第七章:芳しき乙女の国(六)
浦島太郎が護衛たちを率いて稽古庭を去った後、頼光たちは夕暮れの水路沿いをしばし歩き、街の小さな市場をひやかして時を過ごしていた。
水路脇の小さな茶屋の前で、澪は水を汲む中年の女性二人のひそやかな声を耳にした。
「……また一人、いなくなったらしいよ」
「え、誰……?」
「柳の裏町の子。若い娘さんで、旦那さまに仕えることになってたんだって。
一昨日の夜には家にいたのに、朝には……」
「この辺は安全だって……言われてたのにね……」
(……行方不明……?)
二人の声はすぐに人混みにかき消えたが、その言葉は澪だけでなく頼光たちの耳にも残った。
金時が小声で頼光に尋ねる。
「今、いなくなったって言ってたよね?」
「ああ。どうやらここでも何かが起きているようだ」
季武が腕を組み、小さく漏らす。
「今日の夜には全貌が聞けるんとちゃいます…?」
「だといいが…」
誰もそれ以上は口にせず、しばし無言で水路の向こうに目をやっていた。
*
離れへ戻った一行を、白装束の侍女が迎えた。
頼光が短く頷き、澪と金時、季武を振り返る。
「……支度はいいな。……澪さん、顔の布は……?」
「……はい。外さずに……行きます」
澪は小さく息を整え、晒をそっと押さえた。
金時がわざと明るく笑い、澪の肩をぽんと叩く。
「ね、澪ちゃんは夕餉なんだと思う??お昼ご飯も美味しかったよね〜。でも水の国って言われたら魚が出るのかと思ったけど、結構普通だったよね?」
「…ふふ、そうですね。私も魚好きなので魚が出たら嬉しいです」
「ボクも海の幸希望やなぁ」
頼光は軽く咳払いをして、空気を締める。
「話はそれくらいにして、行くぞ」
一行は侍女に従い、夜気を含んだ回廊を進んだ。
水面に月を映す池の向こうに、白砂の庭と、灯りが漏れる朱塗りの客殿があった。
奥座敷に置かれた長卓には、鯛の塩焼きを中心に、白い酒器、季節の馳走が並んでいた。
中央には、竜宮乙姫が静かに座していた。
群青の衣に夜を映すような帯を合わせ、髪には真珠の房が淡く光を宿している。
乙姫は柔らかな笑みを浮かべ、声を響かせた。
「……遠路お疲れでございましたでしょう。今宵は心ゆくまで、水の国のもてなしを味わってくださいませ」
声は来たときと変わらず水琴窟の響きのように澄み、澪の胸奥にひやりと落ちた。
頼光が静かに膝をつき、頭を下げた。
「竜宮様のお心遣い、痛み入ります。我ら、御所の思いを胸に、この地に礼を尽くします」
澪も、布の奥から静かに頭を下げた。
*
一同が食事に手をつけると、乙姫は膳の向こうから頼光たちをゆるやかに見つめ、淡い笑みを崩さぬまま盃を取った。
「……水の国は、波音のように穏やかな場所と思われがちです。
されど――静けさの底に、小さな影は潜むものです。」
頼光が視線をわずかに上げた。
乙姫は卓の縁を指でなぞり、盃を置いて言葉を継ぐ。
「……つい先日も、若い娘が一人、姿を見せぬまま夜を越えました。
これが初めてではございません。」
澪の胸の奥で、昼に聞いた噂話が、静かに繋がっていった。
「皆が安心して暮らせるはずのこの国で、影がさざめくのを、わたくしは黙して見過ごせませぬ」
乙姫の目が一瞬だけ澪の布越しの視線を捕らえた。
そのまなざしは深い湖面のように静かで、どこか遠い光を湛えていた。
「……そこで、そこにいる浦島に相談いたしました。」
乙姫は視線を頼光に移す。
「皆さまとはすでに昼間、ご挨拶をしたと浦島から聞いております。彼は他国から来たものですが、強く信頼に足る実直な男です。この国に留まることを望んだ浦島に、わたくしは護衛の役目を託していたのですが、昨今守るべきはわたくしではなく国民だと言うことに気付かされました。そこで、急拵えですが浦島が旗頭となり、自警団として私の護衛隊を結成したのです」
頼光が小さく頷き、問いかける。
「……それが、先ほど拝見した男女の護衛隊ですか。」
「左様でございます」
乙姫は杯を置き、目を伏せた。
金時が、盃を握りしめたまま小さく息を漏らした。
「じゃあ、護衛隊は浦島さんがいなきゃできてなかったってことですね……」
乙姫は金時の方へ微笑を向ける。
「ええ、そうです。あの者は、わたくしにとっても、なくてはならぬ柱の一つです」
澪は布の奥で、小さく息を飲んだ。
(乙姫様にとっても、浦島さんは大事な人なんだ…)
「しかし…。こうして護衛隊を作っても今回の行方不明は防げませんでした。まだまだ対策が足りていないということ。ですが、一つ気になる噂がありまして、皆さまのお耳には入れておきたいと思っていたのです」
頼光も神妙な面持ちで先を促す。
「…と言いますと?」
「行方不明になった者が女性ばかりというのは皆様もご存知でしょうか?」
「ええ、月守一族の幹部からそのように聞いています」
「では話は早いですね。水の国で行方しれずとなった女性たちは今のところ、自発的にいなくなってもおかしくない理由があるようなのです」
乙姫から語られた話は土の国でも聞いたような者だった。
天涯孤独で貧しい暮らしぶりだった者、周囲からいじめられていたもの、そして一昨日姿を消した娘も、心に決めた人がいるが、別の人との結婚することになっていたという事情があったのだそうだ。
「皆様はここに来るまでに土の国にも視察に行かれたとか。そこでも似たような状況でしたでしょうか?」
「ええ、土の国でもいなくなった娘は親から不当に働かされていたという背景がありました。これは偶然ではないかもしれませんね」
「わたくしもそう思います。一人だけならまだしも二人、三人と…。何か組織的なものが動いているような気がいたします」
乙姫は一度言葉を切ってから、声を落として続きを語る。
「それを心配し、占いもしてみました。すると、近く月世にこれまでにない波乱が起こるという結果が出たのです……」
「”これまでにない波乱”」
金時が言葉を反復する。乙姫は金時にチラリと視線をむけ、言葉を紡ぐ。
「ええ、具体的な先読みまではできませんでした。しかし、月世を揺るがす事態が起ころうとしている。月守命の御身に何かあってはなりません。源殿、何卒この月世の平和をお守りくださいませ。そのためにできる助力は惜しみませぬ」
そう言って乙姫は静かに頭を下げた。
頼光もまた、まっすぐに頭を下げて応えた。
「……顔をお上げください。我らの役目は、月世を脅かす影を払うこと。
必ずや平和を取り戻してみせます。」
「誠に感謝申し上げます」
乙姫が顔を上げたとき、その瞳には年若さを残しながらも、当主としての矜持がしっかりと灯っていた。




