1-28. アンラッキー・ボーイ
14番が狙っているコースは、明白だった。咄嗟にブロックに行った2人のDFの間。道のようにシュートコースが開けた、ゴール左隅。
一か八か、シュートが彼の足から放たれる前に、私は飛んだ。
読みは当たっていた。
右足からダイレクトで放たれたシュートは、ややカーブしながらまさにそのコースに飛んでくる。しかし、シュートスピードが速い。
(届くか!?)
空中で限界まで手を伸ばす。
(届け!!)
自分の身体が、空中に停止している気がした。その瞬間だけ、私は重力を忘れていた。
届いた――そう思った瞬間だった。
「あ」
気の抜けたような、ブラームスの声が聞こえた。ニアに立っていたブラームスは、目を見開いて、ボールの行方を追った。
コースが変わった。
ブラームスが反射的に出した膝の先に当たったボールは、私が飛んだ方向とは逆方向にコースを変え、身体の上を通過しようとしている。
頭の中に、懐かしい声が響いた。
「おい坊主。いいか、ゴールキーパーってのは、仲間のミスも何もかも、全部自分で背負うんじゃ。その覚悟がなきゃ、ハイバーズのゴール前は任せられん」
ボールの位置は見えない。でも、必死で逆方向に手を伸ばす。
「うおおおおおおお!」
手に、ボールが触れた。アドレナリンが頭の中で噴出し、目の前が真っ白になる。
体は逆方向に流れながらも、ディフレクションの勢いにぶつけるように、腕を振る。ボールは再びベクトルを変えた。
肩から地面に叩きつけられると同時に、ボールが前方でバウンドする音が聞こえた。
止めた――歓喜とともに、転がるボールを目で追う。
「クリアぁぁぁ!」
遠くから、監督の絶叫が聞こえた。
だれか、クリアを――ボールが弾んだその先には、ひとりの少年がいた。
彼は、驚いたような表情で、目の前に転がってくるボールを見ていた。
「ショーン! 押し込め!」
タカトウが彼の後ろから叫ぶ。
後半途中から、急遽投入された少年。アンラッキーな、いや、アンラッキーだったはずの少年は、舞い込んできた絶好機に、脚を振りかぶった。
「そうは、いくかっ!」
私は地面に投げ出された体勢のまま、彼の足元に体を大きく広げて突っ込む。
ショーンは、足の甲でバウンドするボールの中心を捉えた。
感覚はいつになく冴えていた。ゆっくりと私に向かってくるボールの軌道は、はっきりと見えた。
あとは、触れるだけだった。
しかし、無情にも、ボールは顔の横を抜けていく。大きく広げた手と、顔の間。
眼球だけが、最後までボールを捕捉していた。
ゴールネットが揺れて、少年は走り出す。臙脂色の戦士たちは、喜びを爆発させる。
残り10分での失点。チームメイトたちは、ゴール前で立ち尽くす。
「おい!」
その時、大きな声が響いた。
「もう2点、獲るしかないだろ!」
その男は、ゴールネットからボールを拾い上げ、センターアークに向かって投げた。
「下を向くんじゃない! 俺たちのペースなんだ。勝ちに行くぞ!」
仲間たちの瞳に、光が戻ったのが分かった。彼の言葉には――いや、彼の姿には、それだけの力がある。
(ずいぶん、キャプテンらしくなったもんだ)
仲間に声を掛け、攻撃の指示を出す幼馴染を見て、俺は他人事のようにそう思った。
「ブラームス。気にするな。あれは仕方ない」
俺は、まだ一人俯いているブラームスの背中を叩く。
「で、でも俺が足を出さなけレば……」
「いや、あれは誰だってブロックにいく。いかなけりゃ、フットボーラー失格だ」
一瞬静まり返ったスタジアムに、再びチャントが流れ始める。サポーターたちの歌声は、歓喜に沸く敵ゴール裏の声を完全にかき消した。
「もうゴールは俺が割らせない」
私は、ブラームスの耳元でそう告げ、背中を押す。
「だからお前は、点を取って来てくれ」
――――――
「打て!」
全員が同時に叫んだ。
ブラームスが切り込んで放ったミドルシュートは、無情にもクロスバーの上を掠める。
大きなため息がスタジアムに木霊し、長い笛が3度、ピッチの上に響き渡った。ヒーツの選手たちは、まるで決勝戦で敗れたチームのように、一斉に地面に倒れ込んだ。
最後の10分間、私たちのチームは怒涛の攻撃を見せた。だが、1点が遠かった。
ブラームスを中心にゴールに迫ったが、ヒーツは最後まで身体を投げ出し、最後は左ウイングの14番を下げて5バックでゴールの前を閉ざした。難しい試合でも勝ち点を取る、強かなチームの姿がそこにはあった。
グローブを外し、手を叩いてスタジアムの声援に応える。正直、ホームで負けるのはつらい。みじめだし、申し訳ない気持ちになる。でも、サポーターはいつも変わらず拍手を送ってくれる。
感謝を伝えるためスタジアムを一周していると、最上段の招待席に見覚えのある男性の姿が見えた。彼は、立ち上がって、サポーターと同じように手を叩いている。
私はピッチの中央でヒーツの選手と話しているケルハーに声を掛けた。
「おい、あそこ。爺さんが来てるんなら、試合前に言えよ」
ケルハーは思い出したように招待席を見上げる。
「ああ、そういえば言ってなかったか――っておい、負けたのに拍手してるじゃないか。珍しいこともあるもんだな」
「孫が活躍して嬉しかったんじゃないか?」
「バカ言え、お前が活躍したからに決まってるだろ」
ケルハーは呆れた顔で笑った。
「負けてしまったけど、そうじゃなけりゃ、今日のMOMは間違いなくお前だよ」
幼馴染は私の肩を軽く小突く。なんとなく照れくさくて、私はケルハーの手を払った。
「そういえば、ずっと聞こうと思ってたんだが――」
ケルハーは、スタジアムに手を振りながら言った。
「なんでいつもうちに遊びに来てたんだ?」
「なんで、というのは?」
「ほら、来たらどうせじいちゃんにしごかれるって分かってただろ?」
「ああ、そういうことか」
招待席を見上げる。背の高い老人は、横に立つオーナーとなにやら言葉を交わしていた。にこやかな会長の横で、いつもの仏頂面は一層目立つ。
「決まってるじゃないか」
私は意味もなく声を潜めた。
「確かに練習は嫌だったさ。でも、それ終わったら、爺さんはいつもメアリさんのとこでアイスを買ってくれただろ。あれが楽しみでな」
「……割に合わないよ」
ケルハーは、幼いころと変わらない笑顔で笑った。目尻に寄った皴が、機嫌がいい時の彼の祖父そっくりだった。




