04. ひびが、はいる1
牢の扉を開けた瞬間、コートニーが最初に思ったのは、「思ったより整った顔をしている」ということだった。
黒髪は乱れ、拘束のせいで着崩れた衣服には泥と血の染みが目立つ。それでも隠しきれない気品というものがその男にはあった。項垂れた首の角度ひとつ、組まれた指の置き方ひとつにまで生まれながらの高貴さが染みついている。金色の瞳がこちらを一瞥したとき、コートニーは思わず小さく息を呑んだ。
ああ、なるほど。これは確かに、色仕掛け要員が総出で挑みたくなる顔だ。
だが、その感想はほんの数秒しか続かなかった。
「治癒魔法をかけます」
そう告げて、傷の目立つ肩口に手をかざす。淡い光が滲み出し、裂けていた皮膚がゆっくりと閉じていった。得意分野のひとつだ。戦場でも幾度となく使ってきた機械的で正確、簡単な魔法だった。
「はい。終了です」
治療が終わっても、男は何も言わなかった。
礼のひとつもない。目線すら寄越さない。
(は?)
コートニーの中で、何かがピキリと音を立てた。感謝されたいわけではない。仕事だからやっているだけだ。それでもこれだけ丁寧に傷を塞いだというのに、無反応というのはさすがに癪に障る。
「質問に答えていただけますか。ライトリム軍の補給路について」
無言。
「では、王都の防衛体制について」
ダメ元で尋ねてみたが、もちろんこれにも反応はない。
脅すように、コートニーは剣の柄に手をかけた。牢の中に、鋼が鞘を擦る音が小さく響く。並みの捕虜であれば、これだけで震え上がって口を割るはずだった。
だが、男は身じろぎひとつしなかった。
金色の瞳が、まっすぐにコートニーを見返している。恐怖の色は、欠片も見当たらない。むしろその静けさは、こちらのほうが値踏みされているような錯覚を起こさせた。
「……なんなの、この人」
思わず口の中で呟く。
美しい顔をして、これだけ感じの悪い人間というのは、あまり見た覚えがない。腹黒なヨハンでさえ、表向きは愛想よく笑ってみせるものだ。なのに目の前の男は、愛想笑いのひとつもない。命乞いのひとつもない。ただ黙って、こちらを観察するように見つめている。
人間というより、精巧に作られた彫像を相手にしているようだった。
ヨハンは陰気臭い男だと言っていた。その意味も理解できる。愛想もなく、ただ沈黙を守ることでこちらの忍耐力を削ろうとしているのだとしたら、なかなかに性格が悪い。
でも、なんだろ。このモヤモヤする感じ。
コートニーは不思議なことに、男の態度に苛立ちながらも、どこかで、ほんのわずかに既視感を覚えていた。
理由はわからない。ただ、この頑なすぎる沈黙のかたちに覚えがあるような気がする。もちろん、すぐに気のせいだと判断した。この男に会うのは今日が初めてなのだから、既視感などあるはずがない。
なるほど。ひたすら面倒な捕虜を押し付けられたというわけか。
そう結論づけて、尋問を続けることにした。
「あなたが吐かないなら、私が傷つきますけど」
言いながら、コートニーは腰の後ろから短いナイフを取り出し、自分の左腕にその刃先を当てた。
これは、よく使う手だった。相手が優しさや同情を捨てきれない人間であれば、自傷をちらつかせるだけで動揺を誘える。もっとも、コートニーにとっては大した痛みでもない。少し切って、あとで医務室で治してもらえばいいだけの話だ。命の危険など、これっぽっちもない。
「やめろ」
初めて、男の声に感情が滲んだ。
内心、少しだけ驚いた。まさか本当に反応するとは思っていなかったからだ。
「どうしてですか?」
わざと挑発するように聞き返す。
「君の治癒魔法では、自分自身の傷は治せないのだろう」
「はい」
その通りだった。治癒魔法というのは、自分自身にはかけられない。だからこそ、いつも大怪我にならない程度を見極めて、自分の身を切る。長年の経験で培った、危うい線引き。だからこそ、他人にはオススメしない。
「俺が持つ情報は、君の命より重いとは思わない」
男が低く、静かな声で言った。
「そんなこと、聞いてみないとわかりませんよね?」
ナイフをわずかに押し当てる。皮膚に薄く傷がつき、赤い血が滲んだ。
男の顔が、わかりやすく歪む。
「上官の命令なら、命を投げ出すのも躊躇わないとでも言いたいのか」
「はい」
迷う余地などないというように、コートニーは即答した。
「私一人が死んで、多くの人が助かるなら本望です」
言葉だけを聞けば、模範的な兵士の台詞だった。忠誠、犠牲、大義。この国の軍人であれば誰もが叩き込まれる、綺麗事の見本のような答えだ。
だが、コートニーの内心は、その台詞とはまるで違っていた。
死ぬわけないでしょう。あとで医務室に行けばいいんだから。
浅く切って多少痛い思いをして、それで情報が取れれば御の字。取れなくても、傷を見せれば「頑張った」という評価だけはもらえる。
コートニーにとって、これは覚悟でも何でもない。ただの実利的な計算だった。捨て身の忠義者を演じることに、何ら痛みは伴わない。むしろ演技をしている間だけは、自分の本心を隠していられるという意味で、いくらか気楽ですらあった。
こういうところ、我ながら性根が曲がってるとは思うけど。
今日初めて顔を合わせた男に、こちらの打算が伝わるはずもない。
男の金色の瞳が、わずかに揺れる。何かを堪えるように、口元が引き結ばれた。
コートニーは内心でにやりとする。
あ、これは効いてる。
「さん、に、いち――」
ゆっくりとカウントダウンを口にしながら、腕に当てたナイフの刃に静かに力を込める。
「やめろ」
男の手が、コートニーのナイフを当てている腕を掴んだ。拘束具に阻まれているはずのその動きは、想像していたよりもずっと速く、そして強かった。
反射的に、コートニーの身体が動く。訓練によって骨の髄まで叩き込まれた動作――相手の力を利用し、その重心を崩し、優位な位置を取る。
気づいたときには、男を床に押し倒していた。
魔法剣士として幾千の戦場を駆け抜けたコートニーの身体能力は、拘束された捕虜の抵抗など容易く凌駕する。馬乗りになり、鋭い刃先を男の首元へと突きつけたコートニーの下で、男が息を詰めた。
至近距離で、金色の瞳が真下からこちらを見上げている。
その瞳を見た瞬間、コートニーの中で何かが、音を立てて弾けた。
――あ、ひび、が入る。
自分という存在の輪郭を保っていた何かに、亀裂が走る感覚だった。
次の瞬間、堰を切ったように記憶が流れ込んでくる。




