1-25. 空と地面
フータのフェイントに、相手のウイングバックはバランスを崩し転倒した。
そのままドリブルでゴールライン寸前まで運び、クロスのモーションから、寄せてきたCBもキックフェイントでかわす。
そして、中への折り返しを見せながらニアへ振りぬいたシュートは、しかし、GKの右腕に阻まれた。
1万人に上るハイバーズのサポーターたちは、一斉に安堵の息を漏らす。
監督が言った「圧倒する」ということ。内容的には、前半以上にそれを達成できていると言って良い。
ボール保持率やシュート数は前半と大差ないが、決定機の質は、明らかに上がっている。
先ほどのフータのシュートもそうだったが、ミドルシュートやクロスだけでなく、ペナルティーエリアやポケット(ペナルティエリア両端の、特にゴールライン付近)での崩しが増え、時間が進むごとに得点の匂いが強くなっているのを感じる。
それは観客も同様で、相手サポーターが埋め尽くすスタジアムには独特の緊迫感が漂い始めていた。
ジュリアーノが左側のコーナーアークにボールをセットする。両CBのウィーバーとダンソが相手ゴール前に上がり、僕を含む2枚のSBが最終ラインに残って相手CFのマークに付き、そのやや前にフータが残った。
ジュリアーノが手を上げキックモーションに入ろうとするが、審判は笛を吹きそれを制止した。そして、ペナルティーエリア内で押し合っていたダンソと相手CBに注意を与える。
その間、僕はフータに話しかける。
「ねえ、このコーナー決まると思う?」
「うーん、どうだろうな……」
最近はフータも、よくお話ししてくれるようになった。休憩中はだいたいショーンと3人で一緒にいるし、家にも何度も遊びに行って、もう親友と言って良いと思う。
今日のフータはいつもより口数が少なくてちょっと寂しいけれど、集中してるみたいだししょうがない。
審判は、再びペナルティーエリアから距離を取り、笛を吹いた。
ジュリアーノが再び助走に入る。
彼は左利きだけど、右足のキック精度もとても高くて、ほとんど両利きと言って良い。左からコーナーキックを蹴る時は、内巻きのボールを入れるために右足を使う。
鈍い音を残し、ボールはペナルティーエリア内へ蹴り込まれた。
低いボールだ。敵味方が、ニアへ一斉に集中する。
でも、ボールはそこから少し浮き上がるように伸びた。そして、曲がりながら落ちる。
(狙った!?)
ニアに走り込んだ選手は、誰もボールに触れられない。コーナーキックは、直接ゴールに向かった。
しかし、密集の中から、手が伸びた。
グローブの指先が、わずかにボールに触る。
コーナーアークから狙いすまされたシュートは、クロスバーの内側にあたり、地面にたたきつけられる。
審判の笛は鳴らない。ラインは割っていないという判定だ。
足元にボールがこぼれてきた相手CBは、体勢を崩しながらもなんとかSBに繋いだ。
しかし、そこはフータが反応していた。
いつもの様子からは考えられない機敏さで、ボールを持ったSBにプレスをかける。SBは、たまらず大きくクリアする。
また、マイボールにできる。
(パトリックも、フータも、すごいよ!)
ボールを目で追いながら、思わず笑みがこぼれた。
楽しい。純粋に、そう思う。最近、やっとそう思えるようになった。
いつだって、生きるためにボールを蹴っていた。そして、いつだって、僕がチーム一番うまかった。カメルーンのスラムにいた時も、小さなボートで渡ったナポリの街クラブでも。
僕が眠りにつく頃に帰ってくる母さんの夢は、僕が満員のスタジアムで歓声を浴びることらしい。
そんな日がいつ来るのか、あの頃のぼくにはわからなかった。
ずっと、見えない明日を振り払うように、フットボールに縋っていた。
でも、ここでは違う。
ジュリアーノやツヨシ、ウィーバーやダンソ、フータ、そしてショーンも。僕よりもはるかに上手い人たちがいて、みんなでチームのために戦っている。純粋に、フットボールを愛しながら。
僕は、彼らと同じピッチに立つ喜びを、心から噛みしめていた。
高く上がったボールを見ながら、相手のCFは落下地点に入る。
僕は後ろから走り込んで、地面を蹴った。空中戦は苦手なはずだけど、今までで、一番高く飛べた気がした。
しかし、落とし穴は、すぐ近くに潜んでいた。
CFは、競り合わなかった。味方のサポートが近くにないことを悟ると、ジャンプせず、接触を避けるために身を屈めたのだ。
(まずい――)
咄嗟にそう思った。
体重を預けるはずだった支柱を見失い、僕は空中でバランスを崩す。
ボールは、僕の背後でバウンドした。
相手の背中の上で、僕の身体は柔道家に投げられたように1回転する。空と地面が入れ替わって――そして、約1メートルの高さから、固いグラウンドに強烈に叩きつけられた。
衝撃で肺の空気が押し出され、喉が微かに鳴った。背中と後頭部に、強烈な痛みを感じる。
笛が高く鳴った。
何人もの人が、駆け寄ってくる振動を地面から感じる。
「大丈夫!?」
フータの焦った声が聞こえた。
大丈夫。ちょっと背中を打っちゃったけど。
そう応えようとするが、口が動かない。
審判が、僕の顔を覗き込み、慌てた様子でピッチの外に合図した。
ウィーバーやツヨシも、僕に向かって何かを呼び掛けている。
ああ、もしかして、僕は何か迷惑をかけてしまっているだろうか。
だとしたら、申し訳ないな。たいしたことじゃあ、ないのに。
起き上がりたいのに、体に力が入らない。
記憶は、そこで途切れている。




