第62話:神、四十二年の「静寂」を上書きする
一行の避難が完了し、獣人の国は静止した絵画のように
生命の気配が根こそぎ消え失せた。吾輩はただ独り、
大森林の中心に立ち、天を仰いで両腕を広げた。
管理者の正装たる黄金の衣が、神力の奔流に吹かれ、
物理法則を無視した輝きを放ちながら激しく翻る。
「全知全能の回路、最終接続を確認。これより、
獣人の国全域に対し、時間加速パッチを適用する。
四十二年と七ヶ月の停滞を、今ここで一気に
未来へと投げ飛ばし、理を正常化せよ!」
吾輩の声が言霊となり、空を黄金の法陣が覆い尽くした。
次の瞬間、世界の色彩が反転し、猛烈な勢いで
空の色が朝から晩へと幾千回も明滅を繰り返す。
数十年分の太陽と月の運行が、一秒の間に凝縮され、
獣人の国は加速の檻の中に閉じ込められた。
眼下では、泥に濁っていた川の水が、数十年分の
自浄作用を経て、みるみるうちに澄み渡っていく。
大地を縛っていたガウルの残留魔力も、計算通り、
時の奔流に押し流されて完全に分解され、消滅した。
だが、吾輩の全知に映る光景は、予想通りであった。
「フン。やはりか。残留魔力が消え去ってもなお、
大地は死んだように沈黙したままだな。
一向に草木が芽吹く気配がない。
時を進めるだけでは、この不毛の理は
根本的には解決せぬということだ」
吾輩の全知には、加速する時間の摩擦熱が、
耐え難い負荷となって襲いかかる。だが、
汚染が消えても「芽吹かない」という不自然な停滞は、
管理者の予測を裏付ける最悪の実証となった。
「アスタロ様、四十二年と七ヶ月の上書き完了。
残留魔力の消滅を百パーセント確認しました。
しかし、生態系の復元率はゼロです。
大地が成長を拒絶している。時間加速のみでは、
この停止した理を動かすことは不可能です!」
ルナリエの冷徹な報告が、加速する世界に響く。
吾輩は右手を一気に握り締め、虚空に浮かぶ
黄金の法陣を粉々に砕き散らした。
直後、狂った世界は急停止し、そこには
汚染こそ消えたが、一草一木も生えぬ静寂が残された。
吾輩は神である。
そして、今日からはこの世界のルールであり、
四十二年の歳月を捧げて汚染を消し去ってもなお、
一筋の希望すら芽生えぬ大地の絶望的な停滞に、
次なる理外のデバッグを確信する創造主である。




