第七章:芳しき乙女の国(十五)
澪と金時は並んで竜宮殿へと戻っていた。
澪の胸には、先ほど広場で出会った男とのやり取りが、かすかな重さとして残っている。
腕を掴まれた感触はすでにないはずなのに、心のどこかで、じんわりと疼いていた。
金時がそんな澪を気遣うように、そっと声をかけた。
「澪ちゃん……さっきのことで疲れてるんじゃない?」
「……大丈夫だよ。ありがとう。金ちゃん」
澪は少しだけ微笑んで、ゆっくりと首を振った。
「だったらいいんだけど……いや、変な言い方になっちゃうけど、さっきの澪ちゃん、すっごく凛としててかっこよかったな〜」
金時は少しでも場の空気を和ませようと、明るい口調で続けた。
「……あまりにも身勝手だなって思って、気づいたら口が勝手に動いてたんだ。向こうが先に仕掛けてきたとはいえ、手まで出してしまったし……反省してるよ」
「そんなことないよ。その女性もきっとあの場にいたら、救われた気持ちになったんじゃないかな…って、オレは思うよ」
「そう……なのかな」
金時の言葉にふと、澪は内省的な顔を浮かべた。
(私は、いなくなった女性に自分を重ねて憤ってたんだな。さっきの人に思ったことは、そのままあの時の自分が思っていたことだった)
思い出すのは、自分がかつて誰かの都合で利用されかけ、夢を絶たれたあの日。
あのとき何もできなかった悔しさと、逃げるようにここに来てしまったことへの複雑な安堵。
(私なんかより、もっと長く耐えて、苦しんで、……でもそれでも逃げることを選ばざるを得なかった人たちが、あの“いなくなった”女性たちなんだ)
彼女たちは今どこにいて、何を想っているのだろうか。
澪は胸の奥で静かに拳を握り締め、目を伏せた。
(行方不明の女性が何を思い、何をしているのか、私は知りたい……)
例え御伽草子につながらなかったとしても、この世界でそれを知ってしまった者として、真相を知りたいという決意を固めていた。
その時、金時が前方を指差した。
「……あ、あそこ! 頼光さんたち、もう戻ってきてるっぽい!」
竜宮殿の前庭には、頼光・季武の姿があった。
澪と金時はそのまま駆け足で近づく。
頼光がすぐに澪たちの姿に気づき、小さく頷いて歩み寄った。
「おかえり、二人とも。なかなか戻ってこないから心配したよ。」
「それが…ちょっと広場で面倒なやつに絡まれちゃって…」
「……なんだって? 澪さん、大丈夫だったのか?」
頼光の声が鋭くなる。
澪は少しうつむきながらも、落ち着いた声で答えた。
「え、ええ…。その人が二日前にいなくなった女性と結婚するはずだった男性だったんです。調査があまり進んでいないことを理由に怒っておられたんですが、女性がいなくなったことが悲しいというよりも、自分に非があって女性がいなくなったという評判が出回っているようで、その憤りをぶつけられたような感じでした」
「そうそう、澪ちゃんめがけて掴みかかって行ったから、オレも止めに入ろうとしたけど……結局、澪ちゃんが一人で対処しちゃった」
「……それは危ないことしはるなぁ」
季武が呆れ混じりにつぶやく。
「澪さん……。怪我はないのかい?」
頼光が澪を気遣うように体を見回す。
「大丈夫ですよ!」
「掴み掛かられた、って言うてたけど、どこ掴まれたん?」
問題ないと答える澪に、季武が食い下がるように尋ねる。
それに金時が咄嗟に答える。
「肩と二の腕のあたりだよね?特に二の腕はかなりの力で掴まれてた」
「さよか……」
季武が金時の話を受けて、躊躇いなく澪の腕を手に取り、着物の袖を二の腕が見えるように捲り上げる。
「え!?」
「卜部殿……!」
澪自身も何をされているのか理解が追いつかず、気がつけば自身の左の二の腕が晒され、白い肌があらわになる。
二の腕には、男の指の力によるものと思しき青い痣が残っていた。
「うわ、澪ちゃん痕が残っちゃってる…!気づかなくてごめん……」
「これは……大丈夫ってわけにはいかんやろ」
そう言いながら、季武は痣の縁を指でそっとなぞる。
「……っ」
澪はくすぐったさと驚きに、思わず身を強張らせた。
その一連の動作に、頼光と金時がびっくりしたように季武を見る。
「季さん……なんで今触ったの…?」
金時が澪の気持ちを代弁するかのように若干引き気味で季武に質問する。
「澪さんが強がりやから、痛みないかと思って確かめたんよ」
季武はさも当然のことをしたと言わんばかりに答える。
「もう離してもいいでしょう……。澪さん、この痣であれば数日で消えるとは思うが、痛みに効く薬草がもらえないか聞いておくよ」
「いえ!痛みはありませんのでそこまでしていただかなくても、本当に大丈夫ですから!それより、港で船の出入を管理している港守にもお会いしてきた話をさせて下さい!」
周りから心配されることが気まずくなり、澪は自分から無理やり話題を変える。
「澪さんが言うなら……。立ち話もなんだし、一度俺の部屋に集合しよう」
頼光の提案に、一同はうなずいて場所を移すことにした。
*
頼光の部屋に集まった四人は、調査の成果をそれぞれ持ち寄り、情報の共有を始めた。
「――風の一座が今回の行方不明事件に関与している可能性は高い。ただ、既にこの国を離れてしまっていては、痕跡を追うのが急務になる。水の国の警備は浦島殿たちに任せ、我々は早めに動いた方がいいだろう」
頼光がそうまとめると、季武が腕を組んでうなる。
「せやけど、せっかく手がかり掴んだんやし、人相書だけでも町の人らに聞いて回ってみたほうがええかもしれへん。闇雲に探したら、また後手に回るかもしれませんやろ?」
「じゃあ、明日1日くらい聞き込みに専念して、明後日くらいに出立って感じ?」
「そうだな、そうしようか。浦島殿は座長の顔を覚えているようだったから、人相書は用意してもらうように俺から掛け合っておこう」
そうして、出発までの段取りが決まりかけた頃――
頼光の部屋の戸が、控えめにノックされた。
「……どうぞ」
頼光が応じると、引き戸が静かに開き、浅葱色の羽織を着た浦島が姿を現した。
「皆さまお揃いでしたか。乙姫様が、今宵の進捗をお聞きになりたいとのことでして。……晩餐を兼ねて、どうかお越しいただけますかな?」
その一言に、場の空気がふっと和らぐ。
「ありがたいお誘いだな。ちょうど腹も減っていたところだ」
金時が笑って立ち上がると、他の三人もそれに続いた。
こうして四人は、乙姫の待つ晩餐の間へと向かっていった――。




