1-6. 最初の壁
デカかった……。初めて参加したトレーニングの感想は、その一言に尽きる。
午前8時から始まったトレーニングの前半は、軽い調整が中心だった。ランニングから始まり、ラダーや鬼ごっこ、軽いシュート練習など、日本でも馴染みのあるメニューを中心に消化していく。この後は少し休憩を挟み、20分後から紅白戦が行われるらしい。
白人・黒人問わず、スコットランドの選手たちは、とにかくデカい。特にお尻。デカくて、位置が高い。最後尾でランニングしているときは、まるで馬が前を走っているようだった。シュート練習では、日本では見たことがないくらいの強烈なシュートが当然のように決まる。短い時間でも、フィジカルの違いは一目瞭然だった。
第一部の練習終了後、チームメイトたちはグラウンドで喋ったりボールを蹴ったりしているが、ぼくはあえて食堂に引き上げることにした。剛さんが監督に呼ばれてどこかへ行ってしまったから、一人になって居づらかったなどというわけでは決してない。これは戦略的撤退だ。軽いトレーニングでも、スコットランドの選手たちのとてつもないフィジカルとスピードは身をもって感じた。今は練習についていくためにも回復に専念するべきだろう。ひとりで飲むゼリー飲料の甘さが心に染みる。
それにしても、もう少しスコットランドの英語を勉強してくるべきだった。何人か話しかけてくれる選手はいたけれど、思いのほか聞き取れない。仮に日本語であれば持ち前の高いコミュニケーション能力を活かしてすぐに馴染むことができたはずだけど、言語の壁はすぐには如何ともしがたい。リサさんも練習場には入れないらしいし、これは大きな問題だ。あーあ、日本語が通じていたらナー。
「あ、居た。よう、こんなところで何してるんだ」
「あ、つ、剛さん。お疲れ様です」
練習場と食堂を繋ぐ廊下から、剛さんが顔を出した。そして、後ろを振り返って手招きする。すると、その背後から、巨漢の黒人が現れた。
「うぃ、ウィーバー選手!?」
「お、さすがに知ってたか。ウィーバーがお前に挨拶しておきたいって言ってたから連れてきたんだ」
「ウィーバーだ。よろしく」
腹の底に響くように低く、しかし優しい声だった。
「よ、よろしくお願いします」
差し出した手を握ると、彼は目尻に皴を寄せて笑った。黒い肌に輝く白い歯が眩しい。
「フータ、お前がヒーツの一員になってくれてうれしいよ。俺は、チームは家族だと思っている。困ったことがあれば何でも相談してくれ」
「あ、ありがとうございます」
チームキャプテンでもあるウィーバーは、今年36歳になるベテランプレイヤーだ。実績・知名度ともに今のチーム内では断トツ。かつてチャンピオンズリーグや国際大会でも活躍していた彼のことは、もちろん僕も知っていた。
「風太は今後のヒーツを担っていく逸材だから、面倒見てやってくれよ」
「もちろんだ。若者を育成するのも先達の役目だからな」
「えへへ……」
何を言っているのかはわからないが、何か褒められてるっぽいので笑っておく。
「風太、ウィーバーは強面だけど優しい男だから、しっかり頼るといい」
そう言うと、剛さんは、ぼくの耳元に口を近づける。
「あと、一緒にいると飯も全部おごってくれるから食費が浮くぞ」
「え、ええ……。そ、そんな下品なことできません」
「げ、下品……。お前ナチュラルに失礼だな……」
一度咳払いして、剛さんはウィーバーの肩に手を回した。
「とにかく、遠慮しなくていいんだよ! 元ドイツ代表とバイヤーミュンヘンのキャプテンだぜ。死ぬほど金持ちなんだから、世話になっとけばいいの!」
「なんでそれを剛さんが言うんですか……」
ウィーバーの厚みのある背中を剛さんが叩くと、コンクリートのような詰まった音がした。
剛さんはウィーバーが日本語を分からないのをいいことに、言いたい放題言っている。理解しているのかしていないのか、ウィーバーも剛さんの言葉にうんうんと頷く。
「あと、ウィーバーがお前が俺以外と話してないんじゃないかって心配してたぜ」
「そ、それは……」
痛いところを突かれて、ぼくは言葉に詰まる。いや、馴染めてないわけじゃないんだけどね。今はまだ自分のことに集中していたいっていうか……。
「いいか、チームメイトからの信頼を得られなきゃパスは来ない。これはどこのチームでもそうだが、“外国人”だと一層シビアだ」
急に真面目なトーンに変わった剛さんの言葉に、ぼくは思わず唾をのんだ。
「そして、信頼されるには、日ごろからコミュニケーションをとるか、結果を残し続けるしかない」
そう言うと、剛さんは何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、次、紅白戦じゃん。風太はすごいドリブラーだってギルバートさんから聞いてるぜ。そこでぶちかまして来いよ」
「い、いやすごいって程じゃ……」
剛さんは、ウィーバーに何か耳打ちする。
「ほう……ほう……なるほど。わかった」
巨体が、一歩ぼくに近づいた。先ほどまでウィーバーの顔に浮かんでいた笑顔は消え、なぜか空気がピリついているような気がする。大きな手が、勢いよく肩に乗せられた。
「痛っ! ひんっ!」
「フータ、よく言った。開幕前の紅白戦とはいえ、俺を抜いて吠え面をかかせてやるとは、いい度胸だ」
ウィーバーが英語で何かぶつぶつ言っている。その視線はまるで獲物を見つけたオオカミのようだ。その後ろで爆笑している剛さん。あの野郎、何を言いやがった……。
「かかってこい。胸を貸してやろう」
「ひぃぃ……」
まるで地獄の底から響いてくるような声だった。リサさんに睨まれた時のように、足がすくむ。
「よかったじゃん! 風太!」
「よくわからんけど憶えとけよおまえ」
――――――
休憩後、予定通り30分ハーフの紅白戦が始まった。チーム分けは事前に発表されていたメンバーから変更なしで、ぼくと剛さんはBチーム、ウィーバーはAチームに入った。チーム構成の意図はよくわからないが、どうやらBチームは比較的攻撃的、Aチームは守備的なスカッドが組まれているようだった。
開始後、チャンスはすぐに来た。
GKが大きく蹴りだしたボールを、味方の長身のセンターフォワードとウィーバーが競る。そのこぼれ球は、トップ下に入った剛さんの足元に転がった。剛さんは、まるでボールが来ることを予期していたかのようにダイレクトでパスを選択。鋭いパスは、左サイドに張ったぼくの足元にぴたりと収まった。
相手の右サイドバックと対峙する。センターバックに入ったウィーバーはまだカバーに入り切れていない。ゴールからはまだ距離があるが、1対1の局面だ。タイミングをうかがうが、相手も細かくステップを踏み、距離を取る。ディレイの態勢だ。
その時、小柄な影がボールを追い越した。絶妙なタイミングのオーバーラップ。ぼくは、迷いなくパスを選択する。
「くっ!」
サイドバックは必死にボールを追走するが間に合わない。ぼくを追い越したBチームの左サイドバックは、バネを活かしてぐんぐん加速して左サイドを抉る。速い。おそらくアフリカ系の選手だろう。緩い天然パーマの髪がふわりと揺れ、まだ幼い瞳がちらりと中を見た。
「クロス!」
剛さんが叫ぶ。天パ君の左足から放たれたセンタリングは、カバーに入ったウィーバーの出した足の上を抜ける。ロングボールを競り合って起点を作った長身のセンターフォワードが走り込んでくる。ドンピシャのタイミング。
――完璧!
しかし、そのボールに先に触れたのは、味方のセンターフォワードではなかった。
センターフォワードがボールに触れる直前、彼の目の前にぬっと頭が現れ、ボールはその頭の先にかすりコースが変わる。そのまま、ボールはゴールラインを割った。
「た、高すぎ……」
思わず声が漏れる。ボールに触ったのは、ウィーバーとコンビを組むもう一人のセンターバックだ。センターフォワードは悔しがることもせず、無表情でコーナーキックに向けてゴール前に位置を取り直す。とんでもない跳躍力に、思わず笑みがこぼれる。ゴールポストより頭一つ分は高い位置でボールに触れていた。あんなの、競り勝てるわけがない。決めた。ぼくは足元でボールを受けよう……。
「モリーナ! ナイスクロス!」
剛さんがセンタリングを上げた天パ君に声を掛けた。モリーナというらしい。彼は、その大声に驚いたようでびくんと体を跳ねさせ、グーサインを見せる剛さんに遠慮がちに頷いた。なぜか、少し親近感を覚える……。
ぼくは剛さんの指示でセンターバックの代わりに一時的に最終ラインに入る。そのままモリーナが蹴ったコーナーキックは、ウィーバーのヘディングでセンターライン付近まではじき返された。ヘディングの飛距離に驚いたが、焦らずゴールキーパーにボールを戻す。やはり、相手のディフェンスラインは固い。
Bチームはクロスや中央でのコンビネーションを中心に、攻撃の手を緩めない。しかし、なかなかAチームの堅守をこじ開けることができず、スコアは均衡を保ったまま時間が経過した。
しかし、20分過ぎ、ぼくに最大のチャンスが訪れる。
相手センターバックからの速いパスに、ボランチのトラップが大きくなる。そこに剛さんが体を当てると、ボランチの選手は大きく体勢を崩した。
「ノーファール!」
レフェリーを務めるコーチが声を張り上げる。Aチームの右サイドバックは、攻撃に転じるため高い位置を取ったまま戻れていない。
「剛さん!」
ぼくは手を挙げた。剛さんはにやりと笑う。日本代表の足元から放たれたボールは、寄せてくる敵の隙間を縫い敵陣を切り裂いた。
「ぶちかましてこい」
パスから、そんなメッセージを感じる。ぼくは、ワントラップで中に切り込む。
――勝負!
相対するディフェンダーは一人。ゴールへの進路に立ちふさがるウィーバーと目が合った。




