第五章:忍び寄る影(二)
『羅生門』
――昔、都の南にある大きな門「羅生門」で、人々が恐れる怪異が起こった。
夜になると、門のあたりに恐ろしい鬼が現れ、人を襲うというのだ。
噂はすぐに広まり、誰もが夜の門を避けて通るようになった。羅生門のあたりは静まり返り、不気味な気配に包まれていた。
そのころ、源頼光という武士がいた。鬼退治で名を馳せた人物である。
頼光の家臣のひとり、渡辺綱は、主君の命を受けてこの鬼の正体を確かめるべく、たったひとりで夜の羅生門に向かった。
しばらくすると、綱の前にひとりの女が現れる。
美しいその女は「都へ帰るところ」と名乗るが、綱が目を離した隙に、女は鬼の姿へと変わり、襲いかかってきた。
だが、綱は臆することなく太刀を抜き、見事、鬼の片腕を斬り落とした。
叫び声を上げて逃げ去る鬼。綱はその腕を持ち帰り、頼光に報告したという。
後日、斬られた腕を取り戻そうと、鬼は今度は綱の伯母に化けて屋敷に現れる。
だが綱はその正体を見抜き、鬼は再び逃げ去った。
こうして、羅生門に潜んでいた鬼は退けられた――
〜〜〜〜
澪は、金色の瞳を持つ鬼と見つめ合ったまま、目を離せずにいた。
頼光たちが追っていると話していた鬼は、赤い髪と瞳を持つという。
目の前のこの男は、それとは明らかに異なる。
だが、額から突き出た角が、人ならぬ存在であることを物語っていた。
鬼は無言のまま、じりじりと澪に近づいてくる。
(逃げなきゃ……!)
心の中では警鐘が鳴っているのに、体はまるで縫い止められたように動かない。
気づけば鬼は目前まで迫っていた。
月の光を閉じ込めたような金の瞳に、澪は視線を奪われる。
初めこそ恐怖を感じていたが、相手からは敵意が感じられなかった。
静寂のなか、鬼が口を開いた。
「お前は――誰だ?」
探るような瞳の奥に、わずかな困惑の色を宿しながら問う。
澪の口が、まるで操られるかのように動いた。
「望月……澪です」
足が動かず、口が勝手に応える。この奇妙な現象も、鬼の力なのかもしれないと澪はどこか冷静に推測していた。
*
一方その頃、頼光たちは木の陰で休息をとっていた。
ふと貞光が綱に話しかける。
「そういえば、渡辺さんは望月さんを疑うのをやめたんですか?」
「ん?ああ……。素性の怪しさは拭えないが、少なくとも頼光様に仇なす者ではないと判断した」
「お前が澪さんに噛みつかなくなってよかったよ。そういえば、貞光、お前は物草殿の屋敷で彼女と二人でいることが多かったな。何を話していたんだ?」
貞光と綱の会話に、頼光も自然に加わった。
「彼女が持っている本のことを聞いていました。鬼討伐に関して、何か参考になる情報がないかと思いまして。」
「成果はあったのか?」
「現時点ではまだ何とも。不可解な点が多いので」
「そうか。月影離宮に戻ったら、話せる範囲で教えてくれ」
「承知しました。でも、彼女から直接聞くのが一番じゃありませんか?頼光さんになら話すと思いますけど」
貞光の言葉に、頼光はわずかに苦笑して返す。
「どうかな。俺が聞くと、言いたくなくても強制してしまうかもしれないだろう」
「変なところで遠慮するんですね」
貞光はあからさまに呆れたように言い放つ。
「おい、頼光様に対して無礼な口をきくな」
綱が貞光をたしなめていた、その瞬間。
頼光と綱が、同時に異変を察知し、表情を変える。
「――澪さんのいる方角に、誰かいる」
「この気配の消し方、只者ではありません」
「綱、行くぞ。貞光はここに」
「はっ!」「承知しました」
こうして頼光と綱は、澪のいる方向へと一斉に駆け出した。
*
「望月、澪……」
澪が名乗ったあと、目の前の鬼は確かめるように澪の名を呟く。
圧倒的に不利な状況だったが、相手が危害を加える気がないと感じ取り、澪もおずおずと尋ねる。
「あの……あなたのお名前は……?」
質問されたことが意外だったのか、鬼は金色の目を見開くが、すぐに視線を伏せて答える。
「名乗る名など……ない」
「そうですか……。えっと、私は、貴方が知る誰かに似てるんですか?」
一度質問したことで余裕が生まれたのか、気づけば澪は更に質問をしていた。
「いや……気のせいだった……」
澪の質問に、鬼もまた素直に答える。
「そう、ですか……」
(頼光さん、物草さん、そして目の前のこの人、彼らにとって私は何者に映っているんだろう……)
澪が期待した答えは得られぬまま質問はつきた。
二人のあいだに沈黙が流れる。
その瞬間。
風を切る音とともに、頼光の太刀が鬼へと斬りかかる。
鬼は気配を察知し、間一髪でそれをかわした。
反対側では、綱が退路を塞ぐように構えている。
「お前……鬼か?」
挟み撃ちにしたところで、頼光が相手の額に生えている角に気づき、そう問いかける。
鬼はその問いには答えず、腹から響くような声で
「退け」
とだけ言う。
その一言に、頼光と綱の身体が硬直する。
澪の時と同じように、体が言うことを聞かない。
「くっ……待て……!!」
必死に抗おうとするが、全身が言うことを聞かない。
その間に鬼は軽やかに飛翔し、近くの木の枝を伝って、あっという間に人里離れた方角へと消えていった。
ようやく動けるようになった一同は、その場に膝をつき、しばし呆然とその余韻に沈んだ。
あたりには、再び静寂だけが戻っていた。




