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第48話「競業避止の無効化と、300年分の未払い残業代」

深夜2時。サン・アンド自治領、タワーマンション最上階。

常に定時退社を貫いてきたルークの執務室の明かりが、建国以来初めて、この時間まで煌々と点いていた。


「……なるほど。これが魔王軍時代にお前たちが結ばされた『雇用契約書』および『秘密保持・競業避止に関する誓約書』か」


ネクタイを緩め、血走った目で分厚い羊皮紙の束を睨みつけるルークの前に、三人の屈強な魔族――かつて魔王軍の『四天王』として恐れられ、今はサン・アンドの優秀な中間管理職として働く男たちが、申し訳なさそうに直立不動で並んでいた。


「ル、ルーク総督……。我々が過去にサインした書類のせいで、自治領の資産が凍結されるなど……! 腹を切ってお詫びを……!」

元・炎の魔将(現・カスタマーサポート部長)が涙ながらに訴える。


「腹など切らなくていい。後任の採用コストが無駄になる」

ルークは冷たく言い放ち、赤ペンで契約書の一部をグルグルと丸で囲んだ。


「相手のコンサルタント、ヴリトラとか言ったか。確かに奴の主張は、国際ギルドの通商法を熟読した上での見事な法的措置だ。だが、奴は致命的な『前提条件のミス』を犯している。……相手がブラック企業(魔王軍)であることを忘れているというミスをな」


ルークはホワイトボードの前に立ち、事象分析シチュエーション・アプレイザルの図を書き殴った。


「いいか。退職後の『競業避止義務(同業他社への転職禁止)』を法的に有効とするには、極めて厳格な要件を満たす必要がある。第一に『業務の類似性』だ。お前たち、魔王軍時代の主な業務内容は何だった?」


「はっ! 人間界の村を焼き払い、勇者の行く手を物理的に阻む『破壊と侵略業務』であります!」

「では、現在のサン・アンドでの業務は?」

「はい! クレーム対応窓口にて、領民の不満を笑顔で傾聴し、顧客満足度(CS)を向上させる『サービスおよびインフラ維持業務』です!」


ルークはニヤリと笑った。

「完全に異業種だ。魔王軍は『暴力的な不動産取得業』、当方は『総合インフラサービス業』。どこにも事業の競合バッティングは発生していない。これでは競業避止を主張する根拠が薄い」


「な、なるほど……!」ザックとアリスが息を呑む。


「さらに、ここからが本命キラーパスだ」

ルークの眼鏡の奥が、獲物を狙う鷹のように鋭く光った。


「労働者の『職業選択の自由』を制限する以上、会社側はそれに見合う『代償措置』……つまり、高額な退職金や特別手当を支払っていなければ、この誓約書は公序良俗に反し『無効』となる。お前たち、魔王から転職制限の対価として、莫大な金銭を受け取ったか?」


四天王たちは顔を見合わせた。

「い、いえ……。『我々には魔王様への忠誠と、世界征服という「やりがい」があるだろう! 金など求めるな!』と、基本給すら魔王軍独自のクーポン券(魔王領でしか使えない)で支払われておりました……」


「典型的な『やりがい搾取』だ。代償措置ゼロ。よって、この競業避止義務は法的に完全に無効ノーデッドである」


ルークはバンッ!とホワイトボードを叩いた。

「ヴリトラの論理は、この『元々の雇用契約が適法である』という砂上の楼閣の上に成り立っている。土台が腐っていれば、いくら見事な論理を積み上げても一瞬で崩壊するんだよ」


「おおお……! ルーク殿、凄まじい論理の切れ味! これで国際ギルドに異議申し立てを行えば、資産凍結は解除されますね!」

アリスが歓喜の声を上げる。


「いや、ただ解除するだけでは『防御』に過ぎない。私の貴重な睡眠時間を奪った罰だ。……奴らに、二度と法的手続きなどという面倒な手段に出られないよう、致死量のカウンターを叩き込んでやる」


ルークはザックを振り返った。

「ザック。四天王たちが魔王軍に在籍していた過去300年分の『タイムカード(出勤記録)』はあるか?」

「はっ! 奴らは24時間365日戦わされていたため、記録などありませんが、彼らの証言と魔力痕跡から『労働時間』を完全に逆算・証明することが可能です!」


「よし。過去300年分の未払い残業代、深夜割増賃金、および危険手当を全て複利で計算しろ。それを、当自治領が四天王から『債権譲渡』を受けた形にして、逆に魔王軍に対し『未払い賃金返還請求』および『資産差し押さえ』を国際ギルドに申請するんだ」


ザックが電卓(魔導計算機)を叩き、その弾き出された金額を見て、全員が絶句した。

「ル、ルーク様……。これ、魔王領の国家予算の『約100倍』に達します……!」


「構わん。内容証明郵便で、魔王城に直接叩きつけてこい。……これで私の仕事(残業)は終わりだ。明日は絶対に昼まで寝る」

ルークはネクタイを引き剥がし、そのまま安眠チェアへとダイブした。


翌朝。魔王城、社長室。


ヴリトラは最高級のワイングラスを傾けながら、自らの完璧なコンサルティングの成果に酔いしれていた。

「ふふ……。今頃サン・アンドは、資産凍結によって物流が止まり、内部崩壊のカウントダウンが始まっている頃でしょう。ダイコク社長、もはや我々の勝利は揺るぎませ……」


バァァァン!!


突如、窓ガラスを突き破って、国際通商ギルドのエンブレムを掲げた巨大な猛禽類(配達鳥)が飛び込んできた。

その足に結びつけられていたのは、辞書ほどもある分厚い『内容証明文書』だった。


ヴリトラは眉をひそめながら、その文書を開いた。

数秒後。

ピキッ、と彼の完璧な美貌にヒビが入ったように見えた。


「……な、なんだ、これは……」

ヴリトラが震える手で持っていたワイングラスが、床に落ちて粉々に砕け散る。


「どうした、ヴリトラ先生! サン・アンドからの降伏勧告か!?」

ダイコクが身を乗り出す。


「ち、違います……。奴ら、競業避止義務の無効を立証しただけでなく……過去300年分の『未払い残業代』を、国際法に則って我が軍に請求してきやがった……!!」


ヴリトラの絶叫に、ダイコクとギガ専務が固まった。

「そ、その額はいくらだ!?」


「金貨……100億枚(魔王領の国家予算の100年分)。すでに国際ギルドがこれを受理し、逆裁定を下しました……。たった今、我が魔王軍の全資産、および魔王城の土地権利証が……『差し押さえ(仮処分)』を受けました……!!」


「な、なんだとォォォォォ!?」

ダイコクの怒号が魔王城に響き渡ったが、時すでに遅し。

窓の外では、国際ギルドの執行官たちが、魔王城の正門に「差し押さえ物件」と書かれた巨大な赤紙(魔法の封印)を次々と貼り付けているところだった。


「ば、馬鹿な……! 私の完璧な論理ロジックが……! まさか『労働基準法(ブラック企業ゆえの致命的な脆弱性)』という、コンサルタントが最も見落としがちな泥臭い法律で足元をすくわれるとは……ッ!!」


冷酷なエリートコンサルタントは、自らの雇い主が「極悪ブラック企業」であったという事実を計算に入れていなかった己のミスに気づき、膝から崩れ落ちて完全なる敗北を喫した。


同日昼。サン・アンド自治領。

「ルーク殿! 国際ギルドより、当領地の資産凍結の全面解除、および魔王領の全資産差し押さえの報告が入りました! 我々の完全勝利です!」


アリスの弾むような報告を、ルークはアイマスクをつけたまま安眠チェアの中で聞いていた。

「……ああ、ご苦労。言っただろう、ブラック企業の契約書なんて、突けば埃しか出ないんだよ。……さあ、これで今度こそ平和な……」


ルークが再び眠りの世界へ落ちようとした、その時である。


『――ルーク総督ゥゥゥ!! 貴様ァァァァ!!』


ペントハウスの窓ガラスがビリビリと震え、空を切り裂くような凄まじい怒号が響いた。

ルークがアイマスクを外して外を見ると、遠く北の空から、漆黒の流星のようなものが猛烈なスピードでサン・アンドに向けて飛んでくるのが見えた。


「な、なんだあれは!?」

「ルーク殿! ま、魔王ダイコクです!! 奴ら、論理も法律もすべて投げ捨てて……社長自ら、単騎で物理的な殴り込み(クレーム)にやってきました!!」


(……嘘だろ。法廷バトルで負けた腹いせに、直接の暴力訴訟(物理)に切り替えてきたのか!? どこまで昭和のクレーマーなんだ、あのオッサンは!!)




二人のトップによる、「最終合意形成(直接対決)」の幕が、ついに切って落とされようとしていた。

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