11.母・鳴海紗彩
「ん……」
一時的にANOからログアウトしたナギサは自分が自室のベッドに仰向けで倒れているのをまず自覚した。
ゴーグル型のVR端末を取り外し、起き上がろうと――
「…………」
「……?」
――したのだが。
「…………」
「うわあああああああっ!?」
至近距離で自分の顔を覗き込んでいる女性の顔が真っ先に視界に現れ、突然のことに驚いたナギサは大声を上げる。
うわっ、ビックリした。と眼前の女性はわざとらしく耳をふさぐ。
「ビックリしたのはこっちだよ!えっ!?何!?もしかして僕がゲームしてる間ずっとそうやって見てたの!?」
「いやー?さっき映画館から帰ってきたばっかりだよ。呼んでも2階から降りてこないから様子を見に来ちゃった」
「……ああ。そういえば映画見に行くって言ってたね……。いや、様子を見に来たって言ってもそんな近くで見ること無いでしょ……、勘弁してよ、お母さん」
“お母さん”と呼ばれたその女性は、大学生の息子を持つ母親にしては非常に若く見えた。
明るく茶色がかった長い髪を後ろの方で一本にまとめて正面に垂らしているその髪型も彼女を若く見せる要因の一つだ。彼女のことを知らない人が見ればナギサの母ではなく姉と誤認してしまうだろう。
鳴海紗彩。ナギサの実の母親である。
彼女は今から20年以上前に世間を騒がせた大人気アイドルグループ「BorderLINE」のセンターを務めていたことのあるアイドルでもあり、若い頃の印象は1児の母になった現在でもほぼそのままに保たれている。
父親――この場合は母と離婚した前の父を指す――のことはよく知らない。分かっているのは母のかつてのマネージャーであったことと、母と結婚した後も複数の芸能関係者に手を出していたとんでもない変態であったということだけ。
父はナギサが物心ついた時には既に別れていた。どのような人物だったのかは母に聞けばわかるだろうが、それを聞くのは酷な真似だろうということは分かっていた。それに既に自分とはかかわりの無い存在だ。興味も起きない。
離婚後は現在ナギサが住んでいる地元の県に帰った。元大人気アイドルということもあって、戻ってからもメディアがよく取材にやってきて五月蠅かったらしい。そして女手一つでナギサを育て、1年前には現在県外に出張で出ている今の父と再婚した。
父とは数年前に地元の友人の紹介で知り合ったらしい。「アイドル時代の貴女のファンの同僚がいるから会ってあげて」と言われ、友人込みで一緒に食事をしたのがきっかけだという。
そこから数年に及ぶ大恋愛の末に2人は結ばれた。2人が長年付き合っていたことはナギサも知っていたので「おお、ついにか」と感動したのを覚えている。
父の方も同様にバツイチで子供もいた。それが義姉のシイナだった。
ナギサは母が離れたのを確認してからゆっくりと起き上がる。
「もうゲームはお終い?」
「いや、もうちょっとやる。今はトイレに行きたくなったから一旦中断してるだけ」
「お昼にハンバーガーのセット買ってきたんだけど、まだいらない?正直冷めたのを温め直すの面倒臭いから早めに戻ってきてくれるとありがたいんだけど」
「あー……、じゃあ今やってる用事が終わったらすぐにログアウトするよ」
部屋のドアを開け――と言っても母に部屋に侵入されたせいで半開きになっていたが――、自室のほぼ正面にあるトイレに入り用を済ませる。
戻ると、母が自分のベッドの上に座って勝手に漫画を読んでいた。
“アイドルハート!プリズムステージ 公式アンソロジーコミック第11巻”。昨日買ったばかりでまだ全部読めていない漫画本だ。
「勝手に座るなぁ!そして勝手に読むなぁ!」
そう言われた母は「えー、まだ読み始めたばっかりなのに」と言いながら本を畳んで丁寧にベッドに備え付けられてある本立てにそれを戻す。ベッドから降りる気は無いらしい。
「どかんかい。もう一回あっちの世界に行くんだから」
「それにしてもアイドルゲームのグッズ増えたわねぇ。知らない間にタペストリーまで買っちゃって」
「お母さん、息子の話を聞いてあげて?」
ベッドに座り込んだままの母が部屋を見渡す。ベッドの近くの壁にはプリステの昨年の人気投票上位10名が描かれたタペストリーが飾られている。推しのキャラはいないがイラストが好きで衝動買いしてしまったものだ。
「本当にアイドル好きよねー。お母さんが若い頃のポスターあげよっか?」
「どこの世界に母親が若い頃のポスターを部屋に貼る息子がいるんだ……。嫌でしょそれ」
「お母さんのこと嫌なの!?」
「そういう意味じゃないよ!面倒臭いなぁもう!」
「というか、お父さんは部屋に飾ってるわよ?私のグッズ」
「あの人は……、まあファンだったらしいしいいんじゃない?」
「”だった”?ノンノン、今でもファンよあの人は。」
「分かった分かった。ノロケ話ならまた後で聞いてあげるから」
さぁどいたどいた、と母親をどかせてVR端末を手に取ると再びベッドに寝転がる。
そういえば、と母が言った。
「さっきシイナちゃんの部屋ものぞいたんだけど、あの娘もあんたと一緒でゴーグルつけながら寝てたわよ。もしかして一緒のゲームやってるの?」
「シイナさんも?さぁ、少なくとも僕はあの人が今VRゲームやってるなんて知らなかったけど」
「”シイナさん”に”あの人”ねぇ……。”お姉ちゃん”って呼ぶつもりはあんまりない?」
ナギサは少し困ってしまう。
およそ1年ほどの付き合いがある家族なのにまだ”さん”付けで呼んでいるのは本人も気にしていることだ。
「うーん、流石に1つしか違わない人をいきなり”お姉ちゃん”と呼ぶのは恥ずかしいっていうか……。ハードル高いっていうか」
「じゃあ”シイナちゃん”は?」
「うーん……、というかあの人にはなんだか避けられてる感じがして」
「そんなことないわよ。なんていうのかな……お互いがお互いを意識しすぎて緊張しちゃってる感じ?最近のアンタ達を端から見てたらそう思うな」
「……緊張してるってのは否定しないよ。向こうもそうかは知らないけど」
「というか、アンタちょっと自意識過剰すぎ。シイナちゃんに何か嫌われるようなことした?」
「いや、別に何も……」
それを聞いて母は「ハァ~」と溜め息を吐いた。
「じゃあ向こうがアンタを避ける理由なんて別に無いじゃない。アンタは自分が思ってるほど他人に嫌われるような子じゃないわよ。そんなに気になるなら今日ゲームが終わったら一回あの娘と話してみなさい」
「話す?何を?」
「なんでもいいわよ。”今日は何のゲームやってたんですか?”とか、なんでもいい。ちゃんと話さないと好かれてるか嫌われてるかなんて分かんないでしょ?前から思ってたけどアンタ達は会話しなさすぎ。もうそろそろ1年の付き合いになるんだから一回くらい私抜きで日常会話してみなさい」
「……ん、分かった」
「じゃ、私の話はとりあえずこの辺で。またゲームの世界に行ってらっしゃい」
「行ってきます」
端末を装着し、起動させる。
いってらっしゃーい、と手を振る母の姿が端末のバイザー越しに見えた。
「お帰りー」
ログインしたナギサを見てミナミが一声かける。
彼が現れた場所はゲーム内で指示があったように先ほどまで座っていた席だ。体勢もそのままの状態である。
ログインしたばかりのナギサの腰のアクロスギアから
「私を出してください!早く!パフェ!残ってる!」
とソウハの声がした。パフェを食べているのを中断されたことに対して中々ご立腹らしい。ナギサは「一声かけてからログアウトするべきだったね」と謝りながらソウハを呼び出した。
現れたソウハは自分が座っていたテーブル席を見て「……え?」と気の抜けた声を発した。
「うーん、美味しいねこれ。やっぱぼく様もちょっと貰っとくべきだったな」
レウルがさっきまでソウハが口にしていたパフェの残りを美味しそうに食べていた。自分のいない間に何が起きていたのか、とソウハはテーブルに座る他の2人のデーヴァを見やる。
カオルコとプロトが申し訳なさそうに答える。
「あ、あの、レウル君が”やっぱり食べたくなってきた”って言ったので……」
「一応オレ達も最初は止めたのだが……」
「戻ってくるのがちょっと遅かったし半分くらいならいいかな、と……」
レウルがソウハに気付いたのか、彼女の方へと顔を向ける。
そして笑顔のまま手だけを合わせて「メンゴ!」と言った。
「あ、半分くらいはちゃんと残してるから!安心し――」
そんな自分の謝罪を聞こうともせずソウハが腰から刀を引き抜こうとしたので、レウルの顔が少し青ざめる。
「……命が要らないんですか?」
「……すみませんでした」
今度は真顔になったレウルがパフェの器をテーブルの上において深々と頭を下げた。それを見てソウハは「まあ、全部は食べてないので許してあげます」と刀を収めた。
「怖え……」と別のテーブルに座るプレイヤー4人が揃って呟く。ナギサは今後食べ物関係で彼女を怒らせないように気を付けよう……と自分のデーヴァの新たな怖い一面を認識するとともに心に誓った。
自分達の食事とシューマとシャルディが食べきれなかったパフェの残りを処理したナギサ達は「じゃあそろそろ出ますか」と立ち上がり、清算を済ませると店の外に出た。
「はー、食べた食べた!最後はちょっとしんどかったけど。あ、そうだ。みんな、せっかくだしフレンド登録しとこうよ!」
ミナミがそう言ってアクロスギアを取り出す。他の4人も同様に自分のギアを取り出してユーザーIDの交換を行い、フレンド登録を完了させた。
「じゃあぼくはログアウトするよ。もう昼過ぎだし、リアルでご飯食べてないんだ。……誘ってくれてありがとう。楽しかった」
最後の一言はボソボソと小さく呟くように発したため他の面々はよく聞き取れなかった。
「じゃあね皆!今度はチーム戦じゃなくてサシでやろうぜー!」
クオンとレウルの身体が光と共にこの世界から消えていく。ブンブンと手を振るレウルに向かって何人かは手を振り返した。
続いてミナミも「あたしもお昼食べに行かなきゃ」とログアウト。その場に残されたのはナギサ、シューマ、モトカズと彼らのデーヴァだけになった。
「じゃあ僕もお母さんがお昼ご飯買ってるからこの辺で失礼するよ」
「ナギサ君の今日のお昼は何ですか?」
「ハンバーガー」
「いいですねー」
「あ、ちょっと待ってくれ。えーっと……ナギサ」
ソウハと軽く会話しながら再びログアウト処理を行おうとするナギサを突然モトカズが呼び止めた。
「なんですか?」
「さっきも言ったけどこの前は悪かったな。お詫びとして受け取ってくれ」
モトカズはアクロスギアを操作する。するとナギサのアクロスギアから何かの通知を告げる音が鳴った。
画面を確認すると『フレンドのモトカズからスキルカードが送られました』と表示があった。
SR:ハラキリ・ビート
チャージ時間:中
分類:特殊/刀剣限定
・自身の腹部を剣で貫き、生命力を刃に宿す。この時自身のHPを任意の数値削り(最小で現在のHPの10%)、その分だけ攻撃力を上げる。
装備時、HPが半分以下の状態で敵の攻撃によってHPが0になった場合、このカードと他のスキルカードをランダムで1枚使用不可にすることで、HP1で復活する。(バトルフィールド、ミッションフィールド外での戦闘の場合は一定時間使用不可能にする)
「いいんですか?」
「ああ。……というかこういう形で詫びをしないと俺の気が収まらないんだ。それにガチャで手に入れたはいいけど使い道が無くてよ」
「じゃ、ありがたくいただきます」
それを見たシューマが一言。
「俺には何か無いのか?俺だって一応貴様の被害者だぞ?」
「お前はいい。なんか偉そうで癇に障るから嫌だ」
シューマは怒りもせず、まるで当たり前のように「偉そうではなく偉いんだがな」と言った。そういうとこが癇に障るなぁ!とモトカズが怒り、それをカオルコが「まぁまぁ」となだめる。
「おいお前ら!」
モトカズがナギサとシューマに向かって叫ぶ。それにカオルコが続いた。
「今度は負けねえんだからな!」
「は、はい!わたしももっと強くなります!」
初めてナギサに敗北した時に言った台詞だったが、あの時のありきたりな捨て台詞とは違い、本当に”次は勝つ“という気持ちがこもった台詞にナギサには聞こえた。
ログアウトしながらナギサとソウハが答える。
「勿論、僕達だって」
「今度も負けません」
そしてその場に残ったのはシューマとモトカズ、そして彼らのデーヴァだけとなった。
シューマが笑みを浮かべてモトカズに近寄る。
「な、なんだよ」
「”今度は負けない”と言ったな。もし俺達にリベンジしたいなら今受けてやろうか?なに、少し食後の運動がしたくてな」
「勿論断ってくれてもいいですわよ?そうなったらその辺で軽くジョギングでもしますわ」
“当然負けるつもりはない“といった様子でそう言うシューマとシャルディ。それにカチンときたのかモトカズは舌打ちしながらそれに答える。
「マジでムカつくなお前……。俺達とのバトルが軽いジョギングと同じ程度だと……?いいよ、やってやろうじゃねえか!その高い鼻へし折って、床に這いつくばらせてやる!やるぞ、カオルコ!」
「えっ、ひゃい!ま、負けませんよ!」
挑発に乗ってきたモトカズを見てもう一度ニヤリと笑ったシューマは自分のアクロスギアを取り出し、バトルの申請を行う。
「床に這いつくばるのはどちらかな?さぁ、団体戦の憂さ晴らしだシャルディ!」
「オーッホッホッホ!やりますわよ~!」




