5−2 一族 ‐愛するからこそ、乗り越える‐
雨が降っている。
ザーザーと耳鳴りが起こりそうな、騒がしい雨音が強風に踊らされ、大雨と冷気によって世界は灰色に染まっていた。
無数の雨が、石の上に落ちる。
ただの石ではなく、触れば滑らかで垂直に美しい形の石には文字が刻まれていた。
死した戦士を埋葬した土の上に建てられた墓石だ。
一つや二つではない。平原に広がる無数の戦士たちの墓石が、辺り一面に一寸のズレもなく綺麗に並べられていた。
その中の一つ、『タタキ』と彫られた墓石の前に、タタラは立っていた。
容赦なく落ちてくる雨に全身を打たれ、体温は下がり肌は若干青く染まっている。しかも、一睡もしてないのか目にクマができており、さらに体は痩せて一目で栄養状態が良くないと分かる。
タタラはフラフラと今にも倒れそうになりながらも、虚ろな目で兄の墓石を数日前から見つめていた。
ついに体の限界が来たのか、タタラはその場にドシャッ、と膝をついた。そのまま、頭を垂れて蹲る。
「に……ぃ、さん……」
小さく漏れ出た声は、雨の音にかき消された。
タタラの流す涙も想いも、全てが雨の流れによって消えていく。
そんな雨音を吹き飛ばすように響く声が、後ろから聞こえて来た。
「おい、流石に死ぬぞ」
タタラは反応しない。
聞いていないのか、聞こえていないのか、タタラは蹲るだけだった。
「都合よくスルースキル発揮してんじゃねぇよ」
後ろから襟を掴まれ「どけ邪魔だ」と乱暴に放り投げられた。
バシャリと水たまりに叩きつけられたタタラは、ゆっくりと顔を上げる。
目の前には、自分を放り投げたダイガが傘をさして立っていた。共喰によってつけられた傷はすでに完治し、その表情はいつも通りの悠々とした顔に戻っている。だが、その表情に若干影が見えた。
「いい加減、帰れ。お前まで死んだらこいつがあの世から戻って来そうだ」
とても身を案じているとは思えない言葉を浴びせかけられても、タタラは身じろぎひとつせずヨロヨロと立ち上がった。
虚ろな目を向け、枯れ枯れの声をあげる。
「兄さんって…………どんな人だったの?」
雨によってほとんどの声が流されてしまったが、ダイガの耳にはちゃんと届いた。
その声はひどく不安気で、しかし意を決したようにダイガの目を見据えている。
あの人形のようなタタラが、ここまで感情を曝け出したことがあっただろうかと、ダイガは内心で首を傾げた。
「お前は今までタタキの何を見てきたんだよ」
「……分からない」
タタラの漏れ出たような声に、ダイガは「兄弟そろって面倒な……」と悪態を吐きながら、目の前のタタキの墓石に視線を落とした。
「弟妹のために自分を犠牲にできる、バカないい男だった」
ダイガにとって、それだけがタタキの全てを表していた。
腐れ縁としてともに過ごした時間はある意味、家族のタナリやタタラより多い。
問題児として育った二人の互いの理解は、家族よりも深いものだろう。
「お前はなんにも悪くねぇ。誰も死なず、みんなで勝利してハッピーなんて考えクソ喰らえだ」
ダイガの口調はまるで、墓石の下に埋まっているタタキに対して言っているようにも聞こえた。
「俺は目の前で何人もの命が奪われるのを見てきた。それが、鬼狩りだ。 タタキも命をかける覚悟ができてた。その結果死んだ、それだけだ。お前のせいじゃねぇ」
「共喰に手も足も出なかった、俺の言えることじゃないけどな」とタタキは心の中で呟き、タタラに気づかれない角度で自嘲気味にほくそ笑む。
しかし直ぐにタタラの方へ振り返る。
「お前はどうなのよ。妹を任されたんだろ?」
「…………」
まるで錆びた人形のように、首を横に振る。
その見苦しい行為に、「あっそう」ダイガはそれ以上なにも喋らなかった。
その目は失望と侮蔑の色を混ぜて、タタラを見下ろしていた。
タタラの横を通り過ぎ、里へ戻るダイガは首飾りの骨の一つを指でつまみ、自分の視線の前に寄せた。
「親父……また仲間が死んだぞ」
語りかける骨の主は、死んだダイガの父のものだった。
「今さら恋人が死のうが、腐れ縁が死のうが心は痛まないがよ。こうなったら俺は、もう止まるつもりはねぇぞ」
自分を奮い立たせようとした呟きは、雨と風に乗り何処かへと運ばれていった。
▼
「…………」
さっきまでの激しい雨が止み、里に曇天の割れ目から太陽の光が差し込んだ。
会議を終えたタタリは、リドウとの意見の対立について、資料の確認と整理のために自室で一人、作業に勤しんでいた。
殆ど睡眠をとらず流石に喉が渇き、近くに置かれたお茶の入ったガラスのコップへ手を伸ばす。
パリンッ コップの割れた音が自室に響いた。
資料に目を通していたからか、コップを取ろうとした手はしっかりの手に届かず、コップは押し出され床へと落ちてしまった。
「……はぁ」
小さくため息を吐き、タタリは床へ落ちたコップとお茶を拭き取ろうとして、手を伸ばす。が、持ったコップの破片によって手を切ってしまった。
余程、疲れているらしい。
「……長の務めを果たせ」
血の雫が滴る手を見つめ、タタリは自分に言い聞かせるよう、声をこぼした。
『それが、あなたの守りたいもの?』
耳元で、妻と息子の入り混じった声が聞こえた。
己に対する苛立ちと愛する者への後悔に、肩を震わせるタタリの足元に、日が差し込む。
顔を上げると、部屋のドアをタタラが押し開いていた。
「……失礼……しま、す」
ぎこちない挨拶と足取りで、タタラが部屋へ入る。
「……ああ」
ギスギスした空気から生まれるこの光景は、親子とは思えないものだった。
思い返せば、タタリに対しても、タタラに対しても、タナリに対しても、父親らしいことをしてあげたことはあっただろうか。
『けど少し……ちょっとくらいは、息子や娘に父親らしいことしてやってくれよ』
今さらになって、その言葉の意味がわかってしまった。
タタラは、タタリの数歩手前まで立ち止まり、ジッとその顔を見上げている。
身体中が雨に濡れ、食事も取っていないのか痩せており、目元にはクマができている。
そんな息子の姿を見て、タタリは父親らしいことを……思いつけなかった。
そのまま無音の時が流れる。
タタラはわずかに目を見開いて、言った。
「父さん……兄さんって、どんな人だったの?」
タタラは、ダイガに向かって投げた質問と同じものをタタリに問うた。
腐れ縁であるダイガとは違い、父親であるタタリから見て、兄はどんな人物だったのか。
タタラはそれを確かめにきたのだ。
しかし、
「死人にすがるな」
それに対しタタリは、冷徹に返した。
二人を囲む空気がさらに重くなる。
「タタキが死んだことで、私の後を継ぐのはお前となった。これからお前には、そのための——」
「父さん、言ったよね。強くなれば家族を守れるって」
タタリの声を、タタラは低い声で遮った。
その目は虚ろで、ジッとタタリを見据えている。
「そうだ……弱いから、死んだ」
タタラの濁った目が見開き、体が一瞬前のめりになった。
踏み出す一歩を繰り出そうとした、その時……
「自分でも分からないんでしょう?」
ドアが再び開いた。
二人が、開いたドアの方へ視線を向けると、そこには車椅子に乗ったタナリと、それを押すマギミの姿があった。
「家族との接し方すら知らない人が、家族のことを理解できる訳……ありませんからね」
「………」
タナリに容赦なく叩きつけられた言葉を、タタリは表情一つ動かさず真正面から受け止めた。一番、苦しいのはタナリの方だと察しているからだ。
なぜなら、この中でもっともタタキを慕っていたのはタナリだったのだから。
命を落とした戦士たちの葬いの場で、小さな体を震わせながら、頬を涙で濡らすタナリの姿は鮮明に覚えている。
あれから様々な用事が立て込み、様子を見てやれなかったが、今の彼女は凛とした落ち着きのある表情で父と兄を見据えていた。
「顔をあげてくださいよッ。 あなたたちがどれだけ後悔しても、泣き叫んでも……兄様は帰ってこない、もうどこにもいないんです」
タナリは二人よりも早く、現実を受け入れていた。
「バカな人たち……もう、なにもかも遅いんです」
それでも、大好きなタタキが死に悲しみが癒えない訳ではない。必死に心を押し殺しながらも、段々と涙声になっていく。
「教えてあげましょうか?」
タナリが、俯くタタラの方へ顔を向けた。
「兄様はとても優しい人でした。鬼狩り一族を統べる、家系の長男として強くあろうとし、私たち家族にも手を差し伸べてくれました……!」
タタキを語る度に、タナリの涙声は大きくなっていく。やがてポロポロと涙を流しても、語るのをやめない。
「例え、父親と対立しても、弟に無視されても……兄様は兄様でした!だから……」
「ッ!」
タナリは体に力を入れた。
細く弱々しい体で、必死に立ち上ったのだ。
その姿に驚愕し、自分から趣き支えようとする二人だが、タナリの覚悟を決めた眼力に睨まれ、足が止まってしまった。
マギミがすぐにでも体を支えられる位置に立って見守る中、一歩一歩とタナリは二人の間へ歩いていく。
足が床につく度に、力が抜けそうになり脱力感に襲われるものの、タナリは誰の手も借りずに進む。
そして遂に、タナリは父と兄の手を取った。
二人の冷たい手が、タナリの体温により温もりを帯びてゆく。
それを感じさせながら、タナリは全身から力を振り絞り、想いを弾けた。
「もう、兄様を苦しませないでッ……!」
直後タナリの体から、ガクリと力が抜けた。
それをすぐに支えたのは、もっとも近くにいたタタリとタタラだった。
「……はぁ、はぁ」
息を荒くし、汗を流す娘の鼓動を感じながら、タタリはその体を必死に支える。
タタラも始めて触れた妹の温もりを感じて、心に溜まったなにかが洗い流されているように感じた。
「失礼します」
最後まで見届けたマギミはタナリを抱き抱え、車椅子に優しく乗せた。
親より親らしい、そのテキパキとした行動に、タタリの表情はどこか悔しそうに見えた。
「タナリちゃんの言葉、忘れないであげてください」
深く頭を下げ、マギミは車椅子を押して部屋から出て行った。
「…………ちょっと、意外だったかな」
「なにが、ですか……?」
車椅子を押すマギミの言葉に、タナリは絶え絶えの息で返す。
「失礼な言い方だけどね。罵倒とか、すると思って」
慕っていた大好きな兄が死んだのだ。
タタキに対する愛情は、二人よりも大きいと断言できる。タナリなら、感情に任せて泣き叫びながらそうするとマギミは思っていた。
「最初は、そう思っていました。けど……」
どうして助けてくれなかった。
なぜ、兄が死ななければならなかった。
あなたたちがが死ねばよかったのにッ。
毎日ベッドの上で二人への殺意を抱きながら、過ごしていた。
しかし時間が経つにつれ、怒りの炎に焚べる薪がなくなったかのように、徐々に冷静を取り戻して行った。
そして……
「あの場にいなかった、戦えもしない私が………あの二人を責める権利なんて、ないじゃない……!」
そう至ったのだ。
大好きな兄だからこそ、死んだ後にも心配をかけさせたくなかった。
タタキなら……愛する人ならこう望むと、タナリはそれを胸に抱き、タタリとタタラの手を取ったのだ。
(立派な女の子。やっぱり、ナナハさんの娘ですね)
タナリの後ろ姿に、憧れの女性の面影を感じながら、マギミは車椅子を押す力を強めた。
「そうだタナリちゃん。もしかしたら、タナリちゃんの体、もうすぐ良くなるかもしれませんよ?」




