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第七章:芳しき乙女の国(二十三)

 その夜、竜宮殿では旅立ち前の最後の宴が催された。


 季武、頼光、金時が席に着き、遅れて澪も静かに合流する。香り高い海の幸が次々と運ばれ、食卓を賑わせていた。


 澪は浦島への共感と、季武や頼光の前で涙を見せてしまった気まずさが交錯し、視線を落としたまま黙々と食事を進めていた。乙姫の前ということもあり、再び布を頭から被っていたことが、今はむしろ救いだった。


 金時が「やっぱり美味しい」「明日には食べられなくなるのが残念」と笑いながら場を和ませる。

 やがて食事が一段落した頃、頼光が膳を整えながら口を開いた。


「昨日、浦島殿から許可を得て風の一座が寝泊まりしていた入江を調査しましたが、すでに痕跡はきれいに消されており、有力な手がかりは見つかりませんでした」


 乙姫は頷きながら、黙って耳を傾けている。


「ですが、町で聞き込みをする中で、彼女らの絵姿を描く方に出会い、その方に人相書をお願いすることができました。他の住民の証言も加え、主要な人物の容姿については大体把握することができたのではないかと思います。」


 そう言って、頼光が懐から取り出した数枚の人相書を乙姫に渡す。

 その紙を手に取った乙姫の隣で、後ろに控えていた浦島も身を乗り出した。


「……これは……私どもの方でもご用意しようとしていたのですが、はるかに精密ですな。確かにこの人相は正確だと思われます」


「そうですね、私も一人一人を覚えているわけではありませんが、確かにこの絵を見ると、こんな方がいたなと光景が思い浮かびました。とても精巧な人相書だと思います。よろしければ、この人相書を描いていた人物を後で教えていただいても?」


 浦島に続いて乙姫も一枚一枚丁寧に人相書を見つめ、頼光に人相書の作者を尋ねた。


「もちろんです。これは人相書という形式で描いてもらったものですが、演舞の様子を模写した絵を街で売っていたのです。おそらくしばらくは同じように商売をしていることでしょう」


「ありがとうございます。良いことを教えていただきました。」


 乙姫が静かに浦島に視線を送る。


「……太郎、急ぎませんのでその者を探して来てください」


「はっ、承知いたしました」


 必要な報告を終えると、場の空気は自然と落ち着き、あとは明日の出立の段取りを浦島と頼光が交わしながら、晩餐の席はお開きとなった。



 *



 宴が終わった後、浦島は自身の食事を早々に摂り、控えの間に戻って帳面の確認の続きを行なっていた。


 しかし筆を持つ手は進まず、思考は澪と季武との会話へと逸れていく。


(私が月守の血を引いている可能性が高いと言っていた……。このことを乙姫様にどうお伝えするべきか…)


 主人には報告すべきと考えていたが、乙姫はその立場ゆえか血筋ゆえか、月守の一族に関することになると盲目的になるきらいがあった。


 血の濃さこそ分からないが、自分が月守の血を引いているという可能性を伝えてしまえば、乙姫が自分から距離を置いてしまうのではないか、という不安があった。


 自分が慕うべき主人から、反対に敬われるようになることは全く望んでいない。むしろ部下という距離だからこそ乙姫が見せる気やすさが自分の生きている上での喜びだった。


(しばらくは……黙っていようか……)



 その時、良く知る気配が近づいていることに気がついた。


 すぐ後に戸が静かに叩かれる。


「……太郎、今いい?」


「もちろんです」


 予想通り、乙姫の声が控えの間に静かに響いた。

 浦島の返答を待って、戸が控えめに開かれる。


 主人の入室に、浦島は立ち上がって入り口まで出迎える。


 儀式用の装いではなく、簡素な小袖を身に纏い、髪も飾り気のないまま自然に流されている。

 軽装でも神秘的な雰囲気は漂っているものの、気配は柔らかく、外見の年齢相応の女性となっていた。


 乙姫は戸を閉めると、迷いなく浦島へと歩み寄り、その胸元に顔を預けるように抱きつく。


 不意の接触に浦島の心臓が跳ねる。だがその感情を悟らせぬよう、静かに彼女の肩に手を添える。


「……どうされましたか?」


 乙姫が浦島の胸元に頭を埋めたまま喋らないので、浦島が柔らかく問いかける。


「今日陰陽師と占いをしたのだけど、良かったことと、悪かったことがあったの」


「そうだったのですね」


 質問はせず、乙姫の肩に置いた右手を滑らせ背中をぽんぽんとあやすように叩く。

 自分にしか見せない姿と距離の近さには思わず頬が緩んでしまうが、そう見せないように唇を引き結んでいた。


 やがて話す気になったのか、乙姫が腰に回していた手を緩める。

 浦島もそれを汲み取って、手をほどいた。


 滑るように来客用の長椅子に腰掛け、ため息をつきながら節目がちに口を開いた。


「陰陽師が、私と貴方の未来を占ってくれたの。同じく易を根源とする術でね。そして出た掛が”沢山咸たくざんかん”だったわ」


 占術の心得のない浦島は、その答えが乙姫の言う良かったことと悪かったことどちらに属するのか判断がつかなかった。


「それは、どういった結果なのでしょうか?」


「……最良の結果と言っていいんじゃないかと思うわ。男女の心が通い合うとされる掛よ」


 そうさらりと告げる乙姫に、浦島は思わず息を呑む。


「それは……僥倖ですね…」


「そうなの。でもね、ここからが悪い話なんだけど、その未来を引き寄せるための助言として、感情に流されないこと、役割から逃げないことが鍵だと言われたわ」


 どんな最悪な話が待っているのだろう、と身構えていた浦島にとっては意外な内容だった。

 思わずきょとんとする浦島に、乙姫は少し気分を害したように唇を尖らせる。


「私が港守の行く末について占うと言ったでしょう?その結果も関係あるの。彼のことを考えるのであれば、私が港守の心を解せるよう話をしなければならないのよ。役割って、きっとそれも含まれているんだって思ったの」


「なるほど、そう言うことでしたか。」


 浦島はそれを聞いて、合点がいったと言うように頷く。

 乙姫は見た目こそ浮世離れしていて、苦手なことなどないような超越した存在のように見えるが、実際は苦手なことがとても多いと言うことを、浦島は共に過ごした年月の中で理解していた。


 彼女はそもそも男性が苦手だった。


 港守は元々前任の竜宮家当主の代から仕えており、水の国のまつりごとの中でも財と外交に関する業務を担っていた。そのまま行けば当主の右腕となることは間違いないとされていた。しかし、乙姫が男性を苦手としていたため、彼女が当主になってから、頭打ちになってしまったのだった。乙姫が優秀な女性を起用し、自分の身を固め始めたからだった。


 港守はその潮流を見て、当主は女性の活躍の場を増やしたいというお考えなのだろうと心の整理をつけていたが、そんな中ぽっと出の浦島がめきめきと地位を上げ、港守の望んでいた立場に収まってしまった。



 そのため、浦島を目の敵にし、実際に陥れる算段を立てていた時期もあった。


 そうして乙姫の判断で、”港守”という重要度が低くはないものの、物理的に竜宮殿から離れた役割へと異動させることにしたのだった。


 また乙姫は、交渉ごとも苦手だった。

 そのため港守を異動させる時にも、ろくに話もせず言葉少なにただ辞令を述べただけだった。


 そんな彼女にとって、禍根を残してしまった港守に改めて向き合うということは他人が思うよりも大きな壁だった。


 浦島もそれを理解していたため、なんだそんなこと、と馬鹿にすることはせず、控えめに寄り添う。


「……あなたなら平気なのに…。なんでなのかしらね?世の男性たちが皆、太郎になってしまえばいいのだわ」


 少女のようなあどけない顔と、水の国の海を閉じ込めたような少し潤んだ艶やかな瞳で冗談か本気かわからない発言をして浦島を見つめる。


「それは流石に私が嫌ですね。乙姫様のお心と時間を、私が独り占めできなくなってしまいますから」


「……もう、冗談よ。そんなこと言われたら調子が狂うわ」


 思わぬ形で愛を告げられ、乙姫の陶器のような白い肌に赤みがさす。


「ふっ、思ったことを言っただけですよ」


 それを微笑ましいと思いながら浦島が見つめていたが、内心では乙姫が尋ねる前の思考に引き戻されていた。


(乙姫様が私に苦手意識を持たなかったのは、私が月守の血を引いているからかも知れない。……たまたま月守一族の男性に会ったのが私が初めてだったというだけで。この方が自分に興味を持ったのも、苦手という感情が芽生えなかったから、というのが始まりだった。)


 乙姫が尋ねるまでは、自分への態度が変わることを恐れていたが、そもそも自分が乙姫にとって唯一の存在ではないかもしれない、という可能性に気づいた浦島は、今日聞いた話を自分の胸の内に仕舞い込もうと固く決意した。


「でも向き合わなければ、貴方にもいつか迷惑がかかるでしょうし、港の管理もこのままでいいはずがないものね……。なんとかしないといけないわ」


 諦めと決意の間で揺れている乙姫が、自分の頭で思っていることをそのまま喋るように独りごちている。


「私も逃げていた問題ですから。お一人で解決する必要はございません。共に方法を考えましょう」


 そう言って、座る乙姫の前に跪き、浦島はそっと彼女の手をとった。


 隠し事をしているという罪悪感を忠誠心で上書きするかのように、手に取った乙姫の白い手の甲に口付けを落とした。

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