1-19. エディンバラ・ダービー
試合開始の笛が鳴る。ヒーツのセンターフォワードは、センターバックまで大きくボールを下げた。
「ロングボール警戒しろ!」
ゴールマウスを守るキナードがディフェンス陣に檄を飛ばす。
――あいつも、相当気合が入ってるな。
今日の試合は、シーズン2度目のエディンバラ・ダービー。同じくスコットランドの首都をホームタウンとするヒーツとの一戦だ。
第2節に行われた最初のダービーでは1-2で敗北を喫したが、今節はホームでの対戦。今度こそ、決して負けることはできない。そのことは選手もファンも分かっている。
この試合では、本職はサイドハーフのブラームスをいつもの4バックに加えた5枚がディフェンスラインに並んだ。厳しい戦いが予想される、対強豪用の布陣だ。
それもあってか、ヒーツはキックオフの際に大きくボールを前線に飛ばすいつもの戦術を採ってこなかった。おびき寄せるようにボールをディフェンス陣とゴールキーパーで回している。
「行かなくていい!」
俺は、プレスに行こうとするセンターフォワードを制止した。逸る気持ちはわかる。しかし、こういう試合は、忍耐が必要だ。
サイドバックを経由して、ボールがジュリアーノにわたる。すぐさま、サイドハーフの選手がプレスバックし、2対1の状況を作る。
ジュリアーノは、一度仕掛ける素振りを見せながらも、思いとどまってボールをサイドバックに戻す。
――狙いはハマっている。
「良いぞ! それを続けろ!」
監督がベンチで手を叩く。
俺は相手のセンターフォワードの位置を確認し、パスコースを塞ぐ。
この試合、ヒーツの布陣には思いがけない選手が2人入っていた。
ひとりは、この大柄なセンターフォワード。昨シーズンからよく試合終盤に投入されていたが、先発に入るのはおそらく初めてだ。しかし、既に危険なニオイは十分すぎるほど漂っている。おそらく、アバウトなロングボールも簡単に収めてしまえるだけのフィジカルは持っているはずだ。できるだけボールの出どころは押さえておきたい。
センターバックから、俺がマークする中盤の選手にボールが入った。俺は、後ろから強く当たって前を向かせない。
「おおっと! 気合入ってるなあ」
彼はボールをセンターバックに戻す。
俺の今日の仕事の一つは、この選手――タカトウを徹底的に封じることだ。タカトウのような飛び出しが得意な選手と、ボールが収まるセンターフォワードの連携は要警戒だ。可能な限りこの場所で潰しきる必要がある。
しかし、ピンチは思いがけないところから始まった。
タカトウからのリターンを受けたセンターバックは、ダイレクトでボールを左サイドのウイングに展開する。
そこにサイドバックに入ったブラームスが飛び込む。無防備なトラップ際を狙い、足を出した。
だが、離れて見ていた俺には分かった。ボールをトラップする直前、ウイングの選手が間接視野でサイドバックの位置を確認していたことを。
――まずい
悪い予感がする。
しかし、声を張り上げようとした時には既に遅かった。
「しまっ……」
相手の左ウイングは、ツータッチ目でタックルをかわす。濡れた芝生に足を滑らせたブラームスの断末魔は途中で消えた。
「戻れ!」
声を張り上げるが、サイドハーフは間に合っていない。ヒーツの前線の選手たちが、一斉にマーカーと駆け引きを始める。
ウイングが左足を振る。浅い位置から、早めのクロスが上がった。キーパーが出られない、絶妙なタイミング。
「後ろだ!」
キナードが叫ぶと同時に、ディフェンスの背後から巨大な影が空を飛んだ。センターバックは、虚を突かれながらも必死に体を当てる。
ボールに触れたのは、相手のセンターフォワードだった。強烈なヘディングシュート。
スタジアムから、悲鳴に似た叫び声が上がる。キナードがボールに手を伸ばすが、触れることはできない。
2万人が息を呑む。
しかし、ボールはポストをかすめ、上に外れていった。
スタジアムがどよめく。
「切り替えだ! 集中しよう!」
俺はチームメイトに声を掛ける。
センターフォワードは、シュートの行方を確認すると、顔色を変えることなく帰陣していった。
動揺していないといえば嘘になる。予想外のスタメンの二人目・左ウイングの選手が、さっそくチャンスを生み出したのだ。
日本人の若手という以外にほとんど情報はないけれど、日本人はボールの扱いに長けた選手が多い。対面するウイングバックのブラームスはどちらかと言えば攻撃的な選手で、守備には不安がある。
――これは、ミスマッチかもしれない……
――――――
得てして、悪い予感ばかり当たるものだ。
開始直後の突破以降、左ウイングの日本人に対しても、右のジュリアーノと同様にウイングバックとサイドハーフのツーマンセルで対応する。
しかし、止められない。
最初のプレスに行ったサイドハーフをダブルタッチで簡単にかわすと、中へ切り込むフェイクを見せつつ、一瞬のスピードで縦に突破しウイングバックを置き去りにする。
ブラームスもスピードはある選手だ。しかし、一瞬のアジリティと距離の妙で簡単にいなされている。
そして、またクロスが上がる。
今日のヒーツは、徹底的にセンターフォワードへのクロスを狙ってきている。左サイドからのクロスは、前半30分ですでに10を数える。サイドハーフは守備に追われ、攻撃陣はセンターフォワードだけが孤立している状況だ。
――でも……
センターバックが、相手のセンターフォワードに体を当てる。生まれた一瞬の時間に、キナードがパンチングでクリアした。
こぼれ球が、バイタルエリアに転がる。
俺とタカトウは、同時に反応した。ユニフォームを掴み合い、身体をぶつける。強烈な腕の力に抑えられ、推進力が減退するのを感じる。
先にボールに触れたのはタカトウだった。ヒーツの中盤の要は、ダイレクトでゴールを狙う。力の入った強烈なシュート。
俺は態勢を崩しながらも滑り込み、何とか足に当てた。ボールは高く舞い上がり、キナードがキャッチする。
――最後まではやらせてない……!
ボールの支配率では圧倒されているが、全員の気迫のこもった守備で、決定機はまだほとんど作らせていない。スタジアムも、防戦一方にもかかわらず大きな声援を送り続けてくれる。
今日はいける。そう思わせてくれる雰囲気が、今のピッチには漂っていた。
ライバルとはいえ、ヒーツは間違いなく格上のチームだ。情けない話だが、俺がキャプテンを任せられるようになってからの5年間、シーズンでヒーツに勝ち越したことは一度もない。
――それでも……
スタジアムの招待席が目に入った。白い髭を蓄えた長躯の男の影が見える。
――やっぱり、来てるじゃないか。
俺はゆっくりと立ち上がり、芝生を蹴った。汗でまみれた顔に風を感じる。
走り出す瞬間、キナードと目が合った。
背を向けて帰陣するタカトウは、キナードのキックモーションに気づいていない。




