10. ユリウス攻略法・リアの場合
力技しかない。
ただ、相手を物理的に組み伏せて降参させたところで、そこからどうやって甘い恋愛関係へ発展させればいいのか、魔法剣士に振り切って生きてきたコートニーの頭では到底思いつかなかった。
「脅して婚姻届に無理やりサインさせる、とか?」
大樹団の静まり返った回廊を、そんな物騒な独り言をぶつぶつ呟きながら歩いていると、突然、視界を塞ぐように大きな影が落ちてきた。
ぬっと目の前へ差し出される、一筋の小さな手。
驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは、フランカ達と同じ『銀薔薇の刃』の暗部に所属する女性工作員リアだった。
切り揃えられた漆黒の短髪に、感情の起伏をほとんど見せない切れ長の瞳。氷を思わせる端正な顔立ちも相まって、彼女には容易に他人を寄せつけない雰囲気がある。
コートニーと同じ二十歳で、ヨハンに拾われた時期もほぼ同じ。その後も『銀薔薇の刃』の過酷な任務をしぶとく生き抜いてきた、数少ない同期の一人だ。
同い年とは思えないほど妙に達観していて、何を考えているのかも滅多に顔には出さない。
「……なに?」
コートニーは、唐突に手のひらを差し出してきたリアを怪訝そうに見つめた。
「情報を渡すんだから、タダなわけないでしょ」
「情報?」
「あんたが男を落とす方法を探してるって、先輩たちが言ってた」
図星を突かれ、コートニーは思わず顔を背けた。眉根を寄せ、唇を噛む。
「あんたに好きな男がいるんだってさ」
「……ち、違うから。今後のためっていうか。仕事のためっていうか……」
「どうでもいい。事情なんて興味ないし」
リアはコートニーの必死の弁明など聞く気もないらしい。無表情のまま、再び手のひらをこちらへ差し出してくる。
「だから、その手は何なのよ」
「情報代。あたしの情報は間違いないよ」
あまりにも堂々と言い切られ、コートニーは呆れながらも、差し出された手のひらを見つめた。
リアの工作員としての実績は折り紙付きだ。どんな困難な潜入任務でも冷徹に遂行し、確実な成果を持ち帰ってくる。普段のマイペースな言動からは想像もつかないほど、その手腕は確かなものだった。
胃袋作戦とギャップ萌え作戦が壊滅的に失敗している以上、リアの助言もいまいち信用できないという気持ちはある。だが、今の自分が藁にも縋りたいほど追い詰められていることもまた、紛れもない事実だった。
「くっ……」
コートニーは渋々と団服のポケットから小銭入れを取り出し、硬貨を数枚つまみ出す。それをリアの手のひらへジャラリと載せると、チャリン、と甲高い金属音が静かな回廊に響いた。
「ありがと」
リアはようやく小さな笑みを唇の端に浮かべると、手にした硬貨を軽やかにポケットへ放り込んだ。
相変わらずちゃっかりしている。彼女はいつもこうだ。だが、渡される情報だけは常に的確で実戦的だからこそ、文句を言えない。
対価を懐に収めたリアは、周囲を軽く見回してからコートニーへ一歩近づき、声を潜めた。
「金をもらった以上、一番手っ取り早い方法を教えてあげる」
そうして知らされたのは、あまりにも直接的で過激なハニートラップ作戦だった。
「夜中に一人で意中の男の部屋に忍び込むの。あんたなら余裕でしょ?」
「よ、余裕かな……」
物理的には余裕だけど、精神的なほうは自信がないんですが。
コートニーは引きつった笑みを浮かべた。
「銀薔薇の魔女でしょ。余裕よ。で、ここからが有料情報」
感情の失せた黒い瞳で淡々と語るリアを見つめながら、コートニーはごくりと喉を鳴らす。
「対象者の前で服を少し崩して、体を許す覚悟で迫る。既成事実を作れば、男なんてイチコロだから」
「!?」
あまりにも身も蓋もない提案に、コートニーは思わず一歩後ずさった。
さすがに、それは一線を越えすぎではないか。そんな正論が頭をよぎる。
「……本気で言ってる?」
「工作員の基本。理屈で動かない男には、本能に訴えかけるのが一番確実。試してみれば?」
リアは淡々と言い切ると、それ以上の質問を受け付けるつもりもないらしく、素っ気なく背を向けた。そのまま、何事もなかったように回廊の奥へ歩き去っていく。
一人残されたコートニーは、安くない情報料を払って薄くなった小銭入れをぎゅっと握り締めた。
「ハニートラップ……夜這い……既成事実……」
頭の中で物騒な単語がぐるぐると渦を巻く。あまりにも毒が強すぎる劇薬だ。
だが、二度の作戦が見事に撃沈している以上、これくらい強引な手段に頼らなければ、あの頑なな男の鉄壁を穿つことはできないのかもしれない。
「そ、そうよね。転生をストップさせるには、そのくらいの覚悟が必要なのかも」
藁にも縋る思いとヤケクソな決意が入り混じり、コートニーは生唾を飲み込んだ。
*
リアに教えられた翌日の夜。
コートニーは夜間の見張り当番だった同僚に頼み込み、シフトを代わってもらっていた。
さすがに夜ともなれば、ユリウスも窓の外を眺めてはいない。コートニーの宿舎にある硬い寝台よりずっと上質なベッドに、彼は静かに横たわっていた。
少し眉間に皺を寄せ、深く目を閉じて眠る姿には、ライトリムを離れ、たった一人で敵地の捕虜となったことによる疲労が滲んでいるように見える。
それでも、悔しいほど美しい男だった。
指通りの良さそうな黒髪に、つい手を伸ばしかける。だが、指先が髪に触れる寸前で、コートニーははっとして手を引いた。
自分の中に眠る、ランベルゼ侯爵家の令嬢としての記憶と感情が騒いでいるのだと気づいたからだ。
侯爵家の令嬢だった頃のコートニーと、孤児院で育ち、必死に生きてきた今のコートニーは、育った環境も倫理観も、対極にいる人間のはずだ。それなのに、過去の記憶に引きずられ、いつまでも甘い幻影を捨てきれない自分自身に、無性に苛立ちが募る。
今の自分は、過酷な境遇の中でも前だけを向いて生き抜いてきた魔法剣士だ。いつまでも終わった過去に囚われている自分など、反吐が出るほど気に入らない。
コートニーは拳を強く握り締めた。
「……今世で、絶対に終わりにする」
暗がりの中、コートニーは団服のジャケットを脱いで椅子に掛けた。ブラウスのボタンを二つ外し、襟ぐりを少し乱す。
それから、意を決してユリウスのベッドへ歩み寄った。
ドキドキと、胸の奥で心臓がうるさいほど跳ねている。
「ハニトラ、既成事実。できる。私ならできる……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、コートニーはユリウスの上にそっと跨った。
そこまでは勢いで来られた。
問題は、ここからだった。
乗ったはいいものの、このあと一体どう動けばいいのか、さっぱりわからない。
知識としての男女のあれこれなら知っている。けれど、工作員のように色仕掛けの実技訓練を受けたわけでもない。ただ闇雲に馬乗りになったこの状態から、どうやったら世に言う既成事実とやらに持ち込めるというのか。
……えっと、服を脱がせる? いや、脱がせてどうするの? 抱きつく? それとも、いきなりキス……!?
過激すぎる思考が頭の中をぐるぐると駆け巡り、コートニーは馬乗りの体勢のまま完全に固まってしまった。自分の心臓の音だけが、耳元でやたらとうるさく響いている。
そのとき、ふと疑問が浮かんだ。
「……というか、こんな怪しい奴に襲われかけてるのに、微動だにせず眠っていられるって、この王子、危機管理能力やばくない?」
耐えかねて思わず呟いた、その瞬間だった。
長いまつ毛がゆっくりと持ち上がり、ユリウスの目がすうっと開く。
「あ」
間抜けな声が漏れた。
夜の闇の中でも鮮烈に浮かび上がる、氷のように冷たく澄んだ金色の瞳が、コートニーをじっと見つめている。
時が止まったようだった。
コートニーは指先ひとつ動かせなくなった。開いたままの口を閉じることすら忘れ、ただ息を飲んで固まる。
心臓が跳ね上がり、血の気が引くと同時に、顔へ一気に熱が集まっていく。
こ、これは、まずいのでは?
ブラウスのボタンを外し、襟ぐりを乱した状態で、捕虜の男の上に跨がる女団員。どう言い訳しようが言い逃れのできない、完璧な変質者の構図が完成していた。
ユリウスは取り乱す様子もなく、眉ひとつ動かさない。ただ、己の上に跨がるコートニーを、静かに見つめている。その圧倒的な冷静さと無言の威圧感に気圧され、コートニーは金縛りに遭ったように真っ赤な顔で固まった。
「……まさか、お前にここまで気に入られているとは思わなかった」
ユリウスの薄い唇に、ふっと嘲笑が浮かぶ。
心臓が、どくりと大きく跳ねた。
「それとも、俺を油断させて、情報を吐かせるための『甘い罠』のつもりか?」
その言葉に、コートニーはようやく気づいた。
どうやら、完全に勘違いされている。
違う! 違うけど、違うって言えない!
魔力遮断の腕輪がジャラリと冷たい金属音を立てた。
あっ、と思ったときには遅かった。
視界がぐらりと揺らぎ、次の瞬間には背中にどさりと重い衝撃が走っていた。
一瞬の反転だった。コートニーの手首は無造作にベッドへ押しつけられ、今度は自分がユリウスの下で完全に押さえ込まれている。
「……っ!?」
捕虜の身であり、魔力を封じられているはずの男。それにもかかわらず、手首を押さえる腕力は驚くほど強く、逃げ出す隙すら与えてくれない。
見上げる位置にあるユリウスの顔が、すぐそこまで迫っている。整った眉の間にはわずかな冷気が宿り、金色の瞳がコートニーを真っ直ぐ見下ろしていた。
「いい度胸だ、魔法剣士」
至近距離で叩きつけられる低い声と熱い吐息に、コートニーの頭は完全にフリーズした。
「だが……毒を食らわば皿までと言うだろう? 覚悟もなしに、男の部屋に入ってきたわけではないのだろうな?」
は? なに、この人。急に距離感バグってない!?
頭の中では猛烈にツッコミを入れたいのに、身体が完全に固まって動かない。
王子特有の高貴な色気と圧迫感をゼロ距離で叩きつけられ、コートニーの思考は真っ白に凍りついた。
「あ、えっと……あの……っ!」
日頃の減らず口も天邪鬼な強がりも、何ひとつ機能しない。真っ赤になった顔を隠すこともできず、コートニーはユリウスの下から必死で這い出すと、ベッドから転がり落ちるように逃げ出した。
そのまま背を向け、なりふり構わず寝室を飛び出していく。
背後から、ユリウスの冷ややかな声が追ってきた。
「……仕掛けてきた割には、あまりにも慣れていない様子だったが。あの女、一体何が目的なんだ?」
「絶対、さらに状況を悪化させたじゃん!!」
コートニーは乱れた髪と開いた胸元を必死で手で押さえながら、廊下を脱兎のごとく駆け抜けた。心臓がうるさいほど肋骨を叩き、顔から火が出そうなほど熱い。
好かれるどころか、ユリウスからの警戒心がさらに強くなったことだけは、嫌というほどわかっていた。
角を曲がったところで、同僚の団員と鉢合わせそうになり、コートニーは慌てて足を止めた。
「コートニー、どうした?」
息を荒らげ、真っ赤な顔で胸元を押さえているコートニーの尋常ではない様子に、同僚が怪訝そうに眉をひそめる。
「あ、えっと……腹痛! 急に猛烈なお腹の痛みが……いてて」
「は? 腹痛……?」
「そう! 悪いけど、今日の王子の見張り、代わってもらってもいい!? 本当にごめん!」
半ば叫ぶように言い捨てると、コートニーは返事も待たずに同僚の横をすり抜け、自分の部屋を目指して猛ダッシュで廊下を駆け抜けた。




