第8話 玄関前で膝を突く聖騎士団長
「オルソン様……そこにいらっしゃるのは分かっているのです」
薄いドアが一枚挟まった玄関先から、悲壮感の漂う声が響く。ドアスコープを覗くと、銀閃の甲冑を纏ったカレンが床に両膝を突き、深々と頭を下げていた。廊下の蛍光灯に照らされた彼女の美しい金髪は乱れ、心身ともに追い詰められていることがひと目で伝わってくる。
「前回は私の直感でここに行き着きましたが、今回は違います。我が聖騎士団の捜索網を舐めないでいただきたい。王都の全不動産契約書を洗い直し、怪しい隠居口座の動きを照合すれば、再度このアパートに行き着くのは雑作もないことでした。これでもあなたはオルソン様でないと白を切り通しますか!?」
優秀すぎる部下を持ったことを、オルソンは心から後悔した。隠密技術を駆使して足取りを消したつもりだったが、行政手続きの痕跡までは消しきれなかったらしい。こんなところで発揮される真面目さと有能さが恐ろしい。
「オルソン様、どうかドアを開けてください。あなたが消えてからというもの、ギルドも騎士団も大混乱です。復興事業の予算決定、新人の教育方針、貴族との交渉……全てが滞っております。あなたが陣頭指揮を執らなければ、王都の秩序は崩壊寸前なのです!」
必死の説得が続く。だが、オルソンとしても今さらあの胃が痛む怒涛の日々に戻る気はさらさらなかった。
「……人違いだ。俺はただのしがない無職だ。オルソンなら先月、迷宮の奥底で華々しく戦死しただろ。新聞の訃報欄にもそう書いてあったはずだ」
オルソンは喉を押し潰したような掠れ声を作り、ドア越しに応じた。
「そのだらしない声のトーン、嘘をつく時に爪を噛む癖……誤魔化せません! あなたが戻ってくださらなければ、私は騎士団長の職を辞してでもここに座り込みます!」
ドアの向こうで甲冑がガチャリと重い音を立て、彼女が本格的に腰を据える気配がした。
「それに、あなたが毎朝買いに行っている近所のパン屋の焼き立てクロワッサンも、私が全額買い占めました。ドアを開けない限り、今後の朝食はすべて干し肉と固パンになります!」
最後の最後で突きつけられた、あまりにも実害の大きすぎる脅迫である。カレンはオルソンのささやかな贅沢のパターンまで完全に把握していた。
オルソンは深く頭を抱えて万年床へ倒れ込んだ。天井のシミを眺めながら絶望的な溜息を漏らす。せっかく手に入れた平穏な引きこもり生活に、とてつもなく巨大な暗雲が立ち込め始めている。
「頼むから誰か……俺の代わりに王都を救ってくれ……」
部屋の隅に転がるインスタント麺の空き箱を見つめながら、元最強の英雄は情けなく呟くことしかできなかった。




