卒業
体育館は寒かった。
やたらと長い卒業式を終えて教室に戻って来ていた。
「今日の帰りとか明日のうちにぃ、さっそく事故に遭ぅたり、問題を起こしよる奴が毎年のように出る。忘れなんなよ。あくまでもお前らは三月三十一日まで、この学校の生徒なんやぞ。折角、決まった進路先の入学入社資格を取り消される、なんてことにならんようにぃ、くれぐれもぉ、くれぐれもぉ……」
黒板を背にして担任の先生が、騒めく生徒に負けまいと吠えていた。
何やあの担任。さっきから、クレクレ、うるさいねん――
自分の席に着いている奴なんて殆どいない。担任の言葉は、何人の耳に届いていることやら。
個々の生徒へ、担任から感動的な別れの言葉があると聞いていた。が、そんな儀式が始まるような雰囲気はない。「問題を起こすな、暴れるな」と、注意事項を連呼するばかりだ。
「お~い! この後カラオケに行く奴、手ぇ挙げろぉ」
根っからの幹事体質で仕切り屋の奴が、椅子の上に立ち上がって叫んだ。
「もぉええわ! お前らぁ、通信簿を名簿順に取りに来い!」
担任と副担任は、いろいろなことを諦めたようだ。
教室内は収集の着かない様になっていた。教壇では撮影会も始まっている。会おうと思えば明日にでも会えるのに、名残を惜しんで、誰も帰ろうとしなかった。それは、年間を通して雰囲気の良いクラスだった、という証みたいなものだ。
おう、ほな――またな。
カラオケ屋直行組がゴソッと抜けた。それを皮切りに、ようやく、あちらこちらで別れの言葉が聞こえ出した。すぐに家へ向かう者、部室に顔を出して、ひと威張りする者、みなバラバラに散っていった。
時刻は正午を回っている。
俺は席に戻って、机の中に放置していた物を鞄に流し込んだ。
滑りの悪い鞄のファスナーに難儀していると、まだ喋り足りない連中が何人か寄って来た。そいつらは、やおら進路の話題に触れていく。俺に対しての嫌味が少々混じっていた。大学の合否発表待ちで、不安な様子がありありと浮かんでいる。普段はそんな奴らじゃないと知っているので、まぁ大丈夫やろ、と流してやった。とはいえ、ちょっと話題を変えたいと思う……。
そんなときに、背後から女子の声がした。俺の体はビクビクと拒絶反応を示した。
「キュウは家出るんやって? もう準備とかしたん?」
去年の夏まで、一年間だけ交際していた、美歌だ。
俺の席を中心に談笑していた奴らが、余計な気を回して、ほんじゃ、またな、と去っていった。
――去年の夏休みに入る直前の、クラスのみんなが期末テストから開放されて一番浮かれている時期に、俺たちは離れた。
あの日、アルバイトが休みだった。夜になっても一向に涼しくならない公園で、俺たちは時間を忘れて戯れていた。
「遅ぅなったな。ヤバイか? さすがに怒られっかいな?」
「う~ん。お父さんが帰ってたら、プチやば」
彼女を家まで送ると、案の定、彼女の母親が玄関先で待ち構えていた。
門限破りを叱責される覚悟はできている。
俺が、母親に言い訳を始めると、軒先の暗がりから親父さんが姿を現した。当然険しい表情で、こちらに向かって来た。……これは分が悪い。緊張度合いが一気に増した。
「この大学受験を控えた大切な時期に、あっちこっち、うちの娘を連れ回されたら困るねんよ。山西君とこの親は、何も言うてへんの? ――うちの娘のために、別れてくれへんかいな?」
長々と続く両親の話を要約すると、だいたいこんな内容だった。別れ話にまで発展させられるとは予想していなかった。さらに続く理論整然とした大人の意見は、俺の胃腸に結構響いた。
美歌は、俺の肘を摘まんで微細に揺すった。言い返してほしかったのだろうと思う。しかし、俺が念じた言葉は、それ以上こっちを見るな、だった。美歌の視線が痛い。その場から逃げ去らないでいるのが、精一杯だった。
次の朝の彼女を見れば、あの後、両親とどんな話をしたのかぐらい、想像できた。
教室で笑顔が作れない。フォローできなかった。俺たちはギザギザの噛み合わないものになった。
学校の成績だけでいうと、美歌は頭が良かった。学年でも常に上位にいた。そんな彼女の成績が落ちてきている。俺と交際し始めてからだ。
化学の実験以外、全く興味を示さない俺と遊べば、悪影響が出るのも当然か。とにかく、世話を焼きたがる彼女だったので、勉強時間が激減していたことは間違いない。
それでも、彼女の両親の言ったことの真意が言葉通りならば、付き合ったままでも、成績を上げれば済む話。しかし、俺はその努力をしようとしなかった。
死んだ両親のことも言い返せないうえに、説得する言葉一つ思い浮かばなかった。その情けない気持ちを、俺は引きずった。
それで結局、一学期が終わる頃に別れた。いつもの帰り道でどちらともなく「友達に戻ってみようか」……なんて、在り来りな言葉だった。
同じ教室内で毎日顔を合わせるのだから、友達に戻るといっても、それはなかなか難しいことだ。それ以来、俺たちは一度も会話をしていない。
別れただの、くっついただの、という情報が広まるのは早い。すぐにクラス全員の周知となった。
女性陣からは、俺が一方的に避けているように見えるとか、意識しすぎているは未練の表れと言ってくる奴らがいた。折角お似合いカップルだったのに、と言った奴もいたか。
男性陣の中には、そう言ってくる奴らは、復縁を希望する彼女の差し金だと、深読みする者まで現れた。
しかし、気を遣われる期間は短かった。すぐに夏休みに突入したからだ。
四十日という期間が粗熱を取ってくれたようで、休みが明けた次の週には、奴らの鬱陶しい視線はすっかり収まっていた――
「お、おぅ、準備万端や。明日いきなり、もう行くねん」
「ふ~ん、じゃぁ……」
彼女が何かを言いかけたとき、場の空気をものともしない奴が、割って入ってきた。
「キュウ、俺、考えたんやけどよぉ……」
同時期に車の免許を取得したクラスメイトが、俺の引越し先の寮まで荷物を運んでやる、と言うのだ。自身のドライブ旅行のついでに寄ってやる、ということだった。
俺は引越し屋の単身引越しプランを蹴り、宅急便に依頼する予定をしていた。荷受店まで運び込む方法を考えている最中だった。
荷物はそう多くないが、あの車はぬいぐるみ等で占領されている。積載能力はないに等しい。当然、一往復で済まないし、借りて乗り回すには少し勇気が必要だ。そんないろいろなことが、一気に解消してしまいそうな有難い申し入れだった。
「えっ友春、マジええのん? 何で? 車、買ぅたんけ?」
俺は身を乗り出していた。
友春は、工務店を営む親父さんに(卒業後、すぐにでも本格的に手伝え)と、言われているらしい。だが、周囲が卒業旅行の話で盛り上がっているのを聞いて、急遽そういうイベントを経験したくなったそうだ。
友春とは小中高と同じ学校だ。顔馴染だが、同じクラスになったのは、高校の二年と三年だけだ。なので、幼馴染という間柄ではないし、一緒に遊んだ記憶もない。
そんな俺たちが、急に接近したのは「親父の現場で、バイト募集しとるんやけど」と誘われて、一緒に働くようになってからだ。ごく最近、ということだ。
友春の親父さんとは仕事中に何度か会っている。なので、全くの初対面というわけじゃないが、親父さんの顔面が随分と凶悪なうえに、威圧感が半端ではないので、できればもう会いたくないと思っていた。
「はいはい、わかったわ。社長って、男の友情系に弱そうやもんなぁ。友春の助けが必要やって、俺から頼んでみたらええんやろ?」
友春はイーと引いた口で笑い、親指を立てた。
俺たちは、扶養家族というネーミングが嫌いだった。
早く社会に出て、金を稼ぎたい。誰からも文句を言われず生活していきたい。車やバイクを借りるときに、お願いするという気持ちを体全体で表現するのが、邪魔くさかった。自分で買った自分の物が欲しい――と、友春と二人で語り合った。そんな記憶が新しい。
しかし、いざ学生生活が終わりに近づくと……。友春の言い訳はこうだ。
働きたくないわけじゃない。エイプリルフールが終わったらちゃんとする。ただ何というか、人生はこれから長いわけだし、もう少し執行猶予が欲しいと思ったり、思わなかったり……。
コイツは往生際の悪い奴だった。
「おぅほな、帰りにでも、うちの事務所に寄ってくれよ。絶対な!」
友春が手を振って、教室から出ていった。
俺も帰宅しよう、と立ち上がる。
「へぇ何で友春君? まぁ良かったやん。引越し代が浮いたって感じ?」
えっと、まだそこにいたのか……。
恋愛を引きずらないタイプなのか、元々、彼女がいるという日常を経験したかっただけなのか。容姿が好みだったことだけは否定しないが、俺としては元カノに対して後ろめたい気持ちしかない。二人きりにされると、どうにも気まずい。
「キュウ、あんなぁ」と、彼女が口を開いて、俺が身構えたとき、今度は教室の端のほうに溜まっていた女子の内の、誰かが声を張り上げた。
「何してんのよ美歌ぁ。マクド行っくでぇ。早ぅ!」
「ちょっと待ってぇな」と応えた後、美歌はこちらに向き直って「ほな、元気でな。これ、あげるわ」と小声で言った。
彼女は小さな紙袋を、俺の机の上に置いて踵を返した。
何を言おうとしたのかなんて、もうどうでもいい。
俺は紙袋をそのまま鞄に突っ込んだ。鈴の音がチリリと鳴った。
***
「ヒサ君、卒業おめでとぉん! 何か面白いことあった?」
「おぅ久ぃ、式なんか形だけやったやろ。何かオモロイ事件とか、起こらへんたんけ?」
兄貴たちが高校卒業という記念日を、宅配ピザごときで祝ってくれていた。
俺が炬燵に脚を突っ込むと、すぐに二人は、さぁ、お前の面白エピソードを、退屈を持て余す俺たちに浴びせかけろ、と言わんばかりに、目を輝かせて寄ってきた。
無法の暴走時代を過ごし、日々スリルを満喫していた人たちにとって、社会人というのは退屈な毎日の繰り返しらしい。
しかし俺はクラスを賑わすような面白チャンピオンではない。二人の期待に応えられそうな小話は、練れていなかった。
「そうそう面白いことなんて起こるかいや。俺はクラスの奴らと久しぶりやったし、それなり……やったけどな」
グッと前のめりになっていた兄貴たちが、座椅子の背もたれに戻っていった。
何もないってことはないだろう。もっと熱くなれよ、とでも言いたげ。漏れた息が二人同時なので、俺は呆れた。
「ヒサ君さぁ。顔の造りはええんやから(先輩、第二ボタンを下さい)なんて、何人かに言われたんとちゃうん?」
「造りて……。だからそんなん、何もなかったって」
「情けない奴やのぉ。――そうや! ボタンて言うたら、智美ぃ、卒業のときに俺がやった第二ボタンは、今、どうなっとんねん?」
「え? アタシ、そんなん貰ぅた? ほな、実家のどっかにあるんちゃう? 強く願ってたら、きっと出てくるはずやわ」
「義姉さん、そんなに大昔のことやないやん。やっぱアレって、その程度のもんかいな」
兄貴たちの卒業式は荒れたと、以前にも聞いた話を再度聞かされた後、会話の流れは、これからの俺について、の話に移っていった。
「明日って、朝から出発すんの?」と、義姉さんが訊いたので、俺は友春とのことを話した。
「おぉ、ナイス友春君! その気持ちわかるわぁ。う~ん、何か泣ける話やのぉ。お前はそいつに、ごっつぅ感謝せなアカンやろ」
今の俺の話の中の、どこに泣ける要素があったのか? すでに酔いが回っている兄貴はそっとしておいて、義姉さんに大凡の時刻と予定を伝えた。それから、俺はビールの空き缶を集め、ひと冬世話になった褞袍を羽織った。袖口の臭いを嗅いで、クリーニング代は幾らになるかな、と思った。
勝手口から外にようとすると、兄貴が居間から声を飛ばした。
「おぅ久ぃ! 明日、どのルートで行くのんか知らんけど、親父の墓にちょっと顔を出してから、行けよ」
「おぅ、わかっとぉわいや」
俺は首を窄めて外に出た。恐ろしく冷たい風が顔に当たる。
墓のことなんて、頭からすっかり抜け落ちていた。墓の周りに雑草が生えていたりしたら、無視するわけにもいかないし、面倒くさいことになる。昨日のうちに言ってくれていれば、何とでもできたのに……。空き缶を一つずつ踏んで潰しながら、友春に送るメール文を考えていた。
部屋に戻ってメールを打っていると、そのケータイが鳴った。友春からだ。これはタイミングがいい、とワンコールで出た。墓に寄ってほしいことを含めて、予定ルートの話をした。
(話は変わるんやけど。――キュウ、お前。藤堂に絡まれてへんかったけ? 縒りが戻ったとか?)
「あぁ、美歌な。そんなんとちゃうわ。元気でな、て何かくれよっただけや。まだ開けてへんけど……、触った感じやと、たぶん交通安全の御守みたいな物やろ」
俺は鞄を引き寄せて、動きの悪いファスナーに手をかけた。
(メールで、礼ぐらい送っといたらええねん)
「何や友春、えらい気にするやんけ。じつは昔から美歌に惚れとった、とか言うなよ」
(あ、あほか! それはないわ)
俺は笑いながら、紙袋を逆さにして振った。
チリチリと鈴が鳴った。(木彫り髪飾り)が床に落ちて、俺は動揺した。
(ほな、明日の朝な)
「……おぅ、頼むな」
この髪飾りは、俺が小学生のときに、母ちゃんから貰った物だ。今となっては形見のような物を、彼女に横流しするとは思えないし、した記憶もない。
俺は押し入れの奥から缶の箱を出してきて、蓋を開けた。そして、中に入っていた髪飾りを手に取った。
「あれ、やっぱり……。えぇ二つになってしもたけど、どうすんのコレ?」
俺は、そう呟いていた。




