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第90話「七芒星の転写と、ユイの祈り」

転写の日は、風のない朝だった。


プラント管理棟の隣に、ドワーフの鍛冶師たちが三日で組み上げた仮設工房がある。溶岩石を積んだ壁、天井なし。七芒星の転写には魔力の逃げ場が要るとレイラが言ったからだ。天井があると魔力が跳ね返って干渉を起こす。


工房の中央に、高純度魔石の塊が置かれていた。中立都市群からアリスが調達した三箇所の鉱山のうち、最も純度の高いクラーレン鉱山産。拳二つ分の大きさで、内部に一切の濁りがない。光を当てると、奥まで透き通って向こう側の壁が見える。


この魔石に、ユイの刻印のパターンを転写する。六面体の結晶構造を、七面体に書き換える。レイラの理論が正しければ、変換効率は23%から67%に跳ね上がる。


正しくなければ——魔石が砕けるか、ユイの刻印が消えるか、あるいはその両方。


「——準備、できました」


レイラの声がわずかに硬かった。眼鏡のつるを何度も直している。緊張の癖だ。工程表は三日で完成させ、安全プロトコルは全十二項目。ザックが複製した手順書が、工房の四隅に一部ずつ貼られている。


ルークは工房の入口に立っていた。腕を組み、中の配置を確認する。


魔石を中央に。その周囲に、レイラが描いた魔法陣——七芒星の誘導回路。ユイは魔石の正面に立ち、右腕を伸ばして刻印を魔石に向ける。レイラが横から魔力の流れを計測し、異常があれば即座に遮断する。


ザックは工房の外で待機。万が一の暴走時に、壁ごと魔石を土中に埋める用意をしている。スコップではなく、ドワーフ製の緊急封印用の石蓋。重さ二百キロ。ザック一人では動かせないので、鍛冶師のギムリが横に控えている。


アリスは通信用の伝令符を持ち、中立都市群とレインへの緊急連絡態勢を整えていた。


「全員配置を確認する」ルークが言った。


「レイラ、計測準備」


「完了です」


「ユイ、体調」


「問題ありません」


「ザック、封印準備」


「石蓋、いつでも行けます」


「アリス、通信」


「伝令符三枚、待機中です」


「——よし」


ルークは一歩、工房の中に入った。ユイの横に立ち、小声で言った。


「いつでも止められる。痛かったら言え。無理するな」


「はい」


「それと——終わったらコーヒーを淹れる。豆は昨日届いた新しいやつだ」


ユイが、小さく笑った。


「楽しみにしています」


ルークは頷き、工房の入口まで下がった。


「——始めろ」


* * *


ユイが右腕を伸ばした。


袖をまくった前腕の内側に、青白い七芒星が浮かんでいる。普段はうっすらと光る程度だが、魔石に向けた瞬間——刻印が脈打った。


心臓の鼓動に合わせるように、七つの頂点が順番に明滅する。一、二、三、四、五、六、七。七つ目が光った瞬間、中心の七つの点が同時に輝き、刻印全体が青白い光を放った。


「——魔力反応、検知。パターン、七芒星対称を確認。位相……安定しています」


レイラの声。計測用の水晶板に数値が浮かび上がっている。


ユイの刻印から、光の糸が伸びた。七本。それぞれが七芒星の頂点から発し、空中を走って魔石に触れる。触れた瞬間、魔石の内部に光が浸透し始めた。


透明だった魔石が、内側から青白く染まっていく。


「変換回路、形成開始。第一層——六面体構造との干渉なし。第二層——」


レイラがペンを走らせながら数値を読み上げる。手が震えていたが、声は安定していた。七年分の理論が、今この瞬間に実証されようとしている。


一分。二分。三分。


魔石の内部に、七芒星の構造が浮かび上がり始めた。七つの面。七つの頂点。七本の回路。六面体では決して生まれない、奇数対称の結晶構造。


「効率予測値——28%。31%。上昇中。36%——」


数値が跳ね上がっていく。23%の壁を、すでに超えていた。


「42%。49%。——50%を突破」


ルークの拳が、無意識に握られた。


「57%。61%。——まだ上がっています」


工房の空気が変わった。魔石が放つ光が強くなり、壁の溶岩石に七芒星の影が映し出されている。ユイの刻印はもはや青白い光ではなく、純白に近い輝きを放っていた。


「65%——66%——」


レイラの声が震えた。


「67.1%。——理論値に到達」


ルークが息を吐いた。


その瞬間——ユイの刻印が、色を変えた。


青白い光が、紫に。


* * *


「——っ」


ユイの身体が硬直した。


右腕の刻印から紫色の光が噴き出し、魔石を通り越して、工房の上空——天井のない空に向かって柱のように立ち昇った。


「ユイさん! 魔力値が——急上昇しています! 計測範囲を超え——」


「ユイ、腕を引け!」ルークが叫んだ。


「——引け、ません」


ユイの声は冷静だった。しかし、右腕が動かなかった。刻印が魔石と光の糸で繋がったまま、硬直している。身体は自由だが、腕だけが——刻印だけが、何かに掴まれたように固定されていた。


「痛みは」


「ありません。——でも、見えるんです」


「何が見える」


「——空が」


紫色の光柱の中に、映像が浮かんでいた。


工房にいる全員に見えた。光の柱の内側に、もう一つの空間が映し出されている。窓のように。あるいは、鏡のように。


紫色の空。


地平線のない、どこまでも続く紫色の空。雲はなく、太陽もなく、ただ一面の紫。その中央に、銀色の光が一点——脈動するように明滅している。


そして、その光の下に——白い椅子。


誰も座っていない、白い椅子が一脚。紫の空間の真ん中に、ぽつんと置かれている。


「——あれは」


ルークの呼吸が止まった。


見覚えがあった。


三年前。この世界に来た日。次元転移の虹色の光の中で、一瞬だけ見た景色。紫色の空と、銀色の光と、白い椅子。あの時は一瞬で通り過ぎた。夢か幻覚だと思っていた。思い出すこともなかった。


しかし——今、目の前に、同じ景色が映っている。


「ルークさん」


ユイの声。紫の光に照らされた横顔は、不思議なほど穏やかだった。


「あの椅子——私も見たことがあります。小舟で海を漂っていた時に。意識が遠のいて、夢を見たんです。紫の空と、白い椅子と——椅子の後ろに、誰かが立っていました」


「誰かが——」


「顔は見えませんでした。ただ——声が聞こえたんです。『おいで』と」


光柱が、ゆっくりと弱まり始めた。紫の空が薄れ、銀色の光が遠ざかり、白い椅子が霞んでいく。映像が閉じていく。


「——魔力値、下降中。刻印の輝度も低下しています。パターン……安定。転写は——完了しています」


レイラの声が、工房に現実を引き戻した。


ユイの右腕から力が抜け、腕が下がった。刻印は——まだあった。消えていなかった。ただ、光の色がわずかに変わっていた。青白から、ほんの少しだけ紫がかった白に。


「ユイ、腕を見せろ」


ルークが歩み寄り、ユイの右腕を確認した。刻印の七芒星は健在。七つの頂点、中心の七つの点。形状に変化はない。ただ、色だけが——微かに、紫。


「痛みは」


「ありません」


「しびれは」


「少しだけ。——でも、もう引いてきました」


「レイラ、ユイの身体データ」


「脈拍やや高め。魔力残量は転写前の約七十%。——危険域ではありません」


ルークは三秒間、ユイの刻印を見つめた。それから、視線を魔石に移した。


魔石は——変わっていた。


透明だった結晶体の内部に、七芒星の構造が刻まれている。七つの面が光を屈折させ、見る角度によって虹色の光芒を放つ。六面体とはまったく異なる、奇数対称の美しい構造。


「レイラ。この結晶体の変換効率を実測できるか」


「タービンに組み込めば——はい。三十分で」


「やれ。——ザック、手伝え。ユイは座っていろ。アリスは水を持ってきてくれ」


全員が動いた。ルークだけがその場に残り、もう一度、空を見上げた。


紫の光はもう消えていた。シャングリアの空は普段通りの青で、火山の蒸気が白く昇っているだけだった。


しかし——白い椅子の残像が、まだ網膜に焼きついていた。


あの椅子に、誰が座るのか。あの空間は、どこに繋がっているのか。そして——ユイが聞いた「おいで」という声は、誰のものか。


三十分後。


レイラとザックが、七芒星の結晶体をタービンに組み込んだ。既存の六面体結晶との交換作業は、ドワーフの鍛冶師ギムリの精密な手で行われた。接続部の調整にレイラが立ち会い、角度を0.05度単位で指示した。


タービンが回り始めた。


蒸気が流入し、結晶体を通過し、魔力に変換される。送電線に乗った魔力の光が——明らかに、太くなっていた。


「計測値——」


レイラの声が、震えた。


「64.8%」


理論値67%には届いていない。しかし——23%の約三倍。鍵盤の十六倍。一基で浮遊都市の魔力消費量の約四割五分。二基あれば、九割。三基目を半稼働させれば——完全代替。


「結晶体の経年馴染みを考慮すれば、実測値はさらに上がる可能性があります。初回稼働で64.8%なら——安定期には66から67%に届くかもしれません」


レイラの眼鏡が、タービンの光を反射してきらめいた。七年分の涙は、もう乾いていた。代わりに、そこにあるのは——確信だった。


「——成功です。壁を、越えました」


ザックが声を上げた。ギムリが石の拳で掌を叩いた。アリスが伝令符に数値を書き込み始めた。


ユイは工房の壁にもたれて座ったまま、右腕の刻印を見つめていた。紫がかった白い光が、心臓の鼓動に合わせて、静かに明滅している。


ルークはタービンの光を見つめていた。


64.8%。この数字は——鍵盤の終わりの始まりだ。番号制度の終わりの始まりだ。搾取の終わりの始まりだ。


「俺が淹れる」


ルークはタービンに背を向け、管理棟に歩き出した。五杯分の豆を量る。全員分だ。ギムリの分も入れれば六杯。豆が足りるか計算し——足りた。ぎりぎりだが、足りた。


湯を沸かしながら、ルークはユイに声をかけた。


「ユイ。約束通り淹れる。——新しい豆だ」


「ありがとうございます」


「味の感想を聞かせろ。それが今日の最後の仕事だ」


ユイが笑った。右腕の刻印が、その笑顔に合わせるように、一度だけ柔らかく光った。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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