第21話 隣人が作った手料理の味
夜、壁の向こうから香ばしい匂いが漂ってきた。香辛料と肉が焦げる、食欲を激しくそそる香りだ。静まり返った四畳半の部屋で古本をめくっていたオルソンは、思わず鼻を鳴らした。
トントン、とベランダの薄い仕切り版が遠慮がちに叩かれた。
「おい、オルソン。起きているか」
隣の202号室に住むヴァルバトスだった。
「なんだ、髭のおっさん。いい匂いさせやがって」
カーテンを繰って窓を開けると、仕切り版の下にある小さな隙間から、湯気が立つ深皿がスッと差し出された。中には真っ赤なソースで煮込まれた肉料理が入っており、独特の強いスパイスが夜風に乗って刺激的に鼻腔を突く。
「魔界の伝統料理ガルガド肉の激辛煮込みだ。こちらの世界の安売り肉とありあわせの香料で作ってみたんだ、試食してみろ」
オルソンは怪しみながらも、添えられていた木製スプーンで一口運んだ。
口に入れた瞬間、烈火のような辛味が口内に爆発し、同時にそれを上回る圧倒的な肉の旨味と濃厚なコクが広がる。あまりの美味さに目が覚める思いだった。
「……美味いな、これ。辛いのに手が止まらねえ」
「ふん、当然だ。私は魔王軍におった頃、給仕長の経験もあるのだからな。調理法と火加減一つで、安肉も絶品へと変わる」
「マジかよ。四天王兼コックだったのか。通りで美味いわけだ」
オルソンは部屋から冷えた安酒の缶を持ってくると、プルタブを引き抜いて一口あおった。煮込み料理をツマミに喉を鳴らすと、突き抜ける辛さが酒の旨みを極限まで引き立てる。
「お前、冒険者ギルドの裏手で定食屋でも開いたらどうだ? 絶対売れるぞ。カレンの奴あたりが毎日通い詰めるはずだ」
「バカを言え。そんな目立つ真似ができるか。私はここで静かに暮らしたいのだ。下手に正体が知れれば、騎士団や賞金稼ぎが押し寄せて安眠もできん」
ヴァルバトスは深い溜め息をつきながら、自分もベランダの柵に背を預けた。
「そうか。じゃあ、また作ったら分けてくれ。酒の肴には最高だからな」
「気に入ってたか。それなら、明日安売りされている肉の部位でも買い置きしておけ。気が向けばまた作ってやる」
かつて戦場で刃を交えた元魔王軍幹部と元英雄は、ベランダ越しに夜風を感じながら、くだらない世間話に花を咲かせた。命を削り合った敵同士だった過去など、この一杯の酒と美味しい料理の前には、どうでもいいことだった。




