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第七章:芳しき乙女の国(八)

 頼光の離れを出て、澪は夜の水面に浮かぶ橋を静かに歩いていた。

 星の瞬きの下、耳に届くのは波音だけだった。

 次の角を曲がれば自分が寝泊まりする小屋に着くという距離で、すっと澪の前に黒い影が現れた。


「…季武さん…」


「こんばんは。さっきぶり、澪さん」


 そこに立っていたのは季武だった。

 頼光から釘を刺されたことなど忘れたように、相変わらず読めない笑みを浮かべている。

 澪は思わず身を固くした。


「どうされましたか…?」


 自分の声にわずかな緊張が混じっているのが、澪にもわかった。

 季武もそれを感じたのか、苦笑を含んだ声でつぶやく。


「すっかり警戒されてもうたなー」


 その声には、どこか少しだけ寂しそうな響きがあった。

 澪は一瞬、言いすぎたかと後悔しかけたが、次の瞬間には季武はいつもの調子に戻っていた。


「勝手に本見たこと、改めて謝りたいと思って待っとったんよ」


「そう、だったんですね…。もう、気にしないでください…」


「ま、本題はそれやないんやけどね」


「えっ」


 突然軽い調子に戻る季武に、澪は思わず間の抜けた声を出した。


「陰陽師のことについて、澪さんにも説明しとこ思て。…陰陽師って、どういうことするか知ってはる?」


「え…っと…、占いをして、その力で政治に関わってる…という印象しかない…です」


「だいたい合っとる。……けど、正解やない」


 季武は澪から視線を外し、星を映す夜の水面をじっと見つめた。

 澪もつられて、その視線の先を追った。


「これは一部の陰陽師しか知らんことやけど……陰陽師は”過去に遡る”ことができる」


「……え?」


 あまりにもさらりと言われた言葉に、澪は思わず聞き返した。


「あ、聞こえへんかった?」


「い、いえ!聞こえてました!すみません、過去に行くって…そんなことが可能…なんですか?」


「もちろん陰陽師やからって誰でもできるわけちゃう。ボクら陰陽師は、自然を”読む”いうことと、自然を”利用する”いうことができる。ただ、後者は本人の持って生まれた霊力に比例して出来ることが決まる。やから、過去に行くのができるんは、霊力の高い陰陽師だけや」


 澪は咄嗟に語られた話の大きさに戸惑いながらも、必死に頭の中で整理しようとした。


「…で、話はここからやねんけど。ボクはな、澪さんは陰陽師の血もひいとるんやないか……そう思っとる」


 そう言った季武の視線は、いつの間にか澪の瞳をまっすぐに捉えていた。


「私が…ですか?」


 澪は思わず手を握りしめる。片手に握られていた本にも力が加わる。


「月守となんらか関係あるかも、っていう話がボクらの中で出てるんは知っとるんかな?」


「は、はい…。頼光さんと渡辺さんから伺って…」


 澪の答えに季武が分かったというように頷き先を続ける。


「キミがここへ来た理由は、それだけやと説明がつかへんのや。澪さんは未来から来たって話やろ?……月守の血に時間を行き来する能力はあらへん。けど反対に、陰陽師には月世と現世を行き来する能力はないんよ」


「だから、私が……過去の月世に来れたのは、月守と陰陽師の血が混ざってるから…ということですか……?」


「理解が早くて助かるわ。そういうことやな」


「そんな……」


 --まるで品種改良みたいな……

 そう思ったが、口には出さずに澪は唇を閉じた。


「けど、どんだけ血と霊力があっても条件が揃わんと能力は発動せえへんねん」


「条件…?」


「せや。その条件言うんはボクも陰陽師やさかい、陰陽師のことは知っとっても、月守のことはほとんど知らんのやけど」


「陰陽師はどうしたら過去に行けるんですか?」


「陰陽師の血、霊力の高い場所、本人の統合された意思、それと……」


 季武が言葉を切ってすっと澪の手元を指差す。

 本を握りしめていた手だった。


「”月守の一族”が書き記した本」


 季武の話を聞いて、澪は自分がここへ来た理由が一本の糸で繋がるのを感じた。

 季武の話を信じるなら、自分の中には陰陽師と月守の血が流れている。その前提に立つと、陰陽師の血はクリアしている。


 ”本人の統合された意思”は、声に誘われるままに”ここにいたくない”と願ったことで説明がつく。

 そして転移する前にいた讃岐神社が”霊力の高い場所”だったとしたら、残すは最後のピースのみ。

 祖母が月守の血を引いていたとするなら、最後の条件も満たすことになる。


 意図せずして、季武の言う条件を全てクリアしていることになる。


「……心当たりがある顔やな」


「……はい。ここに来る前、恐らく全ての条件を満たしてたように思います……」


「そう……なんやね……」


 季武の声には、同情にも確認にも取れる、複雑な色が混じっていた。


「てことは、過去に行きたかったん……?」


「過去に行きたいと意図したわけではないんですけど、ここにいたくないなって、ちょうど思ったときだったんです」


「ここにいたくない?」


「はい……。ちょっと嫌なことがありまして、この先どうしようかなって悩んでたときだったんです。なので、正直言うと私はここに来た時、ちょっとだけ目の前の問題から逃げられたと思ってほっとしました」


「そっ……か。そっか……、キミにとってはここへ来たことは悪くなかったんやね」


「こんな事件の渦中にいて、とても不謹慎だと思うんですが、正直に言うと……そうなんです」


「キミにとってのこの場所が、悪くなかったんなら……よかったわ」


 季武はそれ以上踏み込んで聞くことはなかった。


 話している最中に、辺りはすっかり人の営みが終わりを告げ、灯篭の明かりも徐々に少なくなっていた。

 暗がりの中で、お互いの顔ももうはっきりとは見えない。


「話逸れてもうたけど、今言うたんは陰陽師のことだけやから、その本のこととか澪さんが誰かの声を聞いて来たこととか、そういうのはよう分からん。ただ、他の奴らよりは色んな角度から考えられる思うで? 頼りにしてええと思うわ。」


 最後はおどけたように言う季武に、澪も思わず小さく吹き出す。


「ふふっ、ご自分で言っちゃうんですね」


 この時澪は、季武がこの本を読めた理由を、今聞くべきではないと判断し、胸の中にしまい込んだ。

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