第66話:神、獣人の「忘却」を施す
大祝宴の熱気も冷めやらぬ翌朝、吾輩たちは最後の
四天王が潜むという魔族領の最奥、漆黒の荒野へと
出発することにした。そこは普通に歩けば半年は
かかる、険しき死の土地である。
吾輩が懐から絨毯を取り出すと、獣王と民は
広場を埋め尽くし、神への惜しみない歓声を上げた。
「アスタロ様! 我らの救世主、偉大なる創造主よ!
貴方様がもたらしたこの緑と命、永遠に守り抜く
ことを誓います! どうか、道中ご無事で!」
王の叫びに、数万の民が拳を突き上げ、空が震える
ほどの声援が絨毯に降り注ぐ。カイルは誇らしげに、
セレスは名残惜しそうに手を振り返した。
吾輩は全員を絨毯に乗せて宙に浮かび上がらせると、
眼下の民を見据え、無造作に指先を鳴らした。
パチン、という乾いた音が鳴り響いた瞬間。
黄金の波紋が都全体を覆い尽くし、熱狂していた
獣人たちの目が、一瞬だけ虚ろに曇った。
彼らは首を傾げ、先ほどまでの熱い歓声を忘れ、
何事もなかったかのように日常の作業へと戻っていく。
「アスタロ様、何をしたのですか。
彼らのここ数日間の記憶ログを消去しましたね。
なぜそんな真似を。感謝の念は、管理データに
とっても有益なエネルギーだったはずですが」
ルナリエが眼鏡を光らせ、理解に苦しむという顔で
問い詰めてきた。吾輩は、小さくなっていく
豊かな森を眼下に見下ろし、静かに答えた。
「神の奇跡など、一度体験すれば毒になる。
困った時に天を仰ぐだけの種族に、未来はない。
自分たちの力で森を耕し、自分たちの足で歩く。
その矜持を守るためには、神という異物は
ただの良い夢として消え去るのが正解だ」
吾輩の言葉に、ルナリエはしばらく黙考した後、
ふっと口元を和ませてバインダーを閉じた。
セレスは不思議そうに首を傾げ、ヴィータは
神様らしいねと、珍しく感心したように頷いた。
「さあ、感傷は終わりだ。最後のデバッグに向かう。
魔族領の女傑、果たしてどんなバグを見せてくれるか。
ルナリエ、座標固定。全力で発進せよ!」
絨毯は空を切り裂き、漆黒の雲が渦巻く北の果て、
魔族たちの本拠地へと向かって猛烈に加速した。
そこには、生命神が最も信頼するという、
救いようのない期待を背負った最後の敵が待っている。
吾輩は神である。
今日からはこの世界のルールであり、
愛する民から感謝の記憶を奪うという、
残酷で優しい忘却のパッチを当てて去りゆく、
最高に不器用な創造主である。




