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第七章:芳しき乙女の国(十四)

 港での調査を終えた澪と金時は、竜宮殿へ戻るために水路沿いの白い石畳を歩いていた。

 空も赤く色づき始め、潮風には昼間とは違う、夜の湿り気が混じりはじめていた。


「オレ、今回腕っぷしで呼ばれたようなものだから、学なんてないし、いろんなことが絡んでて、だんだん訳わかんなくなってきたな〜」


 金時が肩を回しながら苦笑いする。


「私は金ちゃんのこと、学がないなんて思わないけどな……」


「え〜?いっつもさっちゃんに、呆れたような目で見られてるよ!」


(それは学というより……女の人への態度のせいじゃ……)


 と澪は口には出さずに心の中でそっと呟く。


「さっきだって、私は港守の人が怖くて怯んじゃったけど、金ちゃんが大事なことを聞いてくれてたから、すごく心強かった。それにいつも私たちの空気が悪くならないように気をつけてくれてるでしょう?座学の経験は少なかったとしても、金ちゃんは的確に臆せず質問する力とか、人との間に入る力とか、座学だけでは学べない力がたくさん備わってるように思えるよ」


 金時は思わず足を止めて、澪の顔をまっすぐ見た。


「……え〜〜、めっちゃ良いこと言ってくれるじゃん!オレなんかすごい人間になった気分!!」


 澪も自然と笑みがこぼれた。


「ふふっ、誇って良いところだよ」


 二人の声は、暮れゆく通りに小さく溶けた。

 澪と金時が並んで笑い合いながら広場に差し掛かった、まさにその時――


 人混みをかき分け、息を切らして走ってくる男の姿が目に入った。

 髪は乱れ、酒の臭いを漂わせている。


「……アンタら乙姫様ンとこの人間だろ……!?」


 澪と金時が思わず立ち止まった瞬間、男は荒い息を吐きながら目の前に立ちふさがった。


「……お前たち……行方不明事件を調べてるんだろ……!?」


 血走った目のまま、男は澪の袖を無造作に掴んだ。

 掴まれた布越しに、強引な力が指先から伝わる。


「……は、はい……」


 澪が言いかけた言葉を、男の荒い声が押しつぶす。


「……俺の嫁になるはずだった女を探してるんだろ……!?居場所はわかったのか!?」


 金時が一歩前に出て、男の肩に手を置く。。


「ちょっと待ってください、落ち着いて――」


 しかし男は澪を離さない。

 むしろ掴んだ手に力を込め、澪を引き寄せるように顔を近づけた。


「なあ…人の女がいなくなったってのに何ヘラヘラ笑ってんだよ……?アンタら随分呑気だなァ!?」


 男の息が荒く澪の頬にかかる。

 男はどうやら先ほどから金時と澪の様子を伺っていたらしかった。


「ーーっ」


 男の指の力の痛みがじわじわと我慢できなくなり、思わず澪が息を呑む。

 その様子を横で見ていた金時の表情がサッと変わる。


「………なぁ、その手、離せよ」


 今までの金時からは考えられない、低くて底冷えする声だった。

 男が思わず目を泳がせ、掴んでいた手の力がわずかに緩む。


「な、なんだよ…、殴る気か…?んなことしたら乙姫様が黙っちゃいねぇだろ…?」


 男は虚勢を張るように唇を歪めたが、金時の視線は全く揺れなかった。

 澪は背中越しに、いつもの朗らかな金時ではない冷たい気配を感じ取っていた。


 澪は恐る恐る、金時の腕に手を置いて囁く。


「……金ちゃん、私は大丈夫だから。この方も、大切な人がいなくなって悲しいに決まってるし……。」


 金時にだけ聞こえるくらいの音量で言っていたが、男はその一部が聞こえていたらしく、心外だと吐き捨てるように話し始める。


「はっ!!別にあんな若いしか取り柄のねぇ女なんか、いなくなっても構わねぇけどよォ。一昨日は俺も同情されてたのに、街じゃいなくなった奴らに正当な理由がある、みたいな話も出回ってるじゃねぇか。それで俺がさも悪いことしたみたいな話になってんだよ!!おかげで仕事場の奴らにも昨日から白い目で見られるしよ。……万が一自分の意思で出て行ったってんなら、一発殴ってやらねぇと気が済まねぇんだ!!」


 男の声は広場の人々にまで届き、遠巻きに様子を見ていた者たちが顔をしかめた。


 金時があまりにも身勝手な男の態度に、再び怒りの炎が燃えているのを澪がそばで見ていて感じていた。


 しかし澪自身も、この男性の発言で、自身の身に起きたここへ来る前の出来事を思い出していた。


 --自分の欲望を満たすために利用されかけたこと


 --それによって自分は夢を絶たれたが、相手はきっとちょっと失敗したくらいにしか思っていないだろうこと


(この人といなくなった女性が一緒とは限らないけど……。少なくとも今のこの人は女性がいなくなった悲しみより、いなくなったのが自分のせいだと周りに思われることに怒っている)


 一一なんて身勝手なんだろう


 そう思ったとき、澪は自然と言葉が口をついてでていた。


「……あなたが、お相手ではなくご自分の立場の心配をされていることは、大変よく分かりました」


 男も澪から詰められると思っていなかったのか、何があったと視線を澪へ向ける。


「……それに、こちらに詰め寄ってこられた時も、私を狙って来られましたよね? 私の方が小柄で御しやすいと思ったのでしょう?…もう1人が見るからに強そうだから」


「……澪ちゃん……?」


 隣の金時も何事かと驚いたように澪を見る。その隙に男を掴む手が緩んだのか、男がその隙に金時の手から逃れる。


 だが、澪の声は止まらない。


「一発殴らないと気が済まないとおっしゃいましたよね?自分に非がないと言い張るなら……私たちは、その女性に話を聞いて確かめます。そして――もし、あなたにも非があると分かれば……。」


 男は睨む目で澪を見返したが、澪の瞳は揺れなかった。


「……覚悟してください。」


 男の口元が歪み、へらへらと笑った。


「怖ぇこと言うじゃねぇか……言葉の綾って知ってるか?」


 澪は一歩踏み出し、凛とした声で言い返した。


「……人を殴るという言葉は、言葉の綾だなんて言葉で軽々しく使っていいものじゃありません」


 男は顔を赤くして吐き捨てる。


「さっきから聞いてれば……ロクに調査も進んでねぇ癖に、偉そうな兄ちゃんだな!?」


 男はまた怒りに火がついたように、澪に掴みかからんとする勢いで、手を伸ばしてきた。

 澪が咄嗟に右手で男の右手首を掴み、相手が向かってくる勢いを利用して相手の右腕をそのまま肩にむかって引き上げた。


「一一っ!?」


 何事が起こったのか分からぬまま、男は痛みで自分が御されていることを理解する。


「おい!テメェ……何しやがる!!」


 男は喚くが、澪は男の手首の関節を固めたまま、拘束している。

 傍目には軽く掴んでいるようにしか見えない。


「あなたは自分が侮っていた相手にも勝てない人間です。これ以上私たちに関わらないでください。そうすればこの手を離します」


 男はまだ何かを言おうとしていたが、広場で一連のやり取りを見ていた住民が、澪や金時に加勢し始める。


「竜宮様の人間に言いがかりつけるなんて恥知らずだねぇ……」


「小柄なお兄ちゃんを狙うなんて、卑怯なやつだよ。そんなんだから嫁さんにも逃げられたんだろう…」


 ざわざわと周りが囁く声が男の耳に届く。

 男はどうやっても自分が不利な状態から抜け出せないと悟り、罰が悪そうに舌打ちをする。

 腕の力が抜けたことを確認し、澪は警戒しながらも手の力を緩めた。


「テメェらの動きは見てるからな。覚えとけよ!!」


 解放されたとわかり、男が素早く手を下ろすとともに、吐き捨てるように言い去っていった。


 男が広場から走り去っていくと、先ほどまで遠巻きで様子を見ていた住民の女性たちが澪たちの周りに集まり心配そうに声をかけた。


「兄さんたち大丈夫かい?」


「こんなに細いのに大したもんだよ」


 澪は戸惑いながら苦笑したが、金時が慌てて手を合わせて頭を下げた。


「すみません!オレたちそろそろ行かないといけなくて、この辺で失礼します!!お騒がせしてすんませんでした!!」


 そう言って、半ば無理やり会話を切り上げ澪の腕を引っ張って、竜宮殿へ一目散に向かっていった。


 金時の背に引かれ、澪は人々の声と視線を背に受けながら、竜宮殿へと足を進めた。

 潮風の中、まだ掴まれた袖の感覚が、指先に少しだけ残っていた。

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