6−1 山嵐 ‐御伽噺の出会い‐
ようやく動きがあったのは、西の大地から太陽が顔を出し、たち曇る朝の霧が薄くなった時だった。
(一、二……)
その存在は霧によって湿気った木の上に身を隠し、深い森を進む人影を数える。
誰もが鍛え抜かれた肉体と防具で身を包んでおり、たたずまいや腰に下げたサーベルからみて国の兵士だと分かる。
(———十六、十七……全部で二十人)
「くそ、歩きにくい」
兵士の一人が愚痴をこぼした。
「四の五の言ってないで足を動かせ。余計疲れる」
と、さらに別の声が応じた。
確かに、鍛え抜かれた兵士たちにとってもこの森は歩きにくかった。出っ張った木の根や複雑な地形と、奇妙に歪んだ木々により肉体的にも精神的にもクるものがある。
今では既に、来た道すらも忘れかけていた。
「こんな森のさらに山奥に……本当にいるんでしょうか?」
先頭に立つリーダーらしき男へ、疑問の声が上がる。
先頭を歩くのは、顎にチリチリの毛を生やした茶髪の男だ。一見頼りなさそうに見えるものの、その双眸はちゃんと目的地を見据えている。
「いる……確信は持てないがな」
兵士たちを追う存在は、彼らに狙いを定めた。
丁度、ここは影が濃く陽の光が当たらない。絶好のシュチュエーションである。
「子供のころ、お前たちも親から聞いたことがあるだろう?」
「御伽噺としてですが…“悪鬼を滅ぼす鬼狩り一族”って、あまり信じられません」
国の上層部だけが知っているトップシークレット、鬼狩り一族。
一般では「夜は悪鬼が出るぞ」と子供のしつけや、それを倒す絵本の御伽噺として通っている。
国からとある使命を与えられ、その一族が済むという里を目指している兵士たちも、その存在の有無には半信半疑な状態だった。
鬼狩り一族の里があるらしい封魔峰は、リオネル王国王都から遥か遠く離れた山岳地帯にある。広大な山林は昼間でも夜のように暗く、まるで人を拒むかのように深く険しい。しかも獣ともモンスターとも異なる悪鬼が出ると噂され、滅多に人が足を踏み入れぬ秘境の地でもあった。
それでも、リオネル王国は今重大な危機に直面しているため、鬼狩り一族が存在するのならばこの任務は絶対に熟さなければならない。
あと一息と、深い森を抜けようとしたが、
「これでいなかったらマジでどうす———」
「シッ」
リーダーの男は口をつぐみ、目をすがめた。
自分たちを囲む森の中で、黒くうごめくものがみえた。人ではない。まるで得体の知れない獣が、木の上でわだかまっているようだった。
「副団長……?」
口を開きかけた兵士を、リーダーの副団長とよばれた男が鋭く手で制した。
その瞬間、先ほどまで雑談か黙って森を登っていた兵士たちも警戒態勢に入る。
長い旅で体力と精神力が削がれているが、そこは国を守る兵士。迅速な対応だった。
風が鳴きながら吹き抜けるとその矢先、横殴りに降り注ぐ針の雨が、彼らを襲った。
「ッ、伏せろォーーーーー!!!」
副団長が直ぐに指示を出すが、一歩遅かった。
針の雨は既に直ぐ目の前に迫っており、次々に兵士たちの体を貫き命を奪っていく。
「うおぉっ……!?」
副団長は咄嗟に背を向け、背負っていた荷物を盾がわりにして身を守った。が、やむことを知らぬ豪雨のような針の雨は荷物の厚みを上回り、その一本が副団長の体をすり抜けた。
「ガッ……」
針に肩をやられた副団長は、身を屈めて小さくなり、受ける面積を減らして耐え続けた。しかし、針の雨は次々と隙間をぬい、彼の体をズタズタに切り裂いていった。
やがて、針の雨が止んで森に静けさが戻る。
棒切れのごとく倒れ伏した兵士たちの姿を確認するように、暗い森の奥から一体の影がゆっくりと姿を現した。
「い、生きてる……か?」
副団長は切り裂かれた脇腹を押さえながらなんとか体を起こした。
傷は脇腹だけではない。腕も、足も、肩も、顔も、至る所に傷を負い、自慢の茶髪さえ額から吹き出した血で赤く染まっていた。
「みんな……くそっ!」
血でボヤけた視界で周りを確認し、生き残っているのは自分だけだと確信してしまう。
己を鼓舞しながら立ち上がった副団長は、目の前に立つ怪物に敵意の目を向けた。
身の丈は2メートルはある白い肌を持つ怪物は、姿形こそ人に近い。だが口内から鋭い純白の牙が見え隠れし、人間の能力の枠をゆうに超えていた。
事実、副団長とともに行動していた仲間の兵士たちは、彼を残して全員が物言わぬ骸と化している。
(そうか……こいつが……!)
「ふぅぅぅぅ……」
怪物は自分が仕留めた人間たちの死体を確認し、一仕事終えたかのようにゴキリゴキリと首を鳴らした。
まるで狩りを終え、大量に獲物を仕留めることができたかのように。
やがて怪物の視線は、生き残った副団長に向けられる。
「むぅぅんッ……⁉︎」
生き残った副団長を見て、怪物は双眼をギョロリと動かし不服そうに唸る。
同時に、副団長はサーベルを握る右手に力を込めた。
怪物の背中が、こぶのように大きく盛り上がった。怪物の白い背が波のように小刻みに振動している。そして、その波の中からブクブクと不気味な音を立てながら、何百、いや何千という巨大な針が次々と突き出してくるのがみえた。
(今度食らったら、絶対死ぬ!)
副団長の体に緊張が走る。
先刻部下たちの命を奪い、己をズタグタに切り刻んだのは、この針の雨だと確信した。
かわすのは至難の技、見ての通り並の兵士なら恐らく即死だろう。だが、副団長はお世辞にも修羅場をくぐり抜けた兵士であった。
(国と隊長の命令を全うするまで、死ぬわけにはいかない……!)
副団長は痛む体を引きずり、全力でかけた。が、その体は簡単に怪物の腕に掴み上げられる。
「なッ……⁉︎」
副団長を持ち上げた怪物の口が四つに割れ、開かれた。大きく開いた口から、唾液が滝のようにしたたり落ちている。
この怪物は、自分を食らうつもりだ。
「死んで……たまる、かぁ……‼︎‼︎」
副団長は思わず叫ぶ。
そんな決死な姿をなんとも思わぬ怪物は、巨大な口を血の匂いの混じった吐息を吐きながら、副団長に迫って来る。
その時……。
ヒュン! と風を切る音が聞こえたかと思うと、飛んできた銀のナイフが怪物の頭に突き刺さった。
「ムゥゥ⁉︎」
激痛に身をよじる怪物の腕から解放された副団長は、そのままズドンと地面に叩きつけられた。
ザッ、ザッ……と、副団長の背後から近づいてくる足音が聞こえてきた。
副団長はハッとなって振り向くと、そこには…
「こ、子供……⁉︎」
黒髪に、森に溶け込みやすい暗い迷彩柄の服を身にまとった若者がいた。
しかし、その表情は歳より若干大人びた雰囲気を醸し出しており、その手に握られた純白の刀は薄暗い森の中でも静かに光を放っている。
(ナイフを飛ばしたのは、この子だったのか)
年の頃は十五、十六。その顔立ちにはまだ子供の幼さはあるが、頬や体には修羅場をくぐり抜けたであろう傷が目立つ。
年不相応の薄く濁った目の奥には、じんわりとした光があり、背丈はそれほど大きくないが、上着からのぞく体は均整のとれた筋肉に包まれている。
副団長は、目の前にいる少年が自分たちが探し求めていた存在だと理解した。
「…………」
少年は副団長の傷だらけの体を見て、懐から何かを取り出し、
「あいだっ!」
思わず放心していた副団長の頭に向かってそれを投げつけた。
「へ?え?……小瓶?」
それは中に透明な液体の入った小瓶であり、ほのかに薬品のような匂いが香ってくる。
「の、飲めばいいのか?」
問う副団長だが、そんな彼を無視して少年は怪物———吸血鬼と向き合っていた。




