03. 敵国の王子を落とせ
戻ってきたばかりの兵士に休息を与えないというのは、この国の悪い癖だった。
コートニーがライトリム王国との前線から帰還したのは、昨日の夕方のことだ。三日三晩、泥と血の匂いしかしない場所で戦い続け、ようやく風呂に入り、ようやく人間らしい寝台で眠れると思った矢先、呼び出しの使者がやってきた。
行き先は王城。指名した相手は王太子ヨハン。断れるはずもない。
コートニーは着替える暇もなく団服のまま彼の執務室へ向かい、そこで聞かされた。
「敵国の王子を捕らえた。次期国王になる男なんだけどさ。陰気臭い奴で、全然口を割らないんだよ」
ヨハンは執務机の脇に置かれた椅子に、行儀悪く片肘をついて座っていた。
王太子という肩書きに反して、その仕草にはいつも品というものが欠けている。もっとも、それが計算された振る舞いであることを、コートニーは知っていた。この男は、力を抜いて見せることで相手の警戒を解くのが得意なのだ。
「情報を吐かせろって話ですか」
「察しがいいね。うちの拷問官たちが束になっても駄目だった。だから――」
ヨハンがコートニーを見る。値踏みするような、いつもの目だった。
「君がやって」
「なんで私なんですか?」
コートニーは即座に聞き返した。声に苛立ちを滲ませることに遠慮はない。上官相手だろうと、理不尽には理不尽だと言う。それが自分なりの、最低限の矜持だった。
前線から帰ってきたばかりで、ようやく休めると思ったのに。
口には出さない代わりに、心の中で盛大に愚痴をこぼす。ヨハンは、そんな彼女の内心などお見通しだとでも言うように、にやりと笑った。
「フランカもアニタもリアも撃沈した。残るはコートニー、君だけなんだよね」
「撃沈、ですか」
「うん」
名前の挙がった三人は、いずれもコートニーと同じ『銀薔薇の刃』に所属する暗部の女性工作員だ。美貌と知性を武器に敵陣の奥深くまで潜り込み、時には男の心を、時には国家機密を優雅に掠め取ってくる腕利きたちである。
その三人が全員、捕虜相手に不発に終わったという。
「だから、もしかしたらアイツの趣味が、そっちなのかもしれないと思ってさ」
「お言葉ですが、そっちとは?」
コートニーは低い声で聞き返した。答えがわかっていて、あえて聞いている。ヨハンの言葉尻を捕まえて、これ以上ないくらい遠回しに嫌味を返してやろうという魂胆だった。
ヨハンは悪びれもせず、むしろ楽しそうに続けた。
「華麗に策を巡らせる者を薔薇と呼ぶなら、君は戦場を切り裂く一筋の鋼だ」
「はがね……」
「花びらは散れば終わりだが、君の振るう剣と魔法は敵の喉元を穿つまで止まらない。今必要なのは飾りの花じゃない。折れぬ刃なんだよ」
コートニーはしばらく黙って、その言葉を咀嚼した。そして、静かに言った。
「それ、さりげなく貶してませんか?」
「最上級に褒めてるよ」
ヨハンは実に晴れやかな顔で言い放った。人を貶しているのか褒めているのか、本人にもよくわかっていないのかもしれない。あるいは、両方が同時に成立するということを、この男は経験則で知っているのかもしれなかった。
正直なところ、コートニーにとってはどちらでもよかった。褒められても嬉しくないし、貶されても傷つかない。自分はもう、そういう距離感で他人の言葉を受け取るようになっている。
素直に喜ぶには、自分はひねくれすぎている。それをよくわかっているからこそ、余計な期待もしない。期待さえしなければ、失望することもない。
「さ、ユリウス殿下に色仕掛けでも何でもして、さっさと口を割らせちゃって」
「色仕掛け……」
想像しただけで、こめかみのあたりが重くなる。得意分野を挙げろと言われれば、真っ先に「敵の首を落とすこと」と答えるコートニーにとって、それは異国の作法を要求されるのと同じだった。
「まあ、その部分はあんまり期待してないけど」
ヨハンはこちらの顔色を読んで、あっさりと付け加えた。
期待していない、という言葉のほうが、色仕掛けをしろと言われるより余程胸に刺さる。だが、反論する気力もなく、黙って続きを聞いた。
「でも、痛くない程度に。あ、殺しちゃ駄目だよ。一応王太子だし、VIP対応して尋問して」
無茶を言う。
だが、上官の命令は絶対だ。コートニーが生きてきた世界では、それがいちばん単純で、いちばん揺るがない法則だった。理不尽を飲み込む代わりに、生き延びる。感情を挟む余地なんてない。
「……御意」
「あ、それと。君の魔法で回復できる範囲でね」
「え」
さすがに聞き返した。人を傷つけずに済むなら、それに越したことはないと思っているから、治癒魔法を使うこと自体は苦ではない。だが、そこに含まれた意図には、思わず眉が寄った。
「君なら多少怪我をさせても治癒できる。なかったことにできるしね」
にっこりと笑うヨハンの顔は、銀の薔薇と称されるにふさわしいくらい美しい。整った顔立ちに、涼やかな微笑み。そのくせ、口から出てくる中身はどこまでも鬼畜じみている。
美しいものには棘がなくちゃ意味がない――以前、この男が自分の部隊の名を評してそう言ったことを、コートニーはふと思い出した。
ならば、この人自身も、その言葉の体現者なのだろう。美しく笑いながら、平然と部下に無理難題を押しつけるのだから。
「……御意」
これ以上何を言っても無駄だと悟り、もう一度だけ頭を垂れた。
謁見の間を出て、地下牢へと続く冷えた石の階段を降りながら、コートニーはぶつぶつと文句を垂れ続けていた。
「色仕掛けとか無理に決まってんじゃん。私、そういうの向いてないし。フランカ先輩たちでも無理だったことを、なんで私にやらせるわけ? それに、怪我は治せばいいって、それ絶対最初から怪我させる気満々じゃん。私はヨハン様と違って、サイコパスじゃないんだけど」
誰も聞いていない愚痴を湿った石壁に反響させながら、コートニーは牢へ向かう足を止めなかった。
止められるはずもなかった。
ヨハンの命令は絶対だ。それこそがコートニーの生存戦略であり、この歪んだ世界で自分の居場所をつなぎ止めるための、唯一にして最大の杭なのだから。
コートニーは深く息を吐き、鍵を受け取ると、牢の扉へと手をかけた。




