から消えた。
音速を超えた突撃。だが、ルナリエは
最小限の足運びだけで、その暴風を紙一重で
かわしていく。まるで流れる水のように、
ヘルガの豪腕を流し、関節の隙間を的確に突く。
手刀が風を切り、ヘルガの巨体を翻弄する。
打撃、投げ、締め。そのすべてが、
物理演算の極致と言えるほど正確で、冷酷だ。
筋肉の鎧が、秘書の指先一つで、
木の葉のように舞い、床に叩きつけられていく。
その一方的な蹂躙を、安全圏から
見守っていた吾輩とヴィータ、そしてセレスは、
いつの間にか肩を寄せ合い、ガクガクと
膝を震わせながらその光景を注視していた。
「……おい、ヴィータ。ルナリエには、絶対に
逆らうのはやめておこう。
あの技のキレ、もはや管理者である吾輩の
想定を遥かに超えている。怒らせたら死ぬぞ」
「う、うん。アスタロ、ボクも同感だよ。
あんなムキムキの女傑を、指先だけで
子供扱いするなんて。ボク、明日からは
ルナリエさんの言うこと、全部聞くことにするよ」
セレスも、手に持ったお菓子を落とし、
引き攣った笑みを浮かべて大きく頷いた。
勇者カイルにいたっては、自分たちの出番が
一ミリもないことに、もはや安堵さえ覚えている。
吾輩は神である。
今日からはこの世界のルールであり、
最強の四天王を事務的な動作で制圧する秘書の、
底知れぬ「真の実力」に戦慄しつつ、
彼女への給与アップを真剣に検討する創造主である。




