01. また、来世で
死というものは、思っていたよりも静かだった。
ランベルゼ侯爵家の娘コートニーは、自分の胸元から広がっていく熱を、どこか他人事のように感じていた。鋭かった痛みも、水面に落ちた波紋が広がるように、じわじわと薄れていく。それとともに、命が少しずつ自分の手から零れ落ちていくようだった。
ああ、そうか。この身体はもう、自分のものではなくなっていくのだ。
すぐ近くで、ユリウスの声がした。
「どうして……俺を庇った」
王太子として、いつも落ち着き払っている彼の声が震えていた。コートニーは手を伸ばし、その頬に触れたいと思った。けれど、指はもう、意志の通りには動いてくれない。
「だって」
口を開くと、血の味がした。鉄に似た味の奥に、ほんの少しだけ甘さが混じっている。コートニーは息を継ぎ、言葉を続けた。
「あなたが死ぬほうが、嫌ですもの」
それは本当だった。侯爵家の娘として生まれ、剣も魔法も知らず、刺繍と詩歌ばかりを教え込まれてきたコートニーにも、それだけは確信できた。
刺客の刃は、ユリウスの背に届くはずだった。その前に割り込んだとき、ほかのことを考える余裕などなかった。
ユリウスが死ぬ世界に残されるよりも、自分が死ぬほうが、まだ耐えられる。
理由なんて、たったそれだけだ。
「コートニー……」
ユリウスの顔が近づき、金色の瞳が濡れているのが見えた。眠っているときでさえ、王族としての仮面を外さないのではないかと思うほど、隙のない人だった。だから、こんな顔を一度も見たことがなかった。
ねえ、ユリウス様。そんな顔もなさるのね。
取り繕うことさえできなくなるほど、自分は愛されていた。そう思うと、こんなときなのに、少しだけ嬉しくなった。
「また、来世で」
微笑んで、告げた。それが約束なのか、呪いの言葉なのかはわからない。ただ、この人ともう一度会いたい。その願いだけが、胸の奥に残っていた。
「ああ。必ず」
泣きながら、誓うようにユリウスが答えた。
額に、温かな唇が触れる。続いて頬に落ちた一粒の雫が、彼の涙なのだとわかった。誰かがコートニーをこの世につなぎ留めている糸を、一本ずつ切っていくように、身体から力が抜けていく。口づけの温もりを感じながら、視界はゆっくりと闇に沈んでいった。
*
目を開けると、赤い月があった。
大きく、いびつで、どこか病んだような色をしている。コートニーには、その月が自分を呼んでいるのだと、なぜかわかった。あの月まで歩いていけば、もう一度、生まれ変われる。誰かに教えられたわけでもないのに、そうとしか思えなかった。
足元には泥が広がり、裸足の足裏に小石や割れた瓦の欠片が食い込んでいた。痛みはあったが、先ほど命を落としたときよりも、ずっとはっきりと自分の身体というものを感じられた。
道端には白菊が咲き乱れ、墓標を思わせる無数の石が並んでいる。その間を縫うように、道は赤い月へと続いていた。
そこを歩いている魂は、コートニーだけではなかった。すぐ隣を歩いていた誰かが膝をつき、前を行く誰かは座り込んだまま動かなくなった。それでも、彼らを咎める者も、立ち上がらせようとする者もいない。赤い月だけが、変わらぬ位置から道を照らしていた。
「絶対に、会うんだから」
コートニーは呟き、足にまとわりつく泥を蹴った。もう一度、あの人に会う。その思いだけを頼りに、歩き続けた。足の裏が切れて血が滲んでも、白菊の間に伸びた茨が脛を裂いても、立ち止まらなかった。
「転生をすればするほど、もう人ではなくなるんだってさ」
少し後ろから、そんな声が聞こえた。けれど、コートニーは振り返らず、重くなった足をひたすら前へ運んだ。
この執念そのものが、すでに逃れられない呪いであることを、コートニーはまだ知らなかった。
生まれ変わりの門を一度でもくぐった魂は、二度と後戻りできない。望みが叶わぬ限り、幾度生まれ、死を迎えても、歩みを終えることは許されない。魂そのものが擦り切れ、永遠の虚無に呑まれるまで、愛しい男を追い求め続けるしかないのだ。
それが、この道を歩くという行為の、本当の意味だった。
何も知らないコートニーは、赤い月に向かって、ただ真っ直ぐに歩き続けた。足を前へ踏み出すたびに、あの人と交わした最後の言葉を繰り返す。
「また、来世で」
その言葉だけを道標に、彼女は次の生へと足を踏み入れた。




