第五章:忍び寄る影(四)
旅から戻ったその夜、頼光はひとり、月影離宮の庭園を望む縁側で静かに思案に耽っていた。
この月世にも、現世と同じく国々の間に確執があり、単に鬼を討つだけでは済まされなくなってきている。頼光らのことを中立的な立場と捉え、次第に政の渦中へと引き込まれ始めている――そんな実感を覚える旅だった。
火の国が鬼を匿っているかもしれない――物草聖ははっきりとは言わなかったが、そう示唆した。しかしその疑惑を月守にそのまま報告すれば、幹部たちは強硬策をとれと命じるかもしれない。もし火の国が潔白だった場合、無用な火種を生む恐れがある。
(火の国を訪問したい、ということをどう月守の幹部に説明するかーーだな)
頼光たちの帰還は、門番から月守の耳にも届いているはず。明日にも「詳しく報告せよ」と呼ばれる可能性が高かった。無理のない口実がなければ、次の一手が打ちにくい――そう思うと、胸中には重苦しい霧が漂っていた。
見上げた空は深い藍色。月の見えないこの世界でも、星は微かに瞬いている。頼光は現世で見慣れた星座がないかと、意味もなく空を探していた。
そんな彼の背後に、そっと人影が現れた。
「頼光さん、まだ休まないんですか?」
目上に対して少し生意気とも取れる率直な物言いの正体は、貞光だった。
「貞光も、こんな時間まで起きてるなんて珍しいな」
声をかけられる前から、足音で察していた頼光はさして驚くこともなく応じる。
「本当は眠いんですけど、頼光さんが起きてたら今の間に話したいことがあったので、起きてました。隣座りますね」
そう言って貞光は許可も得ずに頼光の隣に腰をおろした。
「話したいこと?なんだ改まって」
「大きく分けて二つーーですかね?でも本質的には一つかも知れません」
「なんだそれは」
「まあ、望月さんのことですよ。今日こちらへ帰る道中にも彼女が持っている本について教えてくれって言ってたじゃないですか」
「ああ、そういえばそうだったな」
「望月さんが持っていた本なんですけど、物草聖とあった後に本を開いたら、ひとりでに物語が現れたようなんです」
「なんだと?」
思わぬ事実に、頼光がわずかに身を乗り出す。貞光は頷きながら言葉を継いだ。
「私は望月さんからあらすじを聞いただけですが、実際に物草聖しか知り得ないような今の頭領の座に着くまでの情報が綴られていました」
「ーー不可思議だな。ちなみにどういった内容が書かれていたんだ?」
「彼は元はかなりの怠け者だったそうです。当時、土の国には頭首が不在で、月の宮に各国の代表を送る必要が出たときに、面倒を嫌がった民たちが聖を押しつけたとか。ところが、聖はその場で人が変わったように役目を果たし、今の立場を築いたと」
「……それが本当なら、今のあの姿からは想像もつかないな」
「そうですよね。ですが今朝去り際に、今回の謀に加担した住民は自分に借りがあると言っていたじゃないですか。それがこのことなんだろうと思うと、あの本に浮かび上がってきた話はほとんど事実をなぞっていたのだと思います」
頼光は一つ、深く息を吐いた。
「確かにそうだな……。しかし、他人の過去がわかってしまうような本を持ってることが明るみに出ると、彼女は危険視されるだろうな」
「まあ、そうですよね。ただ、彼女の持っている本は不思議な力でも働いているのか、私には読めなかったんです。ですから、本が渡っただけでは外部に漏れる可能性は低いと思われます」
「そうなのか?どういう力なんだろうな……。本そのものの力なのか、澪さんに何かしら不思議な力が備わっているのか…。わからないな」
「ええ。それが二つ目の話題でもあるんですけど、望月さんのことをこのまま月守命に伝えなくていいのですか?」
ーー澪という異分子をこのままこの国の中枢に報告しなくていいのか?
貞光は頼光の真意を探るような鋭い眼差しで問いかける。
「そうだな……。正直、月世の安全を第一に考えるなら言うべきだろう。だが、そうすれば澪さんは間違いなく月守に囲われる。月守は正統な血筋であるほど強い力を宿し、そんな者たちが幹部にいると聞く。そこに得体の知れない特殊な力のある本を持った、素性の知れない澪さんが行けばーーその扱いは、想像に難くない。俺は彼女をそんな危険に晒したくないと思っている」
「そうですか……。たとえそれが、彼女自身が知りたいと思っている”自分がここへきた理由を知る機会”を奪うことになっても、ですか?」
澪のため、と説く頼光に、それが澪のためなのか?と反論する貞光。両者はしばし見つめ合う。
頼光は貞光の探る瞳から目を逸らさず、
「ああ。そうなれば、俺が他の手段を探す」
と答えた。
その真剣な眼差しは不可能をも可能にする尊大さが見てとれた。
頼光の意志の強さに折れるように、貞光が目をそらす。
「意思は固いんですね。ちなみにその理由を聞いても?」
「悪いが、それを最初に話す相手は……お前じゃないんだ」
そう苦笑混じりにそう返す頼光に、貞光は肩をすくめた。
「私の知る頼光さんらしくないですね。ひとりの女性にここまで入れ込むなんて」
貞光は旅の時からひしひしと思っていたモヤモヤをここぞとばかりに頼光にぶつける。
「はは、こんな主人でがっかりしてるか?」
貞光の恨み節に対して、頼光は多少なりと申し訳ないと思ったのか、苦笑いしながら尋ねる。
「してないと言ったら嘘になりますけど、まあそもそも私も月守に望月さんのことを話すのは得策ではないと思っていたので、結論は一致してますね」
「お前はいい性格してるよ、ホント」
頼光を攻めているようで、実は同じ意見だったことをしれっと白状する貞光に、頼光は呆れたように言った。
「頼光さんも感じてるかも知れませんが、月守命…いまいち信用できないんですよね。そんな折に、出会った人物の過去を反映する本を持った望月さんが現れたとなると、何かあった時の手札として使えるなと思ってます」
「澪さんを危ないことに巻き込むのは賛同できないが、お前と同意見で良かったよ」
「はい。そういえば、火の国に行くこと月守にどのように説明するか考えましたか?」
「ああ。一旦その場しのぎだが、土の国で起こった出来事が他でも起こってないか確かめるべく、他の国に視察に行こうと思う、とでも言えばいいだろう」
「確かに、そうですね。と言うことは、建前上火の国だけでなく、水の国にも行く必要がありますね」
そう言いながら、さすがに睡魔に抗えなくなってきたのか、貞光は大きなあくびをひとつ漏らした。
それを見た頼光は切り替えるように立ち上がる。
「そろそろ寝るか」
「ふあ………。そうですね。明日は心ゆくまで寝たいです」
「ああ、今回はお前に多く助けられた。疲れているだろうからしっかり休め。じゃあ、おやすみ」
そう言って、先に部屋へ戻ろうとする頼光を貞光は思い出したように呼び止めた。
「あ、頼光さん。最後に一つ言い忘れたことが」
「どうした?」
「物草聖が望月さんに絡んでいたことについてですが、本の中では物草聖が月守命と対等に話せる地位がほしいと望んだ結果、今の地位に就いたと言うことが書かれてあったんです。なので、物草聖は月守命の地位もしくは月守命そのものを欲しているのかも知れません。」
「なるほどーー。で、お前は何が言いたいんだ?」
「つまり、物草聖が望月さんに興味を示したのは、彼の言うとおり望月さんを見て月守命を想起させたからであって、望月さんそのものに興味があったわけではないと思うので安心してください、と言うことが言いたかったです」
「お前はーー。そんな余計なことを言うんだったら早く寝なさい」
そう言って頼光に嗜められた貞光は、逃げろとばかりに自室へ帰って行った。
頼光は貞光がそそくさと立ち去った後を見つめる。
「ーー彼女自身に”今後も興味を持たない”かどうかは、分からないだろう」
そのつぶやきは、夜の静寂に溶け、月影離宮の闇の中に消えていった。




