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1-15. アルコールと過ち

「そ、それじゃあ、5連勝に乾杯!」

「「「乾杯!」」」


マルティンの音頭に、3人の声が重なる。9月最初の週末、ショーン、マルティンと私は風太の部屋を訪れていた。


「ね、ねえ。ぼくまだ19だけど、飲んで大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ。イギリスでは、18歳からアルコールを購入することができます」

「日本は違うのか? こっちじゃ、親がいれば16歳からパブで飲めるぜ」


風太は恐る恐るビールの瓶に口をつける。表情から察するに、どうやら想像以上に苦かったらしい。


「改めてですが、5連勝、本当におめでとうございます」


ヒーツは、ダンディーをホームに迎えた開幕戦をジュリアーノのドブレーテ(2得点)などの3得点で快勝して以降、上々の滑り出しを見せた。代表ウィークによりリーグ戦が休止となる今週までに無傷の5連勝。13得点無失点という圧倒的な強さで首位につけている。


「まあ、マルティンしか出場してないんだけどな……」


ショーンは感情を飲み込むようにビールをあおった。風太も真似をして一気飲みを試み、顔を顰めている。


「こ、これからだよ! 今は連勝してるから監督もメンバーを変えにくいんだと思うよ」


ひとりカーペットの上で飲んでいるマルティンがなだめるように言った。


「お前も座らせてもらえよ。ほら、ソファーぎりぎり空いてるぞ」

「い、いいよ。僕はここでいいから」


マルティンはビールをマグカップのように両手で持ってちびちびと飲み進めている。


「でも、カップ戦ではふたりとも点も決めてたじゃない」

「それはそうだけど……。相手が4部のチームだからな……」


風太とショーンの現在の主な出場機会は、リーグ戦の合間にあるカップ戦だ。日本と同様にリーグ戦の他2つの国内大会があり、下部リーグのチームも参加する。この時期のカップ戦は下部リーグやアマチュアチームと対戦することも多く、ターンオーバーとして控え選手やユースの選手が起用されることも多い。もちろん、ショーンにとっては思い描いていたトップチームデビューとは違うはずだ。


「でも、ショーンのお母さん喜んでたね。スタジアムで声かけられたよ」

「ちっ、序盤のカップ戦なんて来なくていいって言ってるのに……」


ショーンは刈り込まれたもみあげを照れくさそうに掻いた。


「お水をいただいてもよろしいですか?」

「あ、冷蔵庫に入ってるから取っていいよ」


私はソファから立ち上がり、キッチンに向かう。


「そういえば、フータの家族は試合を見に来たりしてないのか?」

「き、来てないよ。父さんは、仕事で忙しいから」


クラブが準備した、一人暮らしには似つかわしくない巨大な冷蔵庫には、ほとんど何も入っていない。今日のために買いこまれた大量の酒とミネラルウォーターが平日の映画館の客のように物寂しく居座る。


「へえ、お母さんは?」

「あ、うち、母親がいないから。小さいころに死んじゃって。おかしいよね。あははは、ははは……あれ?」


冷蔵庫から漏れ出た冷気が頬に触れた。場を沈黙が支配する。ショーンが顔を引き攣らせているのが、見なくても分かった。私はそれとなく父から聞かされていたが、もちろんチームメイトが彼の家庭環境を知る由もない。


――余計なことを……


私は、ミネラルウォーターを探すふりをしながら、心の中で舌打ちした。


「す、すまん。そうとは知らずに、無神経だったな」

「い、いやいや。正直、あんまり顔も思い出せないくらいだから……。それにお姉ちゃんもお手伝いさんも家に居たから寂しくなかったし……」


風太の明るい声色が聞こえて、リビングに朗らかな空気が戻った。私は胸をなでおろす。


「そ、そうそう。こういうのって、本人は意外と気にしてないものだよね。僕の父親も小さいころに飛んじゃって行方が分からないけど、全然平気だよ!」

「……」


再び部屋全体が沈黙に包まれた。……実はあいつが一番空気を読めないかもしれない。


「あ、ご、ごめん。全然死んでるとかじゃないと思うから大丈夫! NGOで赴任して来てたスペイン人だったらしいから、母国でほんとの家族と幸せに暮らしてると思うよ!」

「……」


冷蔵庫を漁っているふりをするのも、そろそろ限界が近づいていた。私は、ミネラルウォーターの代わりに缶の入った袋を取り出す。


「どうしたのですか? まだまだお酒が余っていますよ」


ローテーブルの上に勢いよく袋を置くと、袋の中で瓶がぶつかる音がした。ショーンはいそいそと袋からビールを取り出し、頭の上に掲げる。


「と、とりありあえずもう1回乾杯しとくか! 今日は飲むぞー!」

「そ、そうだね! か、乾杯!」

「?」


風太が珍しく声を張り上げると、マルティンは不思議そうな顔で首をかしげた。


 10本、20本と、ローテーブルの上に転がる空き瓶やサイダーの缶は増えていく。午後9時を超えてやっと日は沈み、スコットランドの遅い夜も暮れ始めた。リビングの真ん中では、2時間前の気まずそうな顔が嘘のように、ショーンが荒ぶっている。


「それにしても、許せねえのはパトリックだよ! あいつ、この飲み会にも誘ってやったのにちゃっかり代表に選ばれやがって!」


矛先は、リーグ戦の出番は限られるものの、カップ戦で得点を量産中のパトリックだ。しかし、暴論にもほどがある。それを、いつになく上機嫌なマルティンが煽る。


「ノルウェーではすごく期待されているらしいよ。頼もしいねー」


スコットランド代表にもちろん選ばれなかった少年は、一層顔を赤くして演説を続ける。おそらく、飲んだら理不尽な説教を始めるタイプだろう。上司にはいてほしくない。


 12畳のリビングは、彼の独壇場だった。よほど鬱憤がたまっていたようで、次から次へと怒りの矛先は変わっていく。


「――てわけで、そもそも、みんなチームへの愛が足りねぇんだよ! ステップアップなんかくそくらえだ! 5大リーグだか何だか知らないが、世界最高のチームはヒーツだろ! そうだよなぁ!?」

「イエー! アハハハハハ」


ビール瓶を片手に大立ち回りをみせるショーンと、それに大爆笑しているマルティンに対し、風太はソファーの隅で小さくなりさめざめと涙を流す。


「うう……全然試合に出れないし、コーチからはもっと筋トレしろって怒られるし、キジバードのファンからはまだ変なDMが来るし……もう日本に帰りたいよ……」

「はいはい。大変ですね」


こちらも大概厄介だが、ショーンの変なテンションに巻き込まれるよりはましだ。


「剛さんも最近意地悪ばっかりしてきて……陰キャ陰キャって言ってくるし……ちょっと人見知りなだけなのに……」

「……陰キャは本当のことだと思いますが」

「うう……、ひどいよ……。優しくしてよ……」


風太は、うるうると涙をためた大きな瞳で私を見つめてくる。こころなしか、いつもより艶っぽい。


「そ、そんな目で見ても優しくなんてしませんから」

「……いいもん。リサさんには期待してないから」

「喧嘩打ってるんですか?」


―――――― 


……寝ていましたか。


浅い眠りから目を覚ます。騒がしい夜は、いつしか更けていた。誰かが電気を消したのだろう。部屋は暗く、サイドテーブルの上で深夜を示す蓄光時計だけがぼんやりと明りを抱えていた。


 風太は、私の肩に頭を預け、すやすやと寝息を立てている。アルコールでぼんやりした頭は、不思議とそれを拒まなかった。


 重い眼をこする。ショーンとマルティンは疲れ果ててラグの上で力尽きている。並んで眠る姿は、仲の良い兄弟のようだった。


――さすがに、部屋に帰りますか……。


頭が重い。横になって眠りたかった。向かいの部屋に帰れば、自分のベッドがある。私は、ふらつく体に何とか力を入れて、風太を起こさないようにゆっくりと立ち上がろうとした。


「!?」


おもむろに、風太が私の腕に触れた。手が、立ち上がろうとしてソファーについた私の手に重なる。すがるような、やさしい力だった。


「……起きているのですか?」


声を潜めて尋ねる。返事はない。浅い呼吸の音だけが、部屋の空気を微かに揺らしていた。


 彼の腕は、無垢な少年のように細く、白かった。私は彼の手に触れた。一回り大きく、なめらかなその手は、まるで誰かの熱を欲しているかのように冷たかった。


 どうしてか、私は彼から目を離すことができない。線の細い身体と白い横顔は、カーテンの隙間から差し込む月明かりの中に、今にも溶けてしまいそうな気がした。


 ふいに、彼の頬に一筋の涙が伝った。


――お姉ちゃん……


固く結ばれた口から、吐息のように言葉が漏れた。もしかすると、それは石壁の向こうに吹く夏の風だったかもしれない。私は、細い顎に溜まった雫を指で拭った。風太は嫌がるように身をよじって、また小さな寝息を立て始める。


 悲しい事なんて何もないはずなのに、胸が張り裂けそうなくらい苦しかった。心の中の、知らない部分が、ざわざわと音を立てて騒ぎ始める。飲みすぎたお酒のせいか、身体が火照って、どうしようもなくて、私はただ彼の心臓の音を聴いていた。


―――――― 


 食器が擦れる音で、僕は目を覚ました。優しいコンソメの香りが鼻腔をくすぐった。目尻から、溜まっていた涙が落ちる。……何の夢を見ていたんだっけ。


目の前には、見知らぬ天井――そうだ、ぼくはスコットランドに来て……


 上体を起こすと、いつも通りの光景。でも、いつもとどこか違う。身体にはブランケットがかけられ、いつの間にかカーテンも開いている。


「うう……なんだこれ……気持ち悪い……」


 身体は重く、何かがつかえているような胸のむかつきがある。たしか昨夜はショーン達と飲んでいて――そこから全く記憶がない。こ、これが噂の二日酔いというやつか。


「目が覚めましたか」

「り、リサさん……」


台所からリサさんが姿を現す。昨日から服が変わっているところを見ると、一度部屋に帰ったのだろう。彼女は、僕の隣に腰を下ろした。


「これ、飲んでください」

「あ、ありがとう……」


僕は、差し出されたカップスープに口をつける。ほのかな野菜とチキンの香りが鼻に抜ける。優しいコンソメの塩味が、水分を失った体に染みわたっていく。


「お、おいしい」


よかったです、と小さく呟いて、リサさんは微笑んだ。いつになく、やわらかな笑顔だった。


「ショーンとマルティンは?」

「午前中に目を覚まして帰りましたよ。『飲みすぎには気を付けろよ』と言っていました」

「そ、そうなんだ。それで、何でリサさんはまだここに……?」

「なぜって、飲みすぎた人から目を離さないのは当然のことです。体調は問題ありませんか?」

「だ、大丈夫……」


リサさんは僕の背中をさする。なんだか、いつもより距離が近い気がする。


「あ、それと、これからは夕食は私が作るのでそのつもりでいてください」

「え! な、なんで!?」


いつもと変わらない無表情から突然発された言葉に、ぼくはスープを吹き出しそうになる。


「あなた、全く自炊をしていないでしょう。冷蔵庫には何も入っていないし、ゴミ箱もデリバリーの空容器でいっぱいじゃないですか」

「そ、それは……」


たしかに、こっちに来てから夕食はほとんどデリバリーかインスタントの食品で済ませてしまっている。買い出しをしようにも店は英語ばかりで何が何だかわからないし、そもそもぼくは日本にいた時から自炊なんて一度もしたことがない。


「アスリートがそんな食生活をしていてはパフォーマンスにも影響します。それに、一人分も二人分も大して労力は変わりません」

「い、いや、それはありがたいんだけど……」


もちろん、夕食を作ってもらえるというのは願ってもない話だが、正直申し訳なさが勝る。それに、リサさんは通訳として帯同してもらっているのであって、それ以外を任せるのは筋が通らない気がする。「適切な労働には適切な対価を」というのは父の教えだ。ありがたい申し出だが、今回はお断りしなければならない――


「それと、今後、私のことは“お姉ちゃん”と呼んでいただいて構いません」

「なんで!?」


押し問答の末、リサさんのことをお姉ちゃんと呼ぶことは回避したが、夕食を作ってもらう件は押し切られた。


 昨夜、いったい何があったんだ……。

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