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1-4. 集大成

「うん、体重は少し軽すぎるけど、他は特に問題なさそうだね」


チームドクターの言葉を訳して伝えると、丸椅子にちょこんと腰かけた風太は安堵の表情を浮かべた。ここで移籍が破断することも稀にだが存在する。そうすれば、彼だけでなく、私の今後の予定も大きく変わることになる。私も、内心胸をなでおろす。


 心電図やMRI、靭帯の状態などの検査からスプリント能力や肺活量などのテストまで数十項目にわたるメディカルチェックはほぼ半日かけて行われた。風太がフィジカルテストの記録を伸ばす度に、ロバートが「Great!」「Excellent!」と声を掛けて盛り上げていたこともあり、風太の緊張も少しずつほぐれてきたようだった。


「じゃあ、いよいよ契約だね。会議室に移動しようか」


――――――


「失礼します」


 ロバートに案内された会議室には、机と、その机に向かって撮影機材が準備されている。そして、机の前には3人の男。そのうちの一人がこちらを振り向いた。


「お、やっと来たか! 風太もリサちゃんも久しぶり。Welcome! To! heaゴフッ」

「おいクソ親父。なんでお前こんな大事な時に3日も連絡付かないんですか。殴りますよ」

「い、いやもう殴ってる……」


一瞬意識が飛んでしまっていたが、気づくと父親が顔を歪めて私の足元に崩れ落ちていた。大事な契約の場だというのに急に床に突っ伏して、実の親ながらやはり変わった男だ。


「パ、パンチが見えなかった……。彼女はニコ・カリーリョか……?」


父の後ろで黒髪の大男が何か呟いている。


「ぎ、ギルバートさん!」

「ふ、風太か。すまんちょっと待ってくれ。内臓にダメージが……」


風太が珍しく語気を強めて父に迫る。


「え、SNS! めちゃめちゃ炎上したじゃないですか! ファンの人も納得してくれるって言ってたのに!」


父は苦悶の表情を浮かべながら風太をなだめる。


「お、おいおい落ち着けよ。俺はすぐに納得してもらえるなんて一言も言ってないぜ。いずれファンの人たちも納得してくれるってことさ。それに、ああでも言わないとおまえは海外移籍なんてしようとしないだろ?」

「り、理由になってないですよ!それにあの時はそんなこと……」


父はやっと立ち上がり、手を風太の顔の前に出して言葉を制する。


「ちょっと待った、ストップだ風太。今は大事な契約の場だろ? ほら、自己紹介もまだじゃないか」

「そんな大事なことの前に連絡付かなかったのは誰ですかね……」

「しょ、紹介するぜ。こちらSDのマシュー」

「よ、よろしく」


たっぷりの整髪料で髪を撫でつけ、仕立ての良いスーツに身を包んだ男が手を差し出す。風太の後、私とも握手したが、なぜかその手は震えていた。恐ろしいものでも見たように顔が引きつっているのはどうしてだろう。筋骨隆々の大男だが、年下の女性にも緊張してしまうほどシャイなのかもしれない。意外なギャップだ。


「で、こちらが監督のニコラス」

「やあ、こんにちは」


トレーニング用のチームジャージを着たニコラス監督は、マシューとは反対に比較的小柄な男性だった。風太と並んでも少し小さく見えるが、美しいグレイヘアはまるでオーケストラの指揮者のような威厳を醸し出している。


「それでは、契約書にサインする様子を撮影していきます」


ロバートに促され風太は机に座り、残りの3人はその後ろに立つ。


「Say cheese!」


掛け声に合わせてフラッシュが焚かれる。父とマシューは歯を見せて豪快に笑顔を作り、ニコラス監督は柔和な笑みを浮かべる。風太の笑顔は引き攣っている。


「では次はユニフォームを持った姿を取っていきますね」


ロバートから、ユニフォームが手渡される。


「14番……」

「どうした、風太。不満か?」

「いえ、いい数字だと思います。目立たなくて……」

「相変わらずネガティブだな……」


フラッシュの光が断続的に部屋を照らした。カメラマンだけでなく、ロバートも少し後ろから携帯で写真を撮っている。おそらく、SNSに掲載するためだろう。


「フータ。君は世界一のドリブラーになる男だとギルバードから聞いているよ」


マシューの分厚い手が、風太の肩を叩いた。


「せ、せ、世界一!? そ、そんなこと思ったことないです!」

「マシュー、風太も『もちろんだ』と言っている」


父が清々しいまでの嘘をつくと、マシューはヒューと口笛を吹いた。


「おいおい、日本人が謙虚だってのは昔の話だったのかい!? だが素晴らしい! 自信のある若者は大好きさ!」

「なんかいまオフコースって聞こえた気がしましたけど気のせいですか? ちゃんと伝わってます?」


残念ながら伝わっていませんよ。


「だが、お前はラッキーボーイだ。なんていったって、移籍初年度からこの伝統あるスコティッシュ・プレミアシップ優勝チームのメンバーになれるんだからな。それだけで世界に名を売るチャンスだ。なあ、ニコ?」

「ええ、もちろんです。昨シーズンはケルティックに苦杯を飲まされましたが……今年は選手たちの戦術理解もいっそう成熟していますから」


ニコラス監督はにこやかな笑顔のままそう言い切った。父も大きく頷き、風太に耳打ちする。


「ヒーツは昨年は2位だったんだが、今年はニコラスの監督就任5年目を迎えていよいよ優勝を狙えるチームが完成しつつある。ケルティックやウォリアーズのような名門は手強いが、戦力的にも負けてない。マシューは今年こそはと意気込んでるんだ」

「優勝したら60年ぶりだ。頼んだぞ!」

「ひぃぃ、期待怖い……」


マシューの情熱的なバックハグを受けて、風太は完全に気後れしている。大男に抱きすくめられて怯える様子は、薄眼で見ると熊に襲われている子供のようにも見える。


「とはいっても、海外でサッカーをするのも初めてでしょう。すぐにすぐ結果を出せとは言いません。……私はね」

「チームメイトやファンは何を言ってくるかわからないが、だな。がんばれよ、風太!」

「炎上……炎上……」


風太はまた例のモードに入ってしまっていた。クソ親父……余計なことを……。


「それでは、最後にフータはプロモーションビデオを撮影するから残って、他の皆さんは退出していただいて大丈夫です」

「期待してるぞ」

「では、明日の全体練習でお会いしましょう」


一通りの撮影を終えると、マシューとニコラス監督は風太の肩を叩いて出て行った。


「俺ももう少しだけマシューと書類関係のやり取りがあるから、あとは頼むな。愛してるよ、リサ」

「……」

「無視はないよ……」


肩を落とした父も退室し、部屋には私以外に風太とロバート、そしてカメラマンだけが残った。


「では、撮影を始めていこうと思うんだけど、実はもう一人ゲストがいるんだ」

「げ、ゲストですか?」


ロバートは、不思議そうな私たちの反応を見てにやりと笑った。


 その時、おもむろに、扉が開いた。


次回更新は月曜日を予定しています

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