第45話「接待炎竜ゴルフと、発動する『事なかれ主義』」
無人受付ゲートによる「終わらない入力作業」で10万の営業部隊を撃退してから数日。
タワーマンション最上階のペントハウスに、一羽の不気味な四つ目のコウモリが舞い込み、ルークのデスクに金箔押しの豪奢な封筒を落としていった。
「……嫌な予感しかしない」
ルークがピンセットで封を開けると、中から血文字(おそらく赤いインク)で書かれた古風な巻物が出てきた。
『拝啓、サン・アンド総督殿。先日は我が社員が失礼をば致した。ついてはトップ同士、腹を割って親睦を深めようではないか。明日の18時、中立地帯である「炎竜カントリークラブ」にて接待の場を設けた。その後は魔王領随一の歓楽街へご案内する。男同士、裸の付き合い(ゴルフ&キャバクラ)で合意形成を図ろうぞ。――代表取締役魔王 ダイコク』
「……出た。昭和のリーマン最強の呪文、『飲みニケーション』と『接待ゴルフ』だ」
ルークは巻物をゴミ箱に放り投げようとした。
しかし、横からアリスがそれをガシッと掴み取った。
「ルーク殿! これは敵将からの『一騎打ち(決闘)』の申し込みです! 会談という名の罠に違いありませんが、逃げれば自治領の威信に関わります。CEOの私とザックが護衛として随行いたしますので、堂々と受けて立ちましょう!」
「いや、私は絶対に行かない。定時後の業務外交流(接待)なんて、残業代が出ない最も無駄な時間……」
「相手は魔王です! 断れば、今度こそ10万の軍勢が物理的な魔法攻撃を仕掛けてくるやもしれません!」
ザックの必死の説得に、ルークは胃を痛めながら頷くしかなかった。
(……最悪だ。私の大切なプライベートタイムが、暑苦しい昭和のオッサンに奪われるなんて)
翌日。ルークたちは指定された「炎竜カントリークラブ」に足を踏み入れた。
そこは文字通り、ファンタジー全開の狂ったゴルフ場だった。
フェアウェイは煮えたぎるマグマの川で区切られ、バンカー(砂地)には底なし沼のスライムが蠢いている。そして空には、時折本物の飛竜が飛び交っていた。
「ガハハハ! よく来たな、ルーク総督!」
ティーグラウンドに立っていたのは、漆黒の魔王鎧の上に、なぜかチェック柄のニッカボッカーズを履き、サンバイザーを被った魔王ダイコクだった。手には、ミスリル製の巨大なウォーハンマー(ゴルフクラブの代わり)を握っている。
「いやぁ、仕事の後のスポーツは最高だろう? ここは活火山を丸ごと切り拓いた名門コースでな。ボールの代わりに『ワイバーンの卵』を打ち、マグマを越えてグリーンに乗せる! これぞ男のスポーツ(接待)よ!」
「……狂ってるのか。卵が爆発したらどうするんだ」
ルークは深いため息をついた。
「さあ、まずはワシの始球式からだ! 見ておれ総督、ワシの『猛烈ドローボール』をな!」
ダイコクがウォーハンマーを天高く振り上げる。その全身から、圧倒的な魔力と「絶対に契約を取ってやる」という昭和の営業マン特有のドス黒いオーラが噴き出した。
「もしワシがこの1番ホールでイーグル(規定打数より2打少なく)を決めたら、サン・アンドは我が魔王軍の傘下(子会社)に入るという『覚書』にサインしてもらうぞ! ガハハハ!」
「勝手に賭けにするな!」
ルークが抗議する間もなく、ダイコクのウォーハンマーが轟音と共にワイバーンの卵を打ち抜いた。
ドゴォォォォン!!
卵は弾丸のように空を切り裂き、マグマの川を越え、一直線にグリーン上のカップへと向かっていく。完璧な軌道だ。このままでは、ダイコクのペースに完全に呑まれ、面倒な契約を押し付けられてしまう。
(冗談じゃない……! あの暑苦しいオッサンの下で働くなんて、絶対に嫌だ! 私は、自分のぬるま湯を守る!!)
ルークの生存本能が極限に達したその瞬間。
彼の脳内で、無機質な声が響いた。
『――スキル【事なかれ主義の加護】が発動します』
異世界に転生して以来、最も頼りになる(そして最も情けない)神のギフト。
「自身の周囲で発生する不利益な事象に対し、一度だけ確率操作を行い、回避を試みる」という強制現実改変スキルだ。
ルークの精神力がごっそりと削られ、頭痛が走る。
しかし次の瞬間、奇跡(という名の理不尽な確率操作)が起きた。
上空を飛んでいた一頭の野生のワイバーンが、突然「くしゃみ」をしたのだ。
その鼻息の突風が、ダイコクが打った卵の軌道をほんの数ミリだけずらした。
「……あ?」
ダイコクが間抜けな声を上げる。
卵はグリーンの端の石にカーン! と跳ね返り、そのまま「ポチャッ」とマグマの川へと吸い込まれていった。
ジュワァァァ……という虚しい音とともに、卵は黒焦げになって沈んでいく。
「な、なにおぅ!? ワシの完璧なショットが……! マグマポチャだと!?」
ダイコクが信じられないものを見たように頭を抱える。
「……OBですね、ダイコク社長」
ルークはズキズキと痛む頭を押さえながら、冷たく言い放った。
「ゴルフの腕は素晴らしいようですが、天候(マクロ環境)の予測が甘かったようです。……これなら、覚書のサインは保留でよろしいですね?」
「ぐぬぬ……! ま、まぐれだ! 偶然の風だ! ええい、ゴルフはここまでだ! 次に行くぞ、次! 夜の街(接待のメイン)で、貴様のその冷めた面をベロベロに酔わせてやる!!」
ダイコクは顔を真っ赤にして、ルークたちを強引に転送魔法陣へと押し込んだ。
転送された先は、魔王領が誇る歓楽街のど真ん中。
ネオンサインのように光る魔力石が輝く、怪しげで豪奢な館――高級クラブ『サキュバス・ラウンジ』だった。
「さあ、飲め! 歌え! ここのサキュバスたちは、客の生気を吸う代わりに、最高の夢と癒やしを見せてくれる極上のホステスだぞ!」
VIPルームのふかふかのソファにルークを押し込むと、ダイコクの合図で、露出度の高い蠱惑的な衣装を身にまとったサキュバスたちが、甘い香りを漂わせながら群がってきた。
「ルーク様ぁ……。とっても知的な眼鏡ですねぇ。私、そういうクールな殿方、大好きですぅ……」
サキュバスの一人が、豊満な胸をルークの腕に押し当てながら、魅惑の魔法を込めた甘い声で囁く。
普通の男なら、この時点で骨抜きにされ、生気を吸い尽くされてダイコクの言いなりになるはずだった。
しかし、ルークの心は一切動かなかった。
むしろ、彼の「コンプライアンス遵守」という名の神経が、激しく逆撫でされていた。
「……君たち」
ルークは、腕に絡みつくサキュバスを冷たく引き剥がした。
「えっ……?」
「君たちの雇用形態は、正社員か? それとも業務委託(個人事業主)か? この過度なスキンシップは、店舗側のマニュアルで強制されているのか?」
ルークは手帳を取り出し、厳しい監査官のような目でサキュバスたちを見据えた。
「は、はい……? ええと、私たちは歩合制の魔族でして……魔王様の命令で、今日はお客様を徹底的に『おもてなし(接待)』しろと……」
「なるほど。それは明白な『パワーハラスメント』および『労働環境におけるセクシャルハラスメントの強要』に該当する。君たちは客の生気を吸って対価を得るスペシャリスト(専門職)だろう? なぜ、経営者(魔王)の一存で、本意ではない過剰接客を無給で強要されなければならないんだ」
「え……っ」
サキュバスたちの動きがピタリと止まった。
ルークの説教は止まらない。
「夜間の深夜業に対する割増賃金は支払われているのか? 客からの迷惑行為に対する、店舗側の保護ライン(ガイドライン)は設定されているのか? ダイコク社長。これは重大な労働基準法違反(ブラック経営)ですよ」
「なっ……! き、貴様! せっかくの酒の席で、何をコンプラだの労働基準だのと野暮なことを……!」
ダイコクが顔を引きつらせる。
しかし、サキュバスたちの瞳には、別の光が宿っていた。
魔王軍の過酷なノルマと、客からの理不尽な扱いに耐え続けてきた彼女たちにとって、ルークの放つ「労働者の権利を守る」という概念は、どんなチャーム魔法よりも深く心に突き刺さったのだ。
「ルーク様……! 素晴らしいですわ! 私たち、ずっとこの劣悪な労働環境に疑問を持っていたんです!」
「ルーク様のお店に行けば、有給休暇が取れて、セクハラ客は出禁にしてもらえるんですか!?」
サキュバスたちが、今度は「魔法」ではなく「純粋な尊敬の念」をもってルークに群がり始めた。
「あ、おい! やめろ! 契約の話を聞きたいなら名刺を置いていくから、適度な距離を保ってくれ!」
「な、なんだこれはァッ! ワシの馴染みのホステスたちが、総督の『ほわいと待遇』に寝返っただとォ!?」
ダイコクは、自分の完璧な接待プラン(ゴルフ&キャバクラ)が、偶然の風とコンプライアンス指導によって完全に崩壊した事実に、血涙を流して絶叫した。
「ダイコク社長。……接待はお開きのようですね。これ以上、我が自治領に『昭和の悪習』を持ち込むのはやめていただきたい。さもなくば、労働環境改善を求めるサキュバスたちの『労働組合』を立ち上げ、魔王領全体でストライキを起こさせますよ」
ルークが眼鏡をクイッと押し上げて放った最後の一撃に、昭和の猛烈魔王はついに膝から崩れ落ちた。
事なかれ主義の男は、世界最大の悪魔的接待を、スキルと労働基準法の合わせ技で無傷のまま乗り切ったのである。




