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第七章:芳しき乙女の国(五)

 扉が開かれた瞬間、波の音よりも気まずい静寂が部屋を満たした。


 金時が部屋の様子を一瞥し、目を丸くする。

 その後ろで頼光が、わずかに目を細めた。


「えーーっとぉ……お取り込み中……?」


 金時が少し申し訳なさそうに呟く。


 澪は慌てて身を起こし、両手を膝につけて頭を下げた。


「ち、違うんです!!これは……!」


 言葉がうまく出ない澪の横で、季武が悪びれもせず笑みを浮かべたまま立ち上がった。


「いやぁ、ちょっと本見せてもらっただけやで。澪さんが勢いあまって飛び込んできてくれたんや」


「卜部殿……」


 頼光の声が低く、わずかに重みを帯びる。

 だが季武は頼光の視線を受けても、にこりと笑って返すだけだった。


「その本、澪ちゃんがここに来たきっかけになったってやつ?なんか変化があったの?」


 金時の明るさに救われるようでいて、説明が難しくなるのが澪にはわかった。

 それでも小さく頷くしかない。


「……は、はい…少し…」


 頼光は澪のすぐ近くに歩み寄り、畳に片膝をついて視線を合わせる。


「澪さん大丈夫?無理に話す必要はないよ。……卜部殿も、少し戯れが過ぎるのでは?」


 頼光の言葉に、澪はわずかに肩の力を抜いた。

 だが季武は肩をすくめて、軽い調子を崩さない。


「心配性やなぁー、頼光さんは。せやけど……ボクも陰陽師やの端くれやで? 澪さんの役に立つこともある思てん。今のはちょっとした事故や」


 頼光の目が細くなる。澪は二人の間に慌てて割って入った。


「頼光さん……!あの、季武さんのおっしゃる通りです」


 季武にわずかな疑念ができたことは確かだったが、今ここでことを荒立てるわけにはいかないと澪は自分に言い聞かせた。


 頼光は澪の言葉にふっと息をついて、瞳を伏せる。


「……わかった。君がそういうなら……。だが、それにしても女性の部屋に男性が一人押しかけるのは良くない。卜部殿も行動には気をつけてくれ」


「せやな、それはボクの浅慮やったわ。すんまへん」


 空気の張り詰めを断ち切るように、金時がぱちんと手を叩いた。


「ほらほら! まぁまぁ! とりあえず、外行こう! ね? みんなで散歩って言ったじゃん!

 船ばっかりだったし、水の国、せっかく来たんだからさ!」


 場違いなほど無邪気な金時の声が、室内の空気を一瞬でほグレタ。

 澪は小さく笑って、頼光を見上げた。


「……そうですね。……散歩、行きましょうか」


 頼光は短く答える。


「ああ、行こう」


 季武は澪の本をすっと差し出し、いつもの軽い笑みに戻った。


「ほな、続きはまた今度やな? 澪さん」


「……はい」


 澪は小さく頭を下げ、本を胸に抱き直した。

 外には、潮風がまだ静かに流れていた。



 *



 水路に沿って石畳の小径を歩く四人の姿があった。


 水の国の街並みは、まるで水の上に浮かぶ庭園のようだった。朱塗りの橋の向こうで白い花が風に揺れ、ゆるやかな水音が心を溶かしていく。澪は何度も足を止めては、その静かな景色を目に焼き付けた。


 水路沿いの道を抜け、小さな橋を渡った先に、開けた白砂の稽古庭があった。


 水を引き込んだ浅い池の縁に沿って、男女の護衛たちが膝をついて並んでいる。

 澪の耳に、竹の模擬刀が打ち合わされる乾いた音が響いた。


 頼光がふと足を止め、稽古場を遠目に見やる。


「……護衛の鍛練か。男女混成とは……珍しいな」


 その視線の先で、白装束に紋をあしらった若い護衛たちが、真剣な面持ちで竹刀を構えていた。

 澪も無意識に足を止め、息をのむ。


 その前に立つのは、模擬刀を片手に持つ一人の男。

 袖を抜いた浅葱の羽織を纏い、額には白布が巻かれている。


 それは先ほど乙姫の横に控えていた男性だった。


 (……あの人が浦島太郎なのかな……)


 澪の胸の奥が小さく跳ねる。


 護衛の一人が竹刀を構え直し、その男は静かに目を細める。


「――もう一手前に。力を抜け」


 声は低く、波打つ水面に落ちるように澄んでいた。


「あの人、確か乙姫様の隣にいたよね?」


 金時が小声で澪に聞き、澪も小さく頷き返す。


「力だけでは守れない。刃を扱うのは腕ではなく、迷いの無さだ」


 浦島の言葉は簡潔で、しかし胸の奥に残る響きだった。


「……指南役も兼ねとるんか。珍しい役回りやな」


 季武がぽつりと漏らす。


 しばらく様子を見ていると、男は稽古を止め、護衛たちを手で制した。

 集まった男女を一瞥し、低く声をかける。


「ここまでだ。ーー整列、礼」


 護衛たちが一斉に竹刀を揃えて頭を下げた。


 そのとき、男の目がふと頼光一行の方へ向けられた。彼は護衛たちに短く言葉を残し、庭の端を越えて澪たちのほうへゆっくりと歩み寄ってきた。


 頼光がわずかに姿勢を正し、一歩前へ出る。

 金時と季武も澪の隣に並んだ。


 男は四人の前で立ち止まると、浅く頭を下げた。


「源頼光殿。私は浦島太郎と申します。乙姫様の護衛頭として、皆さまの滞在をお守りいたします。何かございましたら、遠慮なくお申し付けください――改めて、ようこそ水の国へ」


「乙姫様のお心遣い、感謝いたす。護衛の鍛錬を間近に拝見でき、心強い限りだ」


「恐縮です。ここでは男の方が珍しいですからな」


 浦島は深くも浅くもない笑みを浮かべ、静かに頭を下げた。


(やっぱり、この人が現世から来た”浦島太郎”だった)


 澪は頼光たちの後ろで布を被ったまま、自分が浦島を知っていることを悟られぬように目立たぬように後ろに控えていた。


「浦島殿は元々ここの住人で?」


 頼光が世間話のつもりで疑問を口にする。


「いえ、私は……別の国から参りました」


「へぇー、そうなんだ。土の国か火の国から?」


「ええ、そんなところです。ここへ来る男連中は他国のものがほとんどで」


 浦島は金時の質問に曖昧に答える。澪にはその理由がわかっていた。


(私も同じだと言って、ここに来た心当たりを知らないですかと聞きたい。でも、そんなことすれば、なんでそんなことを知ってるんだと危険視されかねない。いつかこの人の話を聞ける時がくるといいな)


 書き換わった話の通りなら、浦島は乙姫を思ってここに残っていることになる。

 自分も同じように現世から来たと告げれば、味方になるどころか浦島が隠している秘密を暴く危険分子として狙われかねないと考え、澪は布越しにぐっと堪えていた。


「では、私はこれより護衛隊の内勤がございますので。この辺りで――失礼いたします」


 そう言って浦島は一例し、くるりと踵を返すと毅然とした足取りで立ち去っていった。

 澪はその後ろ姿を見て、浦島にとってここがかけがえのない場所なのだろうと考えていた。


 波音が、静かに庭を満たしていた。

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