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1-9. 新しい才能

ワールドカップで優勝すること。それが、俺の夢だ。


「高藤選手、それ、本気で言ってるんですか?」


何度も、そう言われたことがある。俺は笑って、こう返す。


「本気ですよ! 応援、よろしくお願いします」


冗談じゃねぇ。本気に決まってる。そのために、何千、何万回走り込んで、バーベルを上げて、餌みたいに飯を食って、ボールを蹴ってきたか。きっと、誰にも分からない。でも、俺は冗談めかして笑う。分かっているのは、俺だけでいい。


ガキの頃、サッカーが嫌いだった。地元のチームのファンだった両親に勧められ、半ば義務の習い事として、俺はクラブに通っていた。チームの中じゃ運動神経は良くて、ポジションはセンターミッドフィールダーを任された。チームメイトからは羨ましがられたけど、そのポジションでプレーすることを楽しいと思ったことはなかった。


でも、同じクラブの友達が見せてくれたある選手のDVDが、俺を変えた。ただ辛いだけだったサッカーへの印象が、180度変わる衝撃。


──”司令塔”って、かっこいい


その選手のプレーは、力強く、そして華麗だった。ピッチの中央から放たれる長短のパスと、柔らかなタッチでボールを前進させるドリブル。代名詞ともいえるマルセイユ・ルーレット。そして、大切な場面で必ず活躍するスター性。彼にボールが渡る度に俺は心を踊らせ、テレビ画面を食い入るように見つめた。彼の活躍が賞賛されるとまるで自分の事のように嬉しかった。


俺がその選手を知った時、既に彼は引退を発表していた。そして、その年のワールドカップがこのフランス代表プレイヤーの最後の戦いになった。


ワールドカップ本大会、その男はフランス代表のキャプテンとしてまさに神懸かり的な活躍を見せた。日本のグループリーグ敗退で友人たちが早々に興味を失う中、俺は決勝までのフランス代表の試合を全て録画し、夢中になって応援していた。ただ、美しい結末だけを夢みて。


しかし、突如としてその夢は暗転する。決勝戦は同点で90分が過ぎ、延長戦に突入した。その後半、緊迫した状況の中で、彼は相手ディフェンダーから受けた家族への冒涜に激昂し頭突きを見舞ってしまう。主審が提示したレッドカードに、彼は涙を堪えながらピッチを去った。そして、主軸を失ったチームは混乱のままにPK戦で敗北を喫し、優勝を逃した。


男は、一夜にして「戦犯」になった。世界中が、彼の愚行で持ち切りだった。学校に行っても、クラブに行っても、誰もが彼を馬鹿にする。俺は、家に帰って泣いた。ひとり、布団の中で泣いた。そして、悔しさをぶつけるように、ひたすらサッカーに打ち込む日々が始まった。


思い返せば、俺がワールドカップ優勝にこだわるようになったのは、それがきっかけだった。プロになり、海外に移籍し、サッカーをする理由は変わっていったけど、この目標だけは変わらない。


昨シーズン末、俺は初めてのワールドカップを経験した。優勝すると意気込んで臨んだ大会の結果は、ベスト16敗退。過去成績と比較すると悪くはないが、俺の中には悔しさだけが残った。


もっと上手くならなくてはいけない。もっと強くならなくてはいけない。


そして、それは俺だけじゃ駄目だ。チームとして変わらなければ。そのためには、必要だ。新しい才能が──。


日本代表の希望になるような選手なんて、もちろんそうそう出てくるものではない。次のワールドカップが開催される3年後には、俺は既に29歳。


もしかすると、次が最後のワールドカップになるかもしれない。正直、焦りがあった。


しかし、俺が求めた「新しい才能」は、思いのほか早く目の前に現れた。次の大会に向け、監督は退任し、新体制が始動する。そこで代表に初めて招集されたのが、若き天才・杉原深雪だった。


俺は、深雪のプレーに衝撃を受けた。もちろん、名前は知っていたが、実際に見るプレーは別格。18歳とは思えない圧倒的な完成度と、更なる飛躍を予感させるポテンシャル。


興奮気味にワールドカップへの思いと彼への期待を伝える俺に、飄々とした表情を変えず深雪は言った。


「……でも、いますよ。もうひとり」


プレースタイルとは正反対の、のんびりとした口調で、しかし、はっきりと。


「……たぶん、もうすぐ会えます」


────────


ヒーツの練習場には5面の屋外コートがあり、練習場所に困ることはない。中央のコートで居残りのシュート練習を行うFW・GK陣を横目に、俺と風太は端のコートに移動した。


「アップは要るか?」

「い、いえ。大丈夫です」


風太はリフティングをしてタッチの感触を確かめている。隣のコートのシュート練習を見つめながら、足元ではペン回しのように空中でボールを何度も跨ぐ。


──見事なもんだ……。


そんなことを思いながら、俺は持ってきたコーンをコートの横幅の4分の1あたりに置いた。


「OK. じゃあ早速やっていくか。シンプルに、俺を抜いてシュートを決めることができたらクリアだ。このコーンより内側には入らないようにな」


風太は、不安そうな顔で頷いた。


「よし、じゃあ来い!」


合図を聞いて、風太はハーフライン付近からゆっくりとドリブルを開始する。


直接対峙した訳では無いが、正直、今の風太に抜かれる気は全くしない。練習でDF陣を相手に見せるドリブルにはキレが感じられないし、守備は俺自身もスコットランドに渡ってから意識的に取り組んできた部分だ。


本職はセンターミッドフィールダーだが、怪我人が相次いだ昨シーズンの終盤にはサイドバックも経験した。スピードのあるウインガーと相対する中で、俺の守備面での自信はより深まった。相手がどんな世界的プレイヤーであっても、簡単には抜かれない。


半身になり、ドリブルのコースを限定する。風太は俺の誘導に乗り、やや外側にコースを取った。ひとつずつ、選択肢を消していく。


──もう一歩、もう一歩外に来い。そうすれば、もう何もできない。


ボールが俺の狙う間合いに入りかけたその時、風太は急激に方向転換した。低い体勢のドリブルで、まっすぐ俺の方へ向かってくる。一瞬で、俺の間合いのさらに内側まで侵入した。


──取れる!


想定のタイミングとは異なる獲物の接近に、無意識のうちに体は反応していた。


右足がボールに向かって伸びる。


しかし、先にボールに触れたのは風太の足だった。まるで俺が足を出すことを予期していたかのように素早くボールを横に動かすと、もう一方の足で前方にボールを蹴り出す。高速のダブルタッチ。


「なっ!」


風太の動きを制そうと咄嗟に出した左腕は空を切る。振り返った時には、風太は遥か後ろでシュートモーションに入っていた。


「あ、あれ……。なんか抜けちゃいましたね……」


シュートを丁寧に枠内に流し込んだ10代のドリブラーは、自分でも信じられないという表情でゴールの前に佇む。


呆気にとられながらも、俺は何とか言葉を絞り出した。


「お、おお。まだちょっと体が温まってなかったかな? よし、もう一回だ!」

「は、はい!」


頭の整理がつかないまま、もう一度仕切り直して風太と対峙する。


今度は慎重に。狙いは、意識が足元から離れた一瞬の隙をついて、ボールを刈り取ること。安易に飛び込まず、動きをよく観察する。


しかし、それは俺にとっての悪夢、あるいは、苦痛を伴う享楽の始まりだった。


──隙がない……!


俺はこの時初めて、風太のドリブルの異質さに気づいた。


ボールが足元から離れている時間が、極端に少ない。常に足に吸い付くようにボールが動いている。そのくせ、時折、時が止まったように、ボールと体が静止する。


風太が足を止めた瞬間、ボールにアタックしたくなる。しかし、俺はその衝動を必死に堪える。サッカー選手としての勘が、脳内に必死で危険信号を鳴らしていた。


バックステップを踏み、一旦距離をとる。


ボールから視線を外したとき、背筋に怖気が走った。


風太と目が合った。猫背気味の少年は、まるで鎌首をもたげる蛇のように、無機質な瞳でじっと俺を見ていた。


観察されていたのは、俺だった。


怯んだ一瞬を、風太は見逃さなかった。


大きなストライドで加速し、縦へ仕掛ける。そして、俺が反応した瞬間に左足の足裏でボールを止め、急激に切り返す。


ここまでは、何とか反応できた。


しかし、俺は、風太が足裏でボールをやや体の後ろに転がしたことに気づかなかった。


次の瞬間、視界は迫ってくる風太の背中でいっぱいになる。


──マルセイユ・ルーレット……!


風太は、ボールを止めた左足を軸に、右足でボールを引き摺りながら体を回転させる。背中で抑え込まれた俺は、足を出すこともできずただ19歳の少年が走り去る音を聞いた。


風太は、ゴールネットに緩いパスを送ると、嬉しそうに走ってくる。さっきまでの表情が嘘のように、目を輝かせて。


「や、やりました! へへっ! 剛さんて、もしかして守備はザルだったりするんですか!」


悪気の無さそうな笑顔から発された言葉に、頭の中で何かがプツンと切れた音がした。


「なんだとコラァ! もう1回じゃクソガキ!」

「ひぃぃ! きゅ、急に怒ったぁ!」


────────


「な、なんなんだこいつ……」


ナショナルパフォーマンスセンターの中にあるヒーツの練習場に優しい夕方の光が差し始めた頃、俺は力尽きた。深緑の芝生が、疲れ果てた体を包む。


風太はヒールリフトやらエラシコやら足技を連発しながら、遊び足りない子犬のように倒れ込んだ俺の周りをぐるぐると回っている。


「も、もう勘弁してくれ……」

「え、もう終わりなんですか!? やっと感覚が戻り始めたのに……」


結局、俺は風太のドリブルを止めることができなかった。それどころか、ボールに触れられることすら数える程だ。普段の練習からは想像もできないキレで、俺は抜かれに抜かれまくった。多彩なスキルと一瞬のアジリティ。懐に入られると、手が付けられない。


しかし、思い返してみると、そもそも普段の練習では風太はディフェンダーから離れてフェイントを繰り出しているだけで、今日のように懐に入り込むシーンは目にしていない。


「……ていうか、お前、普段の練習でウィーバーたちとマッチアップしてる時と、全然間合いが違ったんじゃないか?」

「あ、い、言われてみれば……。いつもはバッ、、ダ、ダンだったけど……こっちに来てからバッ、ダンになっていた……?」


純粋に疑問に思ったことを口に出すと、風太はなにか心当たりがあった様子で、ブツブツと独り言を零しながら考え込んだ。


俺は、オレンジに染まり始めた空を見上げた。心地よい夏の夕暮れだった。ふと、深雪の言葉を思い出す。


土井風太──たしかに、こいつは武器になる。


世界で戦う武器に。


──しかし……


ただ、その前に、こいつには課題がもうひとつある。それは、シーズンの開幕が迫るこの時期に、一刻も早く解決しなければならない問題だった。


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