第39話「過去からの来訪者と、秘密保持契約(NDA)」
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サン・アンド自治領が、魔王軍の友好的買収(M&A)に向けて水面下で動き出していた頃。
タワーマンションの最上階で、ルークはいつものように安眠チェアに深く腰掛け、最高級のコーヒー豆(東の街道が復旧したおかげで定期輸入されている)の香りを堪能していた。
「平和だ。やはり定時退社と完全週休二日制は、精神の平穏に不可欠だな」
その至福の時間を破るように、執務室の扉がノックされた。
「ルーク様。少々よろしいでしょうか」
入ってきたザックの表情は、どこか困惑していた。
「実は、王都から流れてきたという移民の集団の中に、『ルーク様と昔からの知り合いだ』と主張する女性がおりまして。門前払いしようとしたのですが、あまりに声が大きく、強引で……」
「知り合い? 私は王都に知人など……」
ルークが首を傾げたその時、ザックの後ろから、丸太のように太い腕がヌッと突き出され、扉が力任せに押し開けられた。
「どきな、ヒョロガキ! あたしはこの街の総督にツケを払ってもらいに来たんだよ!」
ドカドカと足音を立てて入ってきたのは、樽のような体型に、麻袋のような粗末な服を着た赤ら顔の中年女だった。
その顔を見た瞬間、ルークの心臓が「ドクン!」と跳ね上がった。
(あ、あの時の……!)
異世界に転生して一番最初に出会った、王都のスラム街の宿屋『豚のいびき亭』の女将だ。ツケを払えずに寝こけていたルークを、信じられない怪力で路地裏に放り投げた、ある意味での恩人である。
女将は、大理石調の床や、魔導空調が効いた豪華なペントハウスを場違いな様子でキョロキョロと見回し、やがて安眠チェアで固まっているルークを指差した。
「……あ! あんた、やっぱりあの時の飲んだくれのルークじゃないか! なにが『サン・アンドの賢者』だい! こっちは王都の物価高騰で宿屋が潰れちまって、はるばる夜逃げ同然でこの街にやってきたっていうのに、あんたはこんなピカピカの部屋でふんぞり返って……!」
「き、貴様ッ! 我らが神(ルーク様)に向かって何たる暴言!」
ザックが血走った目で懐の短剣に手を伸ばす。
「待てザック!! 早まるな!!」
ルークは椅子から飛び起き、慌ててザックを制止した。
ここで彼女を物理的に排除するのは簡単だ。しかし、もし彼女が「賢者の過去は、宿代も払えずに道端に放り出された無能な飲んだくれだった」と街中で吹聴すれば、ルークのカリスマ性は崩壊し、組織の統制が乱れる(=面倒なことになる)。
ルークはコホンと咳払いをして、最高の営業スマイルを浮かべた。
「お久しぶりです、女将さん。……ザック、彼女は私の『下積み時代』を知る、大切な恩人だ。剣を収めなさい」
「お、恩人……! ルーク様がわざわざ市井に身をやつし、下情を視察されていた時代をご存知の方なのですね!」
ザックが勝手に納得して、深く頭を下げる。
ルークは金庫から「金貨」を一枚取り出し、女将の分厚い手に握らせた。
「あの時の宿代と、利子です。……ところで女将さん。この街で、もう一度『宿屋兼食堂』をやってみる気はありませんか?」
「へ? 金貨!? い、いや、いくらなんでもこんなに……って、食堂?」
突然の大金と提案に、女将が目を白黒させる。
「ええ。当自治領が推進する『スモールビジネス起業支援プログラム(補助金)』を適用しましょう。店舗の土地と建築費は全額こちらで負担します。……その代わり」
ルークは机の引き出しから、一枚の羊皮紙を取り出した。
「こちらの『秘密保持契約(NDA)』にサインをお願いします。私の過去のプライベートな事象(ツケを滞納して放り出された件)について、第三者に漏洩しないという簡単な制約です」
女将は金貨の重みと、ルークの淀みないビジネス用語の連続にすっかり呑まれていた。
「よ、よくわからないけど、自分の店が持てるなら……誰にも言わないよ、あんたが路地裏で転がってたことなんて」
「助かります。では、ここに拇印を」
ルークは流れるような手つきで女将と契約を交わした。
(よし。これで過去の黒歴史は完全に隠蔽された。おまけに、街の福利厚生(飲食店)も一つ増えた。完璧なリスクヘッジだ)
ルークは安堵の息を吐きながら、金貨の威光に平身低頭する女将を見送るのだった。
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