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第七章:芳しき乙女の国(九)

 澪は薄布をかぶって横になっていた。

 灯籠の明かりはとうに落とされ、部屋の隅には虫の声と水面を渡る夜風の気配だけが静かに満ちている。


 目を閉じても、頭の奥で季武の言葉が波のように揺れていた。


(私の中に、月守と陰陽師の血が流れている……)


 ここに来たのはまだほんの2週間ほど、それまで自分の家系が特殊かもしれないなど、考えもしなかった。異界の血をひいてるかもしれないと言われたときでさえ信じられなかったのに、月守と陰陽師の両方の血が入っているとはーー。


 なぜ月世の人間と現世の人間の血が混ざりあったのか……。

 考えたくはなかったが、季武の話を聞いてふと浮かんだ“品種改良”という言葉が、再び澪の頭をかすめる。


(愛し合った末の子孫だったらいいんだけど…)


 顔も知らぬ遠い先祖に思いを馳せる。


(私はいつかどこかで、ここに来ることが決まっていたのかな……)


 祖母が残した本、絶望して立ち寄った神社――

 いろいろなことがまるで予定調和のように、澪を月世へ誘っていたようにさえ思えた。


 ーーだとしたら


(…私はこのままでいいのかな。このまま、ただ皆さんの旅についていってるだけで…)


 澪は自分の背負うものが想像以上なのかもしれないと言うことを思い、今の自分のままでいいのかを考え始めていた。


 今自分がやっていることと言えば、頼光たちに同行して、知ったことを貞光や頼光に報告するだけ。

 体力的に大変ではあるが、結局は守られている。


(こんなことで、“本を正して”っていう声に応えられるのかな……。今の時点で、何かをすでに見落としていたりしないかな……)



 ”酒呑童子” ”羅生門”ーー

 赤髪の鬼、黒髪の鬼、そして望んで消える女性たち。


 御伽草子の物語と、この世界の不穏な出来事が、澪の頭の中を行き来していた。


(……私に、その真相を掴めるんだろうか……)


 焦る気持ちを鎮めるすべもなく、澪はむくりと起き上がり、まだ空白の多い本を手に取る。

 そこに何かを探すように、ページをめくり続けた。

 やがて睡魔に意識を奪われるまで、指先だけが静かに動いていた。



 *



 翌日、澪が目覚めたのはすでに澄み切った青空が広がった頃だった。


 外の明るさで、寝過ごしたと悟った澪は咄嗟に窓の外に目をやった。

 正確な時刻はわからないものの、すでにとっくに“早朝”と呼べる時間ではなかった。


(どうしよう…もう皆さん起きてるよね……)


 とにかく動かなければと、急いで身支度を整える。

 ふと、扉の隙間に紙が差し込まれていることに気がついた。


 昨日はなかったはずのそれを手に取り、中を確かめる。


『反応がなかったから、書面にて失礼する。俺たちは街で調査をしてくるが、澪さんは疲れが出たのだと思う。今日はゆっくり休むといい。くれぐれも無理はしないように。――頼光』


 整った字で書かれた、頼光からの手紙だった。


(……完全に寝過ごしてしまった……)


 昨晩、自分がこのままでいいのかと焦えていた矢先に、寝坊してしまったことが澪の胸に重くのしかかった。

 しかし今からでも後を追おうと切り替えるように頬を両手でパンッと叩いてから、顔布を目深に被り、小屋を後にした。


 朱塗りの橋を渡り、竜宮殿の敷地を抜け、白い石畳の小路を越えると、水路沿いの街はすでに人々の活気に満ちていた。


 魚を運ぶ小舟の音、潮風の向こうに広がる街のざわめき。


(昨日行ったところまで行けば、会えると思ったんだけど……)


 昨日噂を聞いた女性たちのいた辺りまで行けば、会えると踏んで近くまで来たものの、それらしい姿は見えなかった。


 澪は水路沿いの小路を、行き交う人の波を避けながら歩いた。


 市場はピークを迎え、白い布を被った商人たちの呼び声が賑やかに響き、行き交う人々の足音が石畳に混じる。


 と、その時、思わずたち止まって、澪は水面に目を落とす。

 川辺では数人の護衛が小舟の積荷を手伝っていた。その中に、澪はすぐに見覚えのある姿を見つけた。


(……浦島さん……?)


 袖を抜いた浅葱の羽織、額に巻かれた白布、護衛に声をかけながら舟の積み下ろしを見守るその姿は昨日と同じだった。

 浦島もふと気配に気づいたのか、積荷を抱える護衛に短く声をかけて、澪の方へ目を向けた。


 浦島が小さく眉をあげ、澪にゆっくりと歩み寄った。


「…貴方は、源殿のお連れの…。こんなところでどうされましたか?」


 澪は布越しに会釈しながら答える。


「お恥ずかしながら、はぐれてしまいまして…。どこかでお見かけしていませんでしょうか…?」


「ここでは見かけていませんな…。よろしければ、私もお供いたしましょうか…?」


「いいのですか……?お仕事中では…?」


「月守からの遣いに何かあってからでは遅いですから」


 浦島が自らの追っている責務から提案しているとわかり、断ることもできず、澪は案内をお願いすることにした。


「……お手を煩わせて申し訳ありません…。よろしくお願いします。」


「お気になさいますな。では、参りましょう」


 そう言って浦島の先導で頼光たちを探すこととなった。



 *



 水面に沿った石畳を、澪と浦島は並んで歩く。


「源殿は今朝方お会いした時、もう少し人通りの多い通りに行くとおっしゃっていたように思います。貴方が来られた方角とは反対方向になりますが、どうしてはぐれたのですか?」


 疑問と疑念を滲ませたような声音で浦島が尋ねる。


「お恥ずかしながら…旅の疲れが出たようでして、寝坊してしまって慌てて追いかけて来たのです」


「なるほど、合点がいきました。確かに言われてみれば今朝は貴方のお姿がありませんでしたな」


 浦島が納得したように警戒の色を弱める。


 ふと澪は浦島が澪の歩幅に合わせて歩を緩めていることに気がついた。その浦島の横顔を布越しにチラリと窺う。


(……この人は、過去辛い思いをされて現世からここにきて、乙姫様と出会って望んでここにいると書かれていたけど、現実に起こったことなんだよね……?)


 端正な顔立ちではあるものの、浦島は日焼けして分厚くなった皮膚も影響してか、40前後の風貌に見える。眉間に刻まれた皺や目の下のシワが、苦労した過去を物語っているかのように見える。


 また真面目で淡々としているような雰囲気から、一見すると乙姫に惚れ込んでこの国に滞在するようになった情熱があるようにも見えなかった。


 布越しに観察する澪の視線に気づいてか、浦島が視線を澪へ向けた。澪は焦って咄嗟に前方へ顔を向き直す。


「そういえば、昨日護衛隊の方々に教えておられましたが、あれは浦島様が提案されたと伺いました。行方不明事件のことを危惧して…ですよね?」


「私に敬称をつける必要はございませんよ。…ええ、そうです。正直に言いますと、もともと私自身に武の心得があったわけではないので、人に指導ができるような人間ではないのですが…。この国のために何かしたいという思いは誰にも負けませんので発起人になったというわけです」


「昨日の練習の様子で心得がないようには見えませんでしたが…。…その忠誠心、浦島さんは他国からこちらへ来られたのですよね?この国に恩義がおありなのですか?」


 本当は乙姫のことを大事に思っているからだと本を通して知っていたものの、浦島自身がどう思っているのかが気になり、澪は踏み込んだ質問をする。


「恩義…そうですね…。それがあるとすれば、この国というよりは”乙姫様に”です。行き場のない私に居場所を与えてくださって今の私がある。この命は乙姫様のために存在しているようなものです」


「そうなのですね…。昨日浦島さんの話をされる竜宮様は貴方のことをとても大切に思っておられるようにお見受けしました」


「そう……ですか…」


 澪は思ったことを言ったつもりだったが、浦島は澪の感想に喜びとも困惑とも違う表情で曖昧な返答をするだけだった。


 それからは浦島もあと少しで頼光たちの目的地としていた場所に着くだろうと言い、案内に専念した。


 *


 浦島は立ち止まり、少し前方を見て澪に声をかけた。


「……あそこに。あれは、源殿では?」


 澪は浦島の視線を追った。

 ちょうど、街の奥の水路沿いで、頼光が女性の二人組に声をかけているのが見えた。

 金時と季武の姿も、そのすぐ隣にあった。


「……頼光さん……。」


 二人が近づくと、頼光がすぐに澪の姿に気づき、歩み寄ってきた。


「……澪さん?一人でここまで来たのかい?」


 頼光の声に気づいて、金時も大きく手を振った。


「澪ちゃん、休んでなくて良かったの?」


 澪は申し訳なさそうに頼光の前で頭を下げた。


「……寝坊してしまって、すみません……。じっとしてるわけにはと思って、後を追いかけたんですが、皆さんと逆の方向に行ってしまって……。ここまで来れたのは浦島さんのおかげです」


 頼光は少しだけ困ったような心配するような様子で息を吐いたが、すぐに澪の後ろの浦島に目を向けた。


「……浦島殿。お世話をおかけしました。」


 浦島は静かな笑みを崩さず、短く頭を下げる。


「いえ。偶然お見かけしただけですので。……どうぞ、気をつけて。」


 それだけ言うと、浦島はくるりと後ろを向いて颯爽と去っていった。


 金時が澪に駆け寄り、心配そうに声をかける。


「澪ちゃん、本当に大丈夫?頼光さんから寝てるって聞いてたけど、相当疲れてるんじゃない?」


「いえ!たくさん寝たおかげで、今はもうすっかり元気になりました!」


 澪は元気だとアピールするように腕を上げる。


「にしても浦島さんと出会えたからよかったけど、一人でボクらの後追うなんて、澪さんも意外と無謀なことしはるなぁ」


 季武が揶揄うように、澪に声をかける。

 昨日、陰陽師の秘密を打ち明けられてから、澪の中で季武への疑念は薄れたものの、逆に頼光や金時には言えない秘密ができてしまい、どこか気まずさを覚えていた。


「すみません…。考えなしだと思ったのですが、一人だけじっとしているわけにはいかないと気が急いてしまいまして…」


 頼光が澪の肩を軽く叩き、小さく笑う。


「謝らないで。無事に合流できてよかった。俺たちは今、住民への聞き込みを行っていたところだったんだ。澪さんも動けるなら手分けしたいと思うが、大丈夫かい?」


「はい!ここから挽回します!」


 澪の力強い返事に頼光が苦笑する。

 水面を渡る風が、澪の背をそっと押していた。

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