単独タイム
休憩を多めに挟んで到着。
目の前にあるのは今子浦の海岸ではなく、俺の実家のコンクリート塀。道路標示を頼って突き進んだ結果、知った場所だと気づいたのが、実家の近所だったのでこうなった。
一旦実家に立ち寄って腰を下ろしてしまえば、もうその日は動く気がなくなる。そんなことくらいは予測できるが、多恵は初めて見る俺の生家に、はしゃいでしまっているし、他からのクレームも付いていない。
俺は車庫の脇に隠してある家の鍵を取って、いらっしゃ~い、と多恵を招き入れた。
家の外観は少し変わってしまっていたが、中身はそうでもなさそうだ。誰もいないとわかっている家に、つい身を屈めてコソコソと上がり込んでしまったのは、玄関の匂いに他人の家のような感じを受けたからだ。
――お、家具が新調されている。奥の部屋や二階の探索は後にしよう。とにかく疲れた。といっても尻が痛いので座りたくはない。うつ伏せになってグーッと伸びているのが気持ちいい。居間の畳みの上でひっくり返る。あ、茶くらいは出すか……。誰が? あぁ面倒くさい。
「多恵、言ぅてた所なぁ。今からでも行って帰って来れんこともない、こともない、ことも……」
「うん。明日でいいんじゃない? あの子、渋滞する手前くらいで、どっか行っちゃったし」
「え、そうなん? ほんなら、もう行かんでええんとちゃう?」
「う~ん」
多恵も訳がわからないという様子。
それから、しばらくまったりとした時が流れて、ようやく俺たちは動く気になった。
「ここから、駅って近いの?」
「歩いたら結構距離あるで。駅前、うろちょろすんのか?」
「親戚んとこ、用事を済ましちゃおうと思ってさ」
多恵はバッグを引き寄せてケータイを取り出した。
「やっぱり送って行こかぁ?」と訊いた俺に、通話中になった多恵は手を左右に激しく振った。
電話を終えると、多恵は化粧直しと着替えをしたい、と洗面所に立った。
親戚の家に行くだけで、わざわざ着替えるのか……そりゃ凄い。
背後からの声かけ。駅まで十五分くらいの所を、三十分は歩くとオーバーに言ったが、多恵は「それくらい、楽勝」と言って聞かなかった。
俺は外に出て彼女を待つことにした。向かいの家も、落書きのある電柱も、全てが懐かしくてゆっくりと見渡した。
以前、噛みつかれそうになった馬鹿犬は留守だ。犬小屋はそのままなので、どこかに預けているのだろうか。車が二台置ける庭先に、今は俺のと兄貴の車が並んでいる。この田舎暮らしで、新しい義姉さんは車を使わないのか? それとも空港までそっちの車で行ったか。――帰ってきたんやな、と感じた。
ふと、学生時代長らく世話になった、あの原チャリは現役だろうかと、俺は家の横手に回った。
その場所にあの原チャリはなかった。代わりに電動アシスト付き自転車が置いてあって、少し寂しいエコ気分を味わった。同時に、このタイプの自転車に乗ったことがない俺は、それに凄く興味が湧いた。ニヤけながら小走り。自転車の鍵を探しに玄関へ回る。
漕ぎ出す瞬間のペダルの軽さに驚きながら、家の前を頭のネジの緩い人みたいにクルクル回っていると、ようやく支度を終えた多恵が出てきた。
「家の鍵ってどうしとくの? ……で、キュウ、何してんのさ?」
「上り坂でも試したいし、これで行こう。後ろに乗れや」
「それお兄さんの? 私にも、ちょっと乗らせて」
彼女も未体験らしい。俺たちは二人乗りで、駅へと向かった。
駅までの道中は、時に郷愁を感じることもあった風景、そのままだった。ただの住宅地で観光には適さないということだ。多恵とは用事が済み次第、連絡を取り合うと決めて、駅前で別れた。こうなると、もう俺にはすることがない。
電話番号が変わっていたら、ショックかもと思いながら、俺は電話をかけた。
(おぅ、めっちゃ久しぶりやんけ! 最近、どないしとんねん)
ケータイを弄っている最中だった、と言う友春がツーコールで応じた。
「今、こっちに帰って来とんやけど、暇でや。予定ないんやったら、ちょっと遊んでくれ」
友春の変わらない声や勢いに、自然と笑みが溢れた。
(何やほれ……今、どこやねん? 来い来い、すぐ来い!)
久しぶりの友春は、工務店を仕切っている人っぽくなっていた。いずれは社長になると決めた奴には、早めに貫禄が出てくるものなのかもしれない。
友春は地元から出てない利を活かして、同窓生の現状に詳しかった。勝手知ったる工務店の休憩所で安い茶を飲みながら、俺たちの話題は尽きない。
その懐かしい奴話の中でも、隆宏が出家した話には驚かされたし、笑った。
友春情報によると、隆宏は無職でフラフラする日々が長く続いたらしい。それが突然、坊主になる、と言ってそういう学校へ行ったきり、連絡が取れないそうだ。俺は富貴恵婆ちゃんの言っていたことを思い出していた。が結局、改心したというより何か企みがあるに違いない、で俺たちの意見は一致した。
「来れそうな奴、何人か集めて、プチ同窓会にするか!」
友春はケータイのメモリーを漁りにかかった。
「……女と一緒やしなぁ。どうやろか」
彼女を連れて帰省している事情などを説明している最中に、俺のケータイが鳴った。
「ごめ~ん。こっちで泊まることになったの。キュウ、そっちはどう?」
「えぇ、マジかいな」
ちょうどいいと言えば、そうなのだが……。友春はすでにメールを一斉送信している。
「旅行に出て別々に過ごすって何やねん。お前んとこも上手くいってへんのけ?」
友春が複雑な表情で言った。
俺は笑って「誰か、都合つきそうなんけ」と訊いた。
「おぅ、今んとこ、モッサンと、キッツンと、ゲルピンが来れるってよ」
――そんな奴いたか? 視線を天井に走らせた。
***
居間のほうで俺のケータイが鳴っている。たぶん多恵からだ。とっくに起きているし、出たい気持ちは山々だが、今の俺はトイレで苦しんでいる最中。昨夜の飲み会で、調子に乗りすぎたのが原因なのはわかっている。
この電話が(今から駅に向かう)ならいいが(駅に着いた)なら、多恵の機嫌を損ねるだろう。どうせ寝ている、と思われるのは癪なので、俺は腹に力を入れないように、そっとケータイを取りに行って、またトイレに戻った。
ひと呼吸置いて、腹をマッサージしているときに、また鳴った。
(お、一発で出るなんて珍しいじゃん。昨晩、眠れなかったの?)
「……あ、いや。ちょっとした同窓会になってな。暴飲暴食が祟って、今、トイレに閉じこもっとんねん」
「朝から何言ってんの? 今から出るし、三十分くらいかなぁ。駅までお迎えよろしくね」
一発で? ケータイの着信履歴を見ると、知らない番号で二件の着信があった。昨夜の懐かしいメンバーは電話帳に登録してあるはずだし……。俺は首を傾げて、尚も下腹部をグイっと揉んだ。三十分か……正露丸は薬箱にあるやろか?
閑散とした駅前で、彼女を見つけるのは容易だった。誰かと電話中だ。俺の車に気づいて、多恵は大きく手を振った。その振り方が、トラブル発生といっていた。
車を横づけすると、多恵は慌てて乗り込んできた。
「キュウ、どうしよう……。カードが犯人だって!」
多恵は助手席へきちんと座らないで、四つん這いで俺にケータイを押しつけた。
「はぁ? 何を言うとんねん。ちょっと落ち着けや」
押しつけられた電話に出ると、相手は警察と名乗った。
昨日の未明に、事故死した人の持ち物を調べてみると、名義の違うクレジットカードが複数枚出てきた、と言うことだった。その中に多恵のカードがあったらしい。
俺は話を聞きながら、自分の財布を取り出した。これはガソリンスタンドのカード。これはポイントカード……あっ!
「山西 久といいますが、その中に俺の名前もありますか? ――そうですか」
警察が言うには、すぐにでも被害届を出してほしいそうだ。出せというなら出すけども……話を聞かせてほしいと言うのは、どういうことだ? しかも、向こうは事件捜査の協力なんて言うので、少し緊張してきた。市の警察署まで行かなければならない。俺たちに非がないのなら、旅行中はそっとしておいてほしいものだが。
現在地と、俺たちが旅行中だということを伝えると、電話の相手は、市警ではなく県警本部まで来てくれないかと、言い出しやがった。
(急ぐ必要はないですが、できれば今日明日中にお願いしたい)
「兵庫の県警本部?」
どのみち神戸には行く予定だったので、警察の人には、その際に寄ると伝えて電話を切った。
「朝から、知らん番号で着信があってさぁ。一回は無視したんだけど、信販会社からだったかな」
多恵は落ち着きのない様子で言った。
「そういえば、俺んとこにも二件ぐらい着信があったわいや。そのことやったかもしれんな」
俺たちは一旦荷物を取りに、家へと向かった。
「こういうときって、利用停止の手続きとか、しないと駄目なんじゃないの?」
荷を広げたわけでもないので、出発の準備はすぐに整った。
「そやなぁ。訳わからん請求が来たら嫌やもんな」
クレジットカードなんてどこで盗られたのか、という話にはならなかった。二人共のカードが盗まれていたのだから、俺たちの脳裏には同じ疑惑が浮かんでいた……。




