第七章:芳しき乙女の国(二十一)
三人が捜査を終えたあとは、帰り支度を整えるべく、それぞれの宿舎へと戻っていった。
空が藍に染まりはじめ、竜宮殿の灯りが一つ、また一つと揺れながら点る頃――
澪は宿舎の窓辺で、その柔らかな光の粒を見つめていた。
(今夜……浦島さんから、何を聞けるのだろう)
胸の奥に、張り詰めたような緊張が静かに息づいている。
その高鳴りを鎮めようと、澪は深く息を吸い、そっと吐き出した。
すると、戸の向こうから控えめなノックと共に、季武の声がした。
「澪さん、準備できとる?」
「……はい。大丈夫です」
扉を開けると、季武が朝と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「じゃあ、行こか。何か役に立つ話が聞けるとええな」
「…はい。季武さん、もし横で見ていてお気づきのことがあれば、教えていただきたいです。なんだか緊張していて……」
「そら、もちろん。……一蓮托生やで」
「ふふっ、そうでしたね。ありがとうございます」
季武の言葉に澪はふっと肩の力が抜けるのを感じた。
二人は並んで朝と同じように浦島のいる控えの間まで向かった。
*
控えの間の前に立つと、中からほのかな灯りが漏れていた。
澪が一歩進んで静かに戸を叩く。
「浦島さん。お時間をいただけますか」
「どうぞ、お入りください」
応える声は前回よりも柔らかく、澪の緊張をわずかに解いた。
控えの間の中は静かな光に包まれていた。
帳面を脇に置いて、羽織の袖を整えた浦島が、すでに座して二人を迎える体勢を整えている。
「……再びお越しくださり、ありがとうございます。望月殿、卜部殿」
「こちらこそ、お時間をいただき感謝いたします」
澪が膝をついて深く一礼し、その隣に並んで季武も続く。
「どうぞ、お掛けください」
浦島の促しに従って、二人が今朝と同じように長椅子に腰をおろす。
二人が椅子に座ったのを見届けて、浦島は緊張を解くように息を吐き、静かに口を開いた。
「……今からお話しすることは、乙姫様以外にお伝えしたことがありませんので、もう私も口にするのが随分と久しぶりになります。ですから、説明に至らぬ点があるかも知れません。それを、先にお詫びしておきます。」
「承知いたしました。ぜひ、よろしくお願いいたします」
澪が頭を下げ、季武も澪と同様に軽く頭を下げる。
そうして浦島は遠い記憶をたぐるように目を伏せて話し始めた。
「……私の母はかわいそうな人でしてな。妾にもなれない女でした。母から、父は由緒のある貴族の家系であったと聞いております。気まぐれに手を出され、屋敷に迎えてくれるという甘言に惑わされ、そうして生まれたのが私と言うわけです。……私は父に会ったことはありませんでした」
澪も季武も語られる壮絶な過去に何も言えず、ただ浦島の邂逅に耳を傾ける。
そうして語られた浦島の話は次のような内容だった。
父親のわからない子どもを抱えていては故郷で生活することもできず、赤ん坊の浦島を連れて流れ着いたのが海辺のこじんまりとした漁村だったという。
そこで母は毎日身を粉にして働き、幼い頃から浦島も日々の食糧を得るために外へ出ていたが、浦島自身も”父親がいない子ども”として村の子どもからいじめられることも少なくなかった。
母と子で貧しい暮らしを続け、浦島が青年になるにつれ、母も体を悪くして働くことができず、そんな母を浦島は支えていた。
そうして浦島も誰とも親しくなることなく歳を重ね、40歳を手前にした頃に病気で母が亡くなったのだった。
母がなくなり、この世に未練も無くなったために、後を追うように死のうと思い、満月の晩に海で入水しようとした時、気がつけばここへ辿り着いたと言うことだった。
祖母の本で知った内容と相違はなかったものの、直接人生として語られる話の重みに、澪は言葉を失っていた。
浦島に対しての思いはもちろんのこと、子どもを一人産み育てた浦島の母にもやり場のない感情を抱えていた。
「……あまり聞いていて楽しいお話ではなかったでしょう。私がここへ来るまでの話はこんなものです。……何か参考になることはありましたかな?」
浦島が切り上げた後にも、その衝撃を飲み込みきれず、澪は咄嗟に反応ができなかった。それを見ていた季武が助け舟のように横から口を挟んだ。
「話しづらいこと教えていただいて、ありがとうございます。死のうとした直前のことを教えていただきたいんですけど、何か死ぬ間際に持ってたものはありませんでしたか?」
澪は季武の助け舟に感謝しつつ、浦島の方へ顔を向ける。
季武もイントネーションこそ京言葉だったが、いつもの軽い口調ではないことから、彼も浦島の過去への敬意を払っているように澪には感じられた。
浦島は季武の問いに驚いたような表情を浮かべる。
「……どうしてそれを?……実は、母が生前唯一父からもらったと言っていた書を、母の形見として持って死のうとしていました。……もしや、それがここへ来たことと関係が…?」
「ホンマですか……。ええ、実はそうでなければ説明がつきませんでして。これはここだけの話にしてて欲しいんですけど、月守の力を借りずにここへ来るにはいくつか条件があるんです。」
そうして季武は澪に話したことと同じ月守の血を引くものにできると思われる条件を浦島に伝えた。
「……なるほど。そういうことだったのですね。……しかし、私の父が月守の血を引いていたと言うことなのでしょうか……?現世の貴族の男だと思っておりましたが…実は月守の人間だったのでしょうか……?」
腑に落ちないと言うように浦島が考え込む。
「お母様が残していたと言う本はどんな内容だったのですか?」
澪もようやく気持ちの整理がつきはじめ、浦島に問いかけた。
澪の質問に対して浦島は申し訳なさそうに言う。
「それが……、当時の私は文字が読めず、その本の中身を読んだことが一度もなかったのです。それに本は、こちらへ来た時にはすでになくなっており……」
「……そうだったのですね。…たとえば表紙だけでも覚えているものはありませんでしょうか?」
浦島はかすかな記憶をたぐるように額に手を当てて考える。
「もしかすると、記号として……であれば、ぼんやりと思い出せるかも知れません…」
そう言って浦島が紙と筆を手に取り、記憶を手に移すように筆を動かす。
浦島が思い出せた文字は次の二文字だった。
”竹”、”物”
「確か……表題は……四文字だったと思いますが、思い出せるのはこの二つだけですね……」
(間違いない。竹取物語だ……)
それは澪の手元にある本の最後に書かれている話と一致していた。
申し訳なさそうにする浦島だったが、澪にはすでに十分な情報だった。
「……ありがとうございます」
「……お役に立てたならよかったです」
澪の表情を見て、無駄ではなかったと察した浦島は安心したように息を吐く。
「それで、望月殿も私と同じようにここへ来たということですよね。…よければここへ流れ着いた異端者のよしみとして、貴殿がここへ辿り着いた経緯を聞いても?」
澪はなんとなく、浦島には話せそうな気がして、自然と自分の話を語り始めていた。
それは、浦島の母が男性に虐げれた経験があると分かったからことも影響しているのだろうと頭の片隅で考えていた。
できる限り昔の人にも伝わる言葉を選びながら、澪は当時の話を思い返す。
「浦島さんはもうお気づきかも知れませんが、私は女でして」
「昨日お顔を拝見したときに薄々思っておりましたが、やはりそうですか……」
「ええ、それで……実は現世にいた時、自分のやりたかった仕事がようやくできる……という時に、一緒に働くことになる上の立場の人から体の関係を迫られまして……」
そこまで言った時、目の前の浦島ではなく、季武の方から息を呑む音が聞こえた気がした。浦島はものを言わず続きを待っている。
「……ですが、私にも多少武道の心得がありまして、身を守って窮地は脱したのです。特に私に対してお咎めがあったわけではないんですが、私自身そんな人がいる組織で働くことができるのか、そうまでしてしがみつかなくてはならないのか……そんなことをぐるぐると考えるようになりました。そこで、気持ちの整理をつけたくて母の実家へ帰りました。母の実家で祖母の遺品の本を受け取り、それを持って近くの神社を訪ねたとき、……気がつけばここへ来ていたのです」
話をしながら、澪は徐々に以前より嫌悪感や恐怖心が薄まってきているのを感じた。
澪の話を聞いて、浦島が言葉を選ぶようにとつとつと話す。
「それは……辛いことを経験されましたね……。教えてくださって、ありがとうございます。……この月世は月守命という女性が治めていますが、今月世で起きている行方不明事件の被害者は全て女性です。……例え女性の統治者だとしても、女性に優しい国ではないのが実情だ。……私はこの世界が母のような人が生まれない世界であって欲しいと願っていますが、自分の力不足を日々痛感しています」
浦島の語る話には、母への愛を起点とする慈愛に満ちた憤りが感じられた。
ふと浦島が立ち上がり、澪の前に来ると恭しく膝をついて頭を下げる。
「望月殿は私と違って、また現世へ帰られるのかも知れませんが、……少なくとも月世におられる間、私は貴殿の味方になりましょう」
「っ!!浦島さん!!顔をあげてください!!」
澪は焦って立ち上がり、浦島の肩に触れて体を起こすがびくともしない。
やがて自分の意思で体を起こした浦島が、澪に向き直りながら続ける。
「……これは私の勘に過ぎませんが、貴殿は私より遥かに役割を負ってここへ来られたように感じます。それはきっと前途多難な道のりとなるでしょう。ですから、味方は多いに越したことはありません。」
「……ありがとうございます。そう言っていただけるととても心強いです」
恐縮しながらも、澪の心には温かいものが込み上げていた。
「……浦島さんの勘は、きっと月守の血がなせる技やと思います。これからもその勘は大事にされた方がよろしいかと」
澪へ話す浦島に季武が助言をした。
ふっと浦島が笑みを浮かべる。
「陰陽師殿に言われると、心得なければなりませんな」
「浦島さん、今日はありがとうございました。明日でここを去りますが、最後に浦島さんの信念に触れられた気がして、このお話をさせていただいてよかったと心から思っています」
澪は浦島にさまざまな思いを込めて、深々と礼をした。
踏み込むか踏み込まないか、その二つで悩んでいたのが嘘のように、澪の心は晴々としていた。




