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第七章:芳しき乙女の国(三)

 

 船を降りた頼光たちを迎えたのは、六人の白装束の女性たちだった。揃いの淡い青を帯びた薄布をまとい、前髪は清らかに結い上げ、額には小さな銀の飾りが光っている。


 その先頭に立つ年若い娘が、澄んだ声で口を開いた。


「皆さま、水の国へようこそお越しくださいました。当主・竜宮乙姫さまより、御一行をすぐにお迎えするよう仰せつかっております」


 丁寧に一礼する女性に、頼光が一歩前へ出て応じる。


「お出迎え感謝する。私は源頼光。こちらは坂田、卜部、そして望月だ」


 名を呼ばれた澪は、慣れぬ男装のまま慎重に頭を下げた。女性が多く暮らすこの国において、自身の姿に違和感を抱かれていないか、気にせずにはいられなかった。


 しかし女性は穏やかな笑みを浮かべたまま、柔らかくうなずく。


「乙姫様は、皆さまのご到着を心よりお待ちになっておられます。それでは、宮までご案内いたします」


 導かれ、一行は水路に沿った石畳の道を進む。水面のきらめきが建物の白壁に反射し、ゆるやかな光のゆらぎが道を照らしていた。


 やがて、大きな楼閣の前にたどり着く。紅と青を基調にした漆塗りの扉が立ち、その上には「竜宮殿」と記された扁額へんがくが掲げられていた。


「こちらが乙姫様のおられる正殿でございます。どうぞお静かに」


 女性の言葉に従い、一行は殿内へと足を踏み入れた。


 白砂が敷かれた前庭を抜け、香の匂い漂う広間に入ると、襖の向こうに静かに座す人物の姿があった。


 それは、水そのものが人の形を取ったかのように、透明でしなやかな女性――水の国当主、竜宮乙姫であった。


 群青の衣に身を包み、高く結い上げた黒髪、年の頃は三十にも満たぬほどであろうか。だが、どこか人の理を超えた気配を纏っていた。


 まなざしは澄み、どこか内面を見透かすような静謐さがあった。


「ようこそ、水の国へ。……源頼光殿とそのご一行。貴殿らの来訪を、心より歓迎いたします」


 その声は水琴窟のように響き、場の空気を清めるような余韻を残す。


 頼光が一歩前に出て膝をついた。


「月の御所よりの勅命を受け、水の国へ参りました。乙姫様にお目通り叶い、光栄に存じます」


「月守命の御意は、わたくしも承知しております」


 乙姫は一つうなずき、澪たちを見渡す。視線が一瞬、布で顔を隠す澪の肩にとどまり、頼光が咄嗟に口を開いた。


「この者は顔に火傷の跡がございます。御前での無礼、何卒ご容赦を」


「左様でございますか。それならば致し方ありません。お気になさらず。――まずは旅の疲れを癒されよ。後ほど、改めてお話をうかがいましょう」


 その微笑は美しかった。だが、どこか底知れぬ冷たさを湛えていた。


 澪は布越しに乙姫を見つめ、その傍らに立つ従者然とした一人の男の存在に気づく。女性ばかりのこの場では、異質に思えた。



 *



 乙姫との対面後、4人は今宵の宿にと離れに案内された。そこはどこか中華風とも思えるような朱を基調として、寝るためには十分なスペースが確保された5畳ほどの広さの小さな建物がいくつも連なっている場所だった。物草家と異なり、小さくはあるが一人一部屋を与えられた。


 まずは食事も各部屋に運ばせると言うことで、一同はそれぞれの部屋で休憩をとることになった。


 部屋につくなり、澪は乙姫と出会ったことで『浦島太郎』の話に何か変化が起きていないかを確かめるべく本を開いた。



 〜〜〜〜〜


『浦島太郎』


 今は昔のことに侍りける。


 ある浦のに、浦島太郎という若き男のありけり。

 この男、父は都に住まいし身なれど、外にひそかに契りし女の腹より生まれたる子なり。


 正妻の知るところとならぬよう、母子は遠く離れたる漁村に住まい、細々と命を繋ぎておりけり。

 されど母、若くして病み伏して果てぬ。浦島、ひとり世に取り残され、貧しき漁に明け暮れて日々を送る。


 されば、心は次第に冷え、身のうちに積もる虚しさは夜ごとに深まりゆきけり。


 ある月の明るき夜、浦島はひとり岩場に座し、波の音に耳を傾けながら、天に向かいてこう祈りぬ。


「願はくは、ここならぬどこかへ――我を連れゆけ。かく生きるは、まこと苦しきことなり」


 さるほどに、風の音は消え、月影はふと強まりて、気づけば見知らぬ浜辺に立ちたり。


 その地、海の底かとも思わるるばかりに静けく、かつ光に満ちたり。

 水面のごとき御殿に誘われて歩みゆけば、そこにありしは、白妙の衣をまといたる、一人の姫君。


 そのおもては水晶のごとく透き通り、瞳は月の光を宿せしように輝きたり。


 姫、浦島を見つめて問う。


「いづこより、風に乗りて来たる者か。ここは現世うつしよにあらず」


 浦島、息を呑みて答へける。


「そなたは、天女か。否、神の御使ひか……。この身、願ひしがままに、常世とこよにまよひ入りたり。されど、そなたのそばにおれるなら、われ、何にても仕へ申さん」


 姫、その言葉に目を細めて、静かに笑みて言ひける。


「おまえの心、まことなるを見てとれり。では、そばに置いてやらう。いづれ忘るるな。そなたがなぜ、ここに来たかを――」


 かくて浦島は、姫のもとに仕へ、日々を過ごせしが、時の流れは定かならず。

 姫、名を乙姫おとひめといひ、この国、水の国を治める者なりけり。


 かの浦島は、現世の事柄を水底に沈め、乙姫の傍にありつづけたり。

 永き夢のようなる物語なりけり――。



 〜〜〜〜〜



「やっぱり違う物語が現れた…」


 該当する話の登場人物に会うことがトリガーになるのか、澪の推測通り『浦島太郎』の項目には新たな物語が刻まれていた。


(ここに出てくる浦島太郎という人は、さっき乙姫様の隣にいた男性なのかな?)


 それ以外男性という男性がいないので、必然的にそう思った。


(それに、これがこの世界での事実なら、浦島太郎は現世から月世に来たということになる。私と同じように……)


 浦島太郎という人物が自分と同じかも知れないならば話を聞いてみたいと思ったが、あまり目立てない手前、それを優先するわけにはいかないだろう。と考え直す。


(いつもなら碓井さんに相談していたけど、今はいない。ならせめて、浦島太郎という人が現世から正規のルートを辿らずに来たかも知れないということは誰かに伝えておこう)


 そう決めて、澪はおそらく碓井経由で本のことを聞いているだろう頼光に相談することにした。

 本を閉じると、ちょうど戸を叩く音が聞こえ、迎えに出ると食事を持ってきた竜宮家の遣いだった。


 船旅で体がこわばっていたこともあり、空腹を感じていなかったが、用意された暖かな食事に澪は猛烈な空腹感を覚え、ひとまずはお腹を満たそうと受け取った盆を文机に置き静かに出来立ての食事を味わった。

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