1-5. 日本を背負う男
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「よお、やってるか?」
会議室のドアが開き、日に焼けた顔が隙間から覗いた。
「初めまして、若者。そして、ようこそヒーツへ」
男は人懐っこく笑い、演劇のように大袈裟に手を広げた。
「!? た、た、たたた……」
「た、高藤選手!?」
「お、君、正解。高藤です。よろしく」
彼は、私を指さして白い歯を見せた。風太は驚いた狸のように硬直しており、カメラマンは、笑いながらその様子をカメラに収める。
「フータ! そんなに驚いてくれるとは来てもらった甲斐があったよ。ご存じ、うちのスーパースター、ツヨシ・タカトウさ。ツヨシ、こちらは新加入のフータと通訳のリサ」
風太のリアクションをみてロバートさんは嬉しそうに男の名前を告げる。しかし、紹介されるまでもなく、日本人ならもちろん知っている。なぜなら、彼、高藤剛は、現役の日本代表だ。しかも数年前から常にトップ下のスタメンを張る、現在の日本を象徴する選手でもある。
「ほ、ほら、挨拶してください!」
「ひえっ」
いつまでも目を白黒させている風太の背中を叩くと、女の子のようなかわいらしい声が出た。
「おいおい、そんなに緊張するなよ。そんなに年も離れてないはずだぜ」
「は、はいっ! 土井と申しますっ! ご指導ごべんたちゅ……ご鞭撻のほどよろしくお願いいたしますっ!」
「おう! 任せとけ!」
力こぶを作って見せると、半袖のトレーニングウェアの下で筋肉が大きく隆起した。
私は安堵のため息をついた。チームの中心選手であり、同郷である高藤選手の存在は、風太がチームになじんでいくうえで非常に重要になる。思いがけないタイミングでのファーストコンタクトだったが、気さくそうな人でよかった。
「では、顔合わせも済んだことですし、写真を撮りますね」
ロバートさんは高藤選手と風太を横に並ばせる。
「ほら、もっと寄って、笑顔でお願いします。ポーズも付けて!」
高藤選手はこちらまで日焼けしそうなほどの笑顔で、風太の方を抱き寄せた。筋骨隆々の腕に抱き寄せられた少年の引き攣った口の端から「ヒィッ」という音が漏れた。シャッター音が鳴るたびに風太の笑顔は強張っていく。……緊張でほぼ白目をむいた笑顔にダブルピース。ふざけているのだろうか……?
それにしても、横に並んだ二人を見ると、サイズ感が全く違って見える。およそ180cm弱と身長はほぼ変わらないはずだが、身体の厚みの差は歴然だ。風太が細すぎるということもあるが、高藤選手の肉体は昨シーズンよりもはるかに屈強になっているように見えた。
「? リサさん……だっけ、どうしたんだい」
「あ、いえ、申し訳ありません。すごい肉体だなと思いまして」
「お、分かるかい!」
「き、筋肉フェチ……ひぃっ」
余計なことを口走る風太を睨みつける。
「やはり、フィジカル面の強化は重視されているのですか?」
「もちろん。ここは欧州でも屈指のフィジカル・リーグだからね」
高藤選手は自分の胸板を叩いた。
「去年ももちろん鍛えていたけど、今シーズンのオフはさらに徹底的に追い込んでいるんだ。目標はシーズン完走と20ゴール20アシスト!」
高藤選手は昨シーズン12ゴール14アシストを記録し、日本人として初めてスコティッシュプレミアシップで20ゴールに関与した選手になった。しかし、シーズンの最終盤には、筋肉系のトラブルで離脱。この離脱期間がなければ、さらに成績を伸ばしていた可能性は高い。
「流石です。ぜひ彼にもトレーニングを教えてやってください」
「いや、ぼくは筋トレとかは……」
「もちろん! 風太、お前はどう見ても細すぎる。スコットランドの先輩として、徹底的に鍛え直してやるからな!」
高藤選手は、スコットランドに来て大幅にフィジカルを強化した選手だ。Jリーグ時代にはフィジカルコンタクトを嫌い、繊細で華麗なプレーでファンを魅了した彼がトレーニングを重視し始めたということは、数年前日本でも大きな話題となった。それは、このリーグで求められるフィジカルレベルの高さを示している。
「いや、でも僕の売りはそこじゃないというか……」
「今の体じゃ、スコットランドのトラクターみたいなDFに吹き飛ばされて怪我しちまうぜ。そうだな……少なくともあと10kgは増量必須だ」
私は、彼の言葉に大きく頷く。確信した。高藤選手とは話が合いそうだ。私も、風太は身長と体つきから体重は現状のおよそ10kg増である75kg前後が美しさと力強さを兼ね備えたベストの体重だと確信している。
「ひぃぃぃ! で、でも、筋トレしすぎてドリブルの切れがなくなったらまずいでしょ!」
「いえ、大丈夫です。高藤選手はもともと中盤からの推進力が最大の武器の選手。スピードを両立したフィジカル強化をされてきた実績があります。それに、鍛え抜かれた大胸筋、広背筋や腹斜筋の美しさたるや……筋肉は素晴らしい……」
「や、やっぱり筋肉フェチだ!」
「い、いえ。断じてそんなことはありません」
ま、まったく。私は100%彼のことを思って言っているというのに、勘の良……ではなく、失礼な男だ。
「あと、日本人は童顔で舐められやすいから髭も生やした方がいいな。メジャーリーガーとかもみんな生やしてるだろ?」
「高藤選手、余計なことは教えないでいただけますか」
「ひ、ひぃっ! す、すみません!」
この男は何を言っているのだろうか。見当違いも甚だしい。せっかくの童顔に髭なんて、ホットケーキにソースをかけるようなものだ。日本代表選手だからといって、言ってよいことと悪いことはある。
「な、なんて眼力だ……」
「だ、大丈夫です。高藤選手。何度か食らっていますが、今のところたぶん物理ダメージはなさそうです」
「ほ、本当か? なら良かった……。あと、剛で大丈夫だ」
「あ、ありがとうございます。剛さん」
なぜか急に硬直した高藤選手に風太がなにやら話しかけている。何を話しているのかは聞こえないが、打ち解けたようでなによりだ。
――――――
一度大きく深呼吸すると、高藤選手の顔にはまぶしい笑顔が戻った。
「まあ、トレーニングはおいおいやっていくとして、初めての海外移籍だろ? 不安なことがあれば、いつでも言ってくれよ。ユッキーからも、面倒見てくれって言われてるんだ」
「あ、ありがとうございます。……ん? ユッキー?」
「ほら、わかるだろ。杉原深雪だよ」
「す、杉原選手ですか!?」
私は思わず聞き返す。杉原深雪。また覚えのある名だった。いや、聞き覚えがあるどころじゃない。日本人で彼の名を知らない者はいないだろう。今の日本のサッカー選手と言えば、まず一番に名前が挙がるのが彼だ。幼いころから注目され、若くしてスペインで活躍する天才。弱冠19にして、すでに日本代表の常連メンバーでもある。
「あ、あいつ……また余計なことを……」
しかし、高藤選手が顎髭を撫でながら口にした名前に、風太の顔は曇った。
「杉原選手と知り合いなのですか?」
「知り合いというか……まあ、ユースの代表で一緒だったことはあるし……」
歯切れの悪い風太に、高藤選手は不思議そうな表情を見せる。
「そうなのか? ユッキーから話を聞いている感じ、かなり仲良しなんだと思っていたんだが」
「仲良し……なのか? い、いやむしろ悪いというか……いや悪いとも言い切れないのか……。ん!? そ、そういえば似ている……!」
風太は、苦虫を噛み潰したような顔でぶつぶつ言っている。かと思えば、急に眼を見開いた。
「な、なんですか急にこちらを向いて」
「い、いや何でもないです。ホントに。気にしないでください」
その時、高藤選手のスマートフォンから着信音が鳴った。
「おっと、すまん。マシューと一緒にスポンサーと面談する予定があるんだった。風太、また明日の練習で!」
「は、はい! ありがとうございました!」
「ロバートもありがとう! 風太をよろしくな!」
ロバートさんは、片手を挙げて応える。高藤選手は、あわただしく部屋を後にした。
「では、最後にユニフォーム姿の映像を撮りましょうか。今日はそれで終わりです」
そうして、移籍完了を知らせるPVは急ピッチで制作され、夜にはヒーツの公式SNSを通じて全世界に公開された。
なお、風太は高藤選手との2ショットで変顔をかました失礼な若手として、日本のファンの間で少しだけ炎上した。




