第36話「有給休暇の取得と、国家規模の捜索願い」
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白亜の大理石が敷き詰められた、サン・アンド総督府の大広間。
天井から下がる巨大な魔導シャンデリアが、整然と並ぶ何百もの領民たちの顔を照らしている。獣人の戦士、ドワーフの機工兵、流浪の民から身を立てた文官たち。誰もが、バルコニーに立つ一人の男――『サン・アンドの賢者』ことルークの言葉を、一言たりとも聞き逃すまいと息を潜めていた。
「……皆、日々の業務ご苦労。本日の朝礼は、私から一つ、極めて重要な通達がある」
ルークが静かに口を開くと、広間の空気がピンと張り詰めた。
隣に控えるアリスがゴクリと生唾を飲み込み、ザックが緊張で拳を握りしめる。隣国の動向か、新たな巨大インフラの建設計画か。
しかし、賢者の口から紡がれたのは、彼らの想像を絶する未知の概念であった。
「本日の正午より三日間。私は『年次有給休暇』を取得する。この期間中、街が滅亡するレベルの緊急事態以外、私への一切の連絡を禁ずる」
「「「…………はい?」」」
広間に、三百人の見事なハモリ声が響いた。
「ゆ、有給……休暇、でありますか?」
アリスが目を白黒させながら尋ねる。
「そうだ。労働基準法が定める、労働者の神聖なる権利だ。私はこれから完全なるオフに入る。……では、解散」
ルークはそれだけ言い残すと、マントを翻し、呆然とする部下たちを置いて足早にバルコニーから姿を消した。
彼が自ら法を遵守し「休むことも仕事のうち」という姿勢を示すため……というのは建前で、純粋に三日間、誰の顔も見ずにダラダラと寝転がりたかったからこその、正当な権利行使である。
タワーマンションの地下深く、誰の目にも触れない隠しエリア。
そこに、ルークがガチャで引き当てた至高の隠れ家、『【SR:完全防音・一人用魔導神殿(※ただのカプセルホテル)】』が鎮座していた。
「……最高だ」
ルークは誰にも行き先を告げず、カプセルの中に潜り込んでいた。
純白のシーツは天上の雲のように柔らかく、内部の魔導空調は常に彼にとって最適な温度と湿度を保っている。外部の音は一切遮断され、完全なる静寂が広がっていた。
ルークは寝転がったまま、錬金術師ギルド跡地の工場で試験生産させた『薄切り馬鈴薯の揚げ菓子(コンソメ味)』の袋を開けた。
パリッ、と小気味よい音を立ててポテトチップスをかじる。指についた塩と油を舐め取りながら、前世の娯楽小説を書き写した手製の写本をパラパラと捲る。
誰にも邪魔されない。決裁のハンコを押す必要もない。アリスが壁を壊したという報告も聞かなくていい。
「このまま一生、ここでポテチを食べて暮らしたい……」
ぬるま湯の極致。
事なかれ主義の賢者は、幸福の絶頂の中で、泥のような微睡みへと落ちていった。
しかし、地上に残された部下たちは「有給休暇」という言葉の意味を、根本的に、かつ絶望的な方向に勘違いしていた。
一日目の夕方。総督府の執務室。
「おかしい……。ルーク様がどこにもいらっしゃらない。居住区画にも、食堂にも、大浴場にもだ」
ザックが、血走った目で机の上の書類を掻き乱していた。
「休暇と仰っていたではありませんか。どこかのオアシスで羽根を伸ばしておられるのでは?」
アリスも最初はそう思っていた。しかし、街の警備網のどこにも、ルークが外出したという記録が存在しないのだ。
「いいかアリス、よく考えろ。あの大賢者様が、ただ遊ぶためだけに三日も政務を放り出すはずがない! しかも『一切の連絡を禁ずる』と仰ったんだぞ!?」
ザックの言葉に、アリスの背筋に冷たいものが走った。
「まさか……他国のスパイに誘拐されたとでも!?」
「いや、防衛システムに異常はない。となれば……考えられる可能性は一つだ」
ザックはゴクリと喉を鳴らした。
「我々に黙って、単身で魔王領の深淵、あるいはガレリア帝国の暗部へと『極秘の潜入調査』に向かわれたんだ。……自分の身に万が一のことがあっても、当自治領に外交的な累が及ばないようにするためにな!」
「なっ……! ルーク殿お一人で、世界の闇と戦っておられるというのですか!? この我々を置いて!」
アリスの顔から血の気が引いた。点と点が、最悪の形で結びついてしまったのだ。
「緊急事態だ! アリス、すぐに第一種戦闘態勢のドラを鳴らせ! 賢者様を死なせてなるものかァァッ!!」
ゴォォォォン!!
夕闇の迫るサン・アンド荒野に、けたたましい非常警報が鳴り響いた。
牙狼族の戦士たちが遠吠えを上げて武器を手に取り、ドワーフの機工団が徹夜で魔導兵器を起動させる。
「賢者様を救出せよ!!」「我らが父を探し出せェェッ!!」
有給休暇という言葉は、いつしか『勇気ある救済の休暇』という謎の暗号として解釈され、サン・アンドは国家規模の戒厳令と、狂乱の捜索モードへと突入してしまったのである。
地下の防音カプセルで、ルークがポテトチップスの二袋目を開けていた頃、地上は文字通りの戦場と化していた。
三日目の昼。
「……よく寝た。そろそろ地上に戻って、冷えたエールでも飲むか」
有給を骨の髄まで満喫しきったルークは、大きく伸びをしてカプセルホテルから這い出した。
肌ツヤは良く、日頃のストレスは完全に浄化されている。魔導エレベーターに乗り込み、鼻歌交じりに一階のロビーを目指した。
チーン、という軽快な音とともに、エレベーターの扉が開く。
「さて、今日のランチは……」
ロビーに足を踏み入れたルークは、そのままの姿勢で石像のように固まった。
そこには、徹夜の捜索で鎧を泥だらけにし、目の下にドス黒いクマを作ったアリスとザック、そして完全武装のまま肩で息をする何百人もの領民たちが、血走った目で彼を凝視していた。
窓の外には土嚢が積まれ、なぜかバリケードまで構築されている。
「「「け、賢者様ァァァァァッ!!」」」
数秒の静寂の後、大広間を揺るがすほどの絶叫が轟いた。
ザックが床に膝をついて号泣し、アリスが聖剣を投げ捨ててルークの足元にすがりつく。
「ご無事で……! ああ、ご無事で何よりです! 一体どちらで、どれほど過酷な防衛任務に就かれていたのですか!! 我々に一言も相談なさらず……っ!」
「ルーク様! あんたが死んだら、俺たちどうやって生きていけばいいか……ウッ、ウグッ!」
(…………えっ、何これ)
ルークの脳内で、危険を知らせる警報がけたたましく鳴り響いた。
(私が休んでいる間に、戦争でも起きたのか? いや、違う。こいつらの言う『過酷な防衛任務』って……まさか、私がどっかで戦ってたことになってる!?)
ただ地下でポテチを食いながら、異世界転生モノの小説を読んで寝転がっていただけだなどと、この狂信的なまでに目を血走らせた部下たちに言えるはずがない。言えば、彼らの張り詰めた精神が崩壊するか、暴動が起きる。
ルークは瞬時に脳細胞をフル回転させ、かつて前世の会議室で使っていた「煙に巻くための必殺話法」を構築した。
「……静まれ、皆の者」
ルークは静かに眼鏡を押し上げ、あえて疲労の色を滲ませた(ように見える)遠い目をして見せた。
「私はこの三日間、完全なる『オフサイト・ミーティング(隔離環境での戦略会議)』を単独で行っていた」
「お、おふさいと……?」
アリスが涙声で反芻する。
「そうだ。外部からのあらゆる情報、あらゆる物理的接触を完全に遮断し、己の精神世界の深淵へと潜っていたのだ。……当サン・アンドの、今後十年間の都市計画と、周辺諸国に対する地政学的リスクの排除。それらを脳内でシミュレーションし、完璧なロードマップを描き出すための、神聖なる儀式(瞑想)だった」
ルークはゆっくりと首を振り、部下たちを慈しむように見渡した。
「私は、お前たちの未来を創るために、自分自身と戦っていたのだ。……お前たちのこの騒ぎは、私の精神世界での戦いの、わずかなる妨げにはなったが……まあ、許そう」
「おおおぉぉぉ……ッ!!」
広間の空気が、一瞬にして「感動と畏敬」へと染め上げられた。
「休むと言いながら……誰よりも深く、この国と我々の未来を思っておられたのですね……!」
「我々はなんて愚かなんだ……! ルーク様の神聖な儀式を、あわや邪魔するところだったとは!」
「賢者様、万歳!! 賢者様の有給休暇、万歳!!」
獣人たちが雄叫びを上げ、ドワーフたちがハンマーを打ち鳴らして涙を流す。
その狂騒の中心で、ルークは(バレなくて本当によかった……)と、背中を流れる冷や汗を必死に隠しながら、静かに微笑み続けていた。
この事件以降、サン・アンド自治領においては『有給休暇中の上司(特に総督)の行方を詮索することは、国家反逆罪に等しい重罪である』という、異世界で最も強固で、かつ誰のためにもならない鉄の掟が制定されることとなった。
事なかれ主義のおっさんは、こうして自身の巧みな(?)言い訳により、未来永劫の「誰にも邪魔されない安全なサボり時間」を合法的に確保することに成功したのである。
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