17.心の距離を詰めに行こう②
カタカタとノートパソコンのキーボードを叩く音が狭い室内に響く。
ナギサは連休前の講義で必ず提出するように言われていた、参考書の要約課題に手を付けている最中だった。一回生相手に初回からこんな課題を課す教授は鬼だなぁと思いながらも、参考書片手にキーボードのタイプを続ける。
……猶予は3週間くらいあったので悪いのは存在をすっかり忘却の彼方においやっていた自分なのだが。提出期限は翌日月曜日の3限の講義中までである。
とりあえずこのペースだと夕飯前には終わるだろうか。参考書の要約といっても指定されたページだけなのでそれほど多い量ではない。
だが出てくる単語の意味がさっぱり分からない。インサイダー取引ってなんだ。そもそもインサイダーってなんだ。サイダーの親戚か?
その時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。母親だろうか。入っていーよー、と一声かける。
……と、ドアを開けて現れたのは義姉のシイナであった。何やら固い表情で片手にマグカップを持っている。
「え、えーっと……。シイナさん?何か用ですか?」
「あ、あの!こ、これ!コーヒー!差し入れ!って、紗彩さんが!」
「え、あ、ありがとうございます」
たどたどしい喋り方でそう言いながら、シイナはコーヒーの入ったカップをナギサの机の上に置いた。
「…………」
「…………」
コーヒーを置いた後もシイナは部屋から出ようとはせず、何故かじっと黙ったままナギサの近くで突っ立っている。
――なんだこれ。
ナギサは困惑した。義姉は何をしに来たのだ?監視か?
自分が真面目に課題をやっているかどうか母親に見てこいと言われたのか?それとも何か自分に言いたいことがあるのか?
――ああ、なんだろう。文句かなぁ。この前朝の挨拶をうっかり無視しちゃったことか?それとも昨日部屋で流してたラジオの音が五月蠅かったとか?
――あの固い顔、絶対何か文句言いたそうな顔だって。怖いなぁ……。
シイナは困惑した。何故ナギサは何も言わないのだ?やはり自分を避けているのか?
――ああ、なんだろう。怒ってるのかなぁ。この前彼が帰ってきた時に「お帰りなさい」を言い忘れちゃったことが原因かなぁ。それとも一昨日部屋で流してた音楽の音が五月蠅かったことかな?
――あの固い顔、絶対何か怒ってる顔だって。怖いなぁ……。
駄目だ駄目だ。こんな弱気でどうする。それに相手が自分を嫌ったり避けてたりしてるとは限らないとさっき学んだばかりだろう。何か話さねば。もし自分が彼を避けていると思われているのであれば誤解を解かなくては。
自分から距離を詰めに行かなくては。私の方がお姉さんなのだから。
「ナ、ナギサ君!」
「ひゃい!?」
突然大きめの声で名前を呼ばれたナギサは驚いて裏返った声をあげる。
「あ!あの!私は……私は!貴方の敵ではない!」
「…………ひゃい?」
――やっべ。なんか言葉の選び方盛大にミスった。
「……ああ。なるほど。僕が今までシイナさんを避けてると思われてたんですね。で、僕は今までずっとシイナさんが自分のことを避けてると思い込んでいたと」
「そ、そういうこと……。あー、良かった。伝わったぁ……!」
数分後、なんとか誤解を解いたシイナはナギサの部屋の床に座ってホッと一息吐いた。
ナギサもそれにつられてか、「ほっ……」と息を吐く。
「お互い誤解してたってことかぁ……。1年くらいずっと勘違いしてたなんて恥ずかしい……」
「私もだよ……。紗彩さんに相談しなかったらずっとあのままだったかも……」
「…………」
「…………」
――会話が続かん!
互いの心の声がシンクロした。
誤解が解けたといってもまだそんなに親しくない。互いの趣味も性格もあまり知らないのだ。何を話せばいいものか……と、そんな時ナギサは一つの話題を見つけた。
「そうだ、なんか今日VRゲーム買ったんですって?なんてタイトルのやつ買ったんですか?」
昼食の際に母が言っていたことだ。そうだそうだ、「何のゲームやってるんですか?」くらいの話題から始めろみたいなことを言っていた気がする。
シイナは「えーっと、知ってるかどうか分かんないけど……」と言ってからゲームの名前を口にした。
「アクロステージ NEXT ONLINEってやつ。プレイヤーと人工知能を搭載したキャラクターが一緒になって戦うゲームなんだけど。作ったキャラクターが本当に個性的でまるで生きてるみたいっていうか――」
「それって――」
ナギサは机の傍に設置されてある棚から1つのゲームソフトのパッケージを取り出してシイナに見せる。
それを見たシイナの顔がハッとなった。何故ならそれは自分がよく知っているタイトル。というか。
今まさに自分が話していたゲームそのもので――。
「……これ、ですよね?」
「え、うん。……え?」
「「ええええええええ!!?」」
二人の驚愕の声は1階にいる母の耳元にも届いていた。
ちゃんと話せてるみたいじゃん。と、どこか嬉しそうな顔で自分が淹れた分のコーヒーに口をつける。やはりコーヒーは砂糖3杯以上に限る。
◆
場所は変わり、ANO内。
デーヴァ同士のバトルステージ……荒野ステージにナギサとシイナが向かうようにして立っていた。当然その傍らには2人のデーヴァの姿もある。
「ナギサ君、再ログインするなりバトルを始めましたが、この人とは一体どういう関係なんですか?」
着物姿のソウハがナギサに質問する。
「彼女さん?」
「違うよ。お姉さん。……といっても義理だけどね」
「初めて知りました」
「あれ?言ってなかったっけ」
そんな2人を見てシイナの隣に立つストレンジアが口を開く。
「彼が例の義弟くんか。血のつながりが無いといっても顔の系統は似てるね。可愛らしいところが」
「そうかなぁ?」
「……で、どうしていきなりバトルすることになったんだい?わだかまりは解けたのかな?」
「あ、うん。それは解けたの」
何故バトルすることになったのか。
お互いがANOのプレイヤーだと知った時、シイナが先にこう言ったのである。
「ナギサ君。私としない?」
「えっ、……ナニをですか?」
何やら良くない想像でもしたのか、ナギサが何やら恥ずかしそうにシイナから視線を逸らす。
数秒置いてから自分の発言に主語が足りなかったことに気付き、シイナが両の手をひらいて顔の前でブンブンと振った。
「ちちちち違うよ!?バトル!ANOで!バトルやらない!?せっかくだし!それにほら、ナギサ君がどんなデーヴァ作ったのか気になるなーって……」
そこでようやく自身の大変失礼且つ恥ずかしい勘違いに気付いたナギサ。
「あ!そっかぁ!そりゃそうですよね!」
「……ナギサ君。お願いがあります」
「ん?何ですか?」
シイナは勇気を振り絞って言った。
今までずっと気になっていたのだ。敬語で話しかけられることが。
確かに自分は彼より年上だしそんなに付き合いも長くは無いが……正直言って憧れていたのだ。弟が出来ることに。
だからなるべく自分のことは敬語ではなく砕けた口調で喋ってほしいし、何よりこう呼んでほしい。
「私が勝ったら……、うん!敬語をやめてもらう!そして……“お姉ちゃん”って呼んでもらう!」
「おお、言うねえマスター」
それを聞いてナギサは目を丸くした後、「じゃあ僕が勝ったら……」と続ける。
実は今まで敬語で話しかけていたのは「相手と自分との心の距離があまり縮まってない」と思っていたからだ。タメ口で話しかける仲ではないと思っていた。
だから向こうが敬語で喋るのをやめることを望んでいるなら素直に従おう。だが。
――ここは僕も何か条件を付けた方が盛り上がるな。
……あと、正直に言うと憧れていたのだ。“姉”という存在に。
そう考えたナギサはこう言った。
「じゃあ僕が勝ったら……、敬語をやめます!そして“お姉ちゃん”って呼びます!」
「えっ?」
それじゃあどっちが勝っても結果は一緒では……。とシイナは言おうとしたが、まあいいか、と笑った。2人のデーヴァも同時に微笑む。
「それじゃ、やりますか。準備はいい?ソウハ」
「モチのロンです」
シイナもストレンジアと顔を見合わせ、コクリと頷く。
「いこう、ストレンジア。この勝負は勝つよ!」
「ああ。1戦目よりは上手くやってみせよう!」
互いにアクロスギアを構え、自らの相棒の名前と同調のためのキーワードを叫ぶ。
お互いにまだ相手に関しては知らないことが多い。ちゃんとしたコミュニケーションをとったこともほとんどない。
だが、こうやって戦えば分かってくることもあるだろう。お互いの相棒のことも。
「イグニッション!ソウハ!」
「イグニッション!ストレンジア!」




