1-26. リスク
「前線からプレスに行くべきだ」
俺は言った。監督は、眉間にしわを寄せて考え込む。
相手SBが治療を受けている間、プレーは一時的に中断されていた。フィリップスとの競り合いの際に、頭から落下したらしい。
おそらく、もう数分は猶予がある。今は呼びかけには応えられているようだが、脳震盪の疑いがある選手を安易に動かすことはできない。
俺たちは自然にベンチの前に集まり、監督を中心とした輪ができていた。
監督は、迷っている。
「リスクが大きすぎる」
熊のような巨体には似合わない、小さな声だった。
「キナードはどう思う」
同意を求めて、俺は幼馴染に話を振る。しかし、彼は首を振った。
「さあな。俺はシュートを止める方法しか知らない」
キナードは、キーパーグローブをはめたまま器用にスクイズのキャップを外し、水を口に流し込んだ。
「このままではジリ貧だ。ただシュートを打たれ続けることになる」
「どちらにせよ、俺は自分の仕事をするだけさ。監督と、お前たちが決めればいい」
そう言って、長身の男はにやりと笑う。
「できるのか?」
監督は、集まった面々を見渡す。
「ハイプレスを仕掛けるということは、誰か一人でも走り切れなければ即失点だ。それをこの時間から――」
その時、静かに話を聞いていた男がそれを遮った。
「できるヨ。俺はできる」
ブラームスだった。
彼は、既に肩で息をしている。それもそのはずで、ブラームスは前半から相手の14番のマークで走り回らされている。そのうえ、マイボールになった時には、必ず前線までランニングを行っていた。
しかし、それでも、彼は力強く言った。
「俺たちはできるヨ。そういうチームだから」
俺は頷く。今日誰よりも走っている男の言葉は重い。
「みんなはどうだ」
俺は、チームメイトひとりひとりの顔を見た。
彼らは、返事をしなかった。でも、そのかわりに、汗にまみれた顔をにやりと歪ませる。
お世辞にも、爽やかとは言えない笑顔。でも、どいつも、戦う男の顔だった。
俺たちのチームに、スーパースターはいない。半分以上が地元出身の中堅クラブ。そりゃあ、あいつらのほうが、上手いに決まってる。
でも、俺たちは、あいつらよりも走って、あいつらよりも戦う。自分のために、チームのために。そして、この街のために。
ブラームスの言うとおり、俺たちは、そういうチームだ。
ヒーツのベンチの前には、もう交代選手が準備していた。データにはなかった顔。おそらく初出場の選手だろう。緊張の面持ちで、審判の許可を待っている。
マルティンは立ち上がって、ピッチの外に出ようとしていた。
もう時間はない。
「わかった」
下を向いて逡巡していた監督は、顔を上げる。
「恥ずかしい姿は見せられないもんな」
スタジアムを見渡して、監督はシャツからはち切れそうな恵体を揺らして叫ぶ。
「攻めに行こう。4-3-3だ。死ぬほど走り回ってこい!」
俺たちは、声をあげてそれに応えた。
そして、各々のポジションに就く。慣れたフォーメーションだ。どう動くべきかを理解していない奴なんて、このチームにはいない。
――――――
相手のフリーキックから、ゲームは再開した。
後退してピッチを出たマルティンはベンチ裏で治療を受けていて、スタジアムにはまだ異様なざわめきが残っていた。
交代で入ってきた選手は、そのままSBに入り、ボールをセットする。緊張からか、その動きはどこかぎこちなく見えた。
彼は、ボールを左CBに送る。
(まだだ、まだ狙う場面じゃない)
俺は、CFのフィリップスにアイコンタクトで合図を送る。前線の選手たちは、あくまでゆっくりとパスコースを塞いでいく。
そして、誘い込まれるようにCBがSBにボールをリターンしたその瞬間、スイッチを入れる。
「今だ!」
緩慢にディフェンスラインにプレスをかけていたフィリップスは、一気に速度を上げる。
「ハイプレス!?」
相手の左ウイングの選手は、慌ててパスコースを作ろうとするが、縦はブラームスのプレスで消される。さらにボランチへのパスコースには俺が立つ。
予想だにしなかった連動したプレス。交代したばかりでまだゲームには入れていない選手がミスをするのは、必然だった。
「あっ!」
若いSBは、GKに一度戻すため、後ろ向きにボールを収めようとする。しかし、トラップは、少しだけ大きくなった。
わずかに時間が生まれる。
フィリップスは、身体を寄せGKへのパスコースに足を出した。SBは何とか身体をぶつけながらボールをキープし、前を向く。
しかし、それが悪手だった。そこには、猛スピードでボールを刈り取りに来たブラームスがいる。
「よし!」
前後から挟み込み、ブラームスは相手の足元からボールを搔っ攫った。
俺は、前線に走り出す。
「来い!」
両CBの間を抜け、ニアに走る。ブラームスはそれを見て、クロスを上げた。
ドンピシャ。力を足に込める。しかし、前と後ろから同時に衝撃を感じ、俺はバランスを崩す。
(っ! 高い!)
待ち構えていた2枚のCBは、俺の前後で同時にジャンプした。先に飛ばれ、俺は抑え込まれる。
だが、彼らにとってもそれはギリギリのクリアだった。
ボールは、俺の前で跳んだダンソの頭に触れ、ファーに流れる。GKが手を伸ばすが、触れられない。
そこに、敵味方3人の選手がなだれ込んだ。こぼれ球が、滑り込んだ誰かの足に触れた。
(押し込め!)
バランスを崩しながら、心の中で叫ぶ。
コースを変えたボールは、ポストを掠めた。
空のゴールから逃げるように、ゴールラインを割る。枠の外。押し込み切れない。
「マイボール!」
両チームの選手が同時にアピールする。
少し迷って、審判はゴールエリアを指した。ヒーツのゴールキック。
「ちょっと! 今のはディフェンスが触ってたヨ!」
ブラームスが審判に抗議する。
静まり返っていたスタジアムは、錦の御旗を得たかのように大きなブーイングに包まれた。
スタジアムが揺れる程の大音量を耳にするのは、随分と久しぶりな気がした。歓声と、罵詈雑言の混じったうねり。
無理もない。後半に入って、はじめてに近いチャンスだ。サポーターも、待ちわびただろう。
勝つ。再び、俺は自分に言い聞かせた。引き分けでいいはずがない。勝つんだ。




