02. 私は、魔法剣士
孤児院というものは、優しさでできている場所ではない。
コートニーは、それを物心つく前から知っていた。
ギルテール王国の場末にある教会付属の孤児院に捨てられていたとき、彼女には名前すらなかった。名前をつけたのは、たまたまその日の当番だった修道女で、台帳に書きつけるための記号として、適当に響きのよさそうな名前を選んだだけだった。だから、コートニーという名前には、由来も祈りも込められていない。
それを知ったとき、彼女は特に傷つかなかった。傷つくほど、その名前に思い入れがなかったからだ。
ただ、幼い頃からひとつだけ、他の子供たちと違うところがあった。
魔力である。
孤児院の子供たちが飢えと寒さに震える冬の夜、コートニーの指先から、望んだわけでもないのに小さな光が灯った。それは温かかった。周りの子供たちが「魔女だ」と怯えて距離を取る中、彼女はその光を、誰よりも自分自身のために使った。
誰も助けてくれないなら、自分で灯りをつけるしかない。
そんな考え方を、彼女はこの頃にはもう身につけていた。優しさよりも実利。同情よりも生存。孤児院というのは、そういう哲学を叩き込むには十分すぎる場所だった。
十歳のとき、国の徴募官がやってきた。魔力の高い孤児を軍に引き取るという触れ込みだった。売られるのと大差ない話だったが、コートニーは迷わず手を挙げた。孤児院に残るよりも、剣を握るほうがまだ、自分の運命を自分で選んでいる気がしたからだ。
こうして彼女は、ギルテール王国正規軍『緋棘の大樹団』予備隊に組み込まれた。
予備隊での日々は、地獄と呼ぶにはいささか生ぬるく、天国と呼ぶには明らかに悪意に満ちていた。下働き、雑用、殴られても言い返せない下積み。同年代の孤児あがりの少年少女たちが次々と脱落し、静かに姿を消していく中で、コートニーはしぶとく生き残った。
死にたくなかったからではない。
死ぬのが、単に嫌いだったからだ。
十三歳になる頃には、正式に大樹団の団員へ昇格していた。剣の腕も、魔法の精度も、教官たちの想定を軽々と超えていく。褒められても、彼女はさして嬉しそうな顔をしなかった。ただ淡々と、次に自分がやるべきことをこなしていっただけだ。
そんな彼女に目をつけたのが、当時まだ王太子ではなかった第一王子ヨハンだった。
「面白い子がいるって聞いてね」
初めて言葉を交わしたとき、ヨハンはそう言って、値踏みするような目でコートニーを眺めた。まるで市場に並んだ商品を吟味するような視線だった。
自分とさほど変わらない年齢の王子の視線に、コートニーは不快感を覚えなかった。むしろ、正直な人間だと思った。優しさを装って裏で利用する人間より、最初から利用するつもりを隠さない人間のほうが、まだ信頼できる。
「殿下は、私に何をさせたいんですか」
「まだ何も。今はただ、君を見ているだけだよ」
その言葉通り、ヨハンは何年もかけて彼女を見続けた。そして頃合いを見計らったように、自らの直属部隊――特務魔法剣士隊『銀薔薇の刃』へと引き抜いた。
『銀薔薇の刃』は、王太子ヨハンの意向ひとつで戦場のどこへでも投入される、いわば刃の形をした王命だった。華やかな社交界に咲く薔薇とは似ても似つかない、血と泥にまみれた薔薇。だが、その名を口にするとき、ヨハンはいつも誇らしげだった。
「美しいものにはね、棘がなくちゃ意味がないんだよ」
そう嘯く上官に付き従って、コートニーは数えきれないほどの戦場を駆け抜けてきた。
現在、彼女は二十歳になっている。
剣の腕も、魔法の精度も、部隊の中で並ぶ者がいない。戦場での判断は速く、迷いもない。だが、その内面はといえば、褒められたものではなかった。すれていて、天邪鬼で、他人の善意を素直に受け取ることができない。それは、孤児院での日々が彼女に刻みつけた癖のようなものだった。
できれば、人を傷つけたくはない。
それが彼女なりの、ささやかな矜持だった。
戦場に立てば否応なく血を流すことになるとわかっていても、無駄に相手を苦しめるようなやり方は好まない。とどめは一撃で。苦しませるくらいなら、いっそ楽にしてやったほうがいい。
そんな歪んだ優しさを、彼女は自分の流儀として抱えていた。
けれど、それも「ヨハンの命令があれば」という前提つきの優しさだった。
ヨハンが「殺せ」と言えば、コートニーは躊躇わずに剣を振るう。ヨハンが「情報を吐かせろ」と言えば、相手がどれほど哀れな姿になろうと構わず追い詰める。
彼女にとって、ヨハンへの忠誠は、コートニーという人間を辛うじて社会につなぎ止めている、たったひとつの杭のようなものだった。
その杭さえあれば、他には何もいらない。家族もいらない。恋人もいらない。来世も、いらない。そんなもの、望んだところで手に入った試しがないんだから。
コートニーは、そう思って生きてきた。
彼女は知らない。自分がこれまでに、何度も生と死を繰り返してきたことを。
侯爵令嬢として愛した男がいたことも、男爵令嬢として再び恋に落ちたことも、平民としてすれ違った記憶があることも――そのすべてが、彼女の中から綺麗に失われている。
ただ、ときおり理由もなく、胸の奥が疼くことがあった。
夕暮れの色を見たとき。誰かが「また今度」と口にしたとき。名前も知らない花の匂いを嗅いだとき。
そのたびに、コートニーはひとりで眉をひそめた。
「……なに、これ」
説明のつかない痛みを、彼女はいつも剣の柄を強く握ることでやり過ごしてきた。理由のわからないものに、時間を割く余裕なんてない。
今日を生き延びること。明日も生き延びること。
彼女の人生は、それだけで手一杯だったからだ。
だから、その日――ライトリム王国との戦線で、ある捕虜が運ばれてくると聞かされたときも、コートニーはまだ何も知らなかった。
自分がこれから対峙する男が、幾つもの前世で、幾度も呼び続けた名前の持ち主であることを。




