怒りと諦め
大型連休の中日とあって、道路は思いの他空いていた。
向かっている先が、楽しい場所とはいい難い所なので、神戸へ向かう車内で重い空気が居座り続ける。
俺はなるだけ明るく昨晩の同窓会ネタで攻めてみた。しかし、共通の友人なき話題はなかなか広がらなかった。それなら、と多恵のほうに又従姉妹の話を振ってみたところ、そっちのほうも今いち歯切れの悪い物言い。女子会の話は隠し事のオンパレードだ。まだまだ……と、和洋問わず城好きの多恵を気遣って、姫路城経由を提案してみる。これにも多恵は乗り気ではない様子。折角天気も良くなってきたというのに、俺たちの会話にキレが戻らない。
ファストフード店で軽食を取りながら、厄介事は一つずつ丁寧に潰していくにかぎる、と話した。俺がツーリングマップを開いて、ルートを確認している間、彼女はずっと食べている。
「ポテトばっかり、よう食うのぉ。そんな腹減っとったん?」
うん、と短い返事。食わなきゃやってられない、といった印象を受けた。
もう、楽しく神戸観光をするには、俺たちの思惑が外れていることを祈るしかないのか。俺は兵庫県警への最短ルートを指でなぞった。
***
本部庁舎はドーンとそびえ立っていたので、多恵のナビも手伝って安易にたどり着けた。
受付には、二人並んで電話の内容を伝えた。
しばらく待つと、刑事が二人出てきて、どうも、と気さくな笑みを寄こした。二人ともひょろりと背が高い。その内の一人は、俺たちと電話でやりとりをした本人だった。電話では責任者と名乗っていたように思う。ということは、これは兵庫県警の事件なのか? 警察の仕組みはよくわからない。
少し話を聞かせてほしいと言われて、俺たちはそれぞれが別室の聴取となった。緊張が増す。先に刑事について階段を上がって行く、その背中を追っていると、彼女は一度振り返り緊張の表情で頷いて見せた。
「わざわざのご足労下さって有難う御座います。あれから、すぐ車で来はったんですか? えらい早い到着でビックリしましたわ」
目の前に座る刑事が笑顔を絶やさずに言った。
「カードのことも心配やし、早いことすっきりしとこうて、彼女と相談しましてん」
部屋の扉は開け放たれていて、目の前には、お茶が出されている。
「あれ、関西の方でしたか。カードの住所は静岡になってますけど」
彼女には観光だが、俺にとっては久々の里帰りだと告げる。
すると、私も配置換えで久々に地元に帰ってきた、と言って地元の変わり様に驚いたときの話が始まった。話を訊きたいと言っていたくせに、俺には現在の就職先を尋ねただけで、刑事は自分の話ばかりする……。こうなると自分のエピソードを、負けじと繰り出すのが関西人の特性だが、俺は相槌程度に終始した。
世間話が一段落したところで、刑事はそのままの笑顔で、六枚の写真を机に置いた。
「この中に知った顔はありますかね?」
何のテストだ? 俺はいちおう全部の写真を見て、その中から二枚を指で引き寄せた。
「……はい。昨日、一昨日と一緒やった寺島さん夫婦っすね」
事故死だろう? 生前の顔写真が出てきて驚いた。俺は寺島さんと出会ったときから、別れるまでの経緯を追って話した。
「なるほど、ようわかりましたわ。――まぁ、十数枚あったカードの中で、山西さんと藤堂さんのカードだけ被害が無かったもんで、直接会ぅて話を訊きたかったんですわ」
そこへまた一人が入ってきて、何やら耳打ちしていった。俺は出されていたお茶に初めて手をつける。寺島さんと俺たちの関係を疑っていた……と、そういうことか。もしかして、ここに来るまで尾行されていたなんて……さすがにそれはないか。
「彼女さんのほうは終わっとる頃やろか? ちょっと見てきますわ」
刑事が椅子を引いた。
部屋を出る際に振り返って「あ~どうせ、新聞かテレビで見はると思いますけど、あれは竹村っちゅう姉弟で、窃盗グループの一員ですわ」と言う。
俺は背筋を伸ばして息を吸った。
偽名……当たり前か。姉弟ってのは信じ難いな。多恵も今頃は別室で驚いているだろうか?
また別の人が入ってきて、俺の前に二枚の用紙を置いた。その人は記入する欄を鉛筆で薄く囲みながら、早口で説明を始めた。
俺は被害届を書きながら、被害て受けたかいな? 何か、ええ人やったけどな……と、あの二人を思い返していた。
面倒くさいことをいろいろと終えて、受付カウンターまで降りると、多恵が下を向いて硬そうな長椅子に座っていた。世間話があった分、俺の方が長引いたようだ。
「おぅ、お待た。行こかぁ」
多恵は悲しげな目を上げて微笑んだ。何も言わずに、バッグを持ち替えて立ち上がった。
「芦屋方面に向かって、その途中でどっかええ店探そうか」
「……うん」
彼女は視線を落としたまま頷いた。
二人で駐車場を歩いていると、制服の警官が何やら車を覗き込んでいる。――おい、それ俺の車。
「ごちゃごちゃとイジっとうけど、これで車検は通ってますねんで」
駆け寄って、車との間に立ち塞がるようにして言った。
「あ~持ち主さん? これの前を通ったときに、中で何か動いたような気がしたもんでね。――静岡からですか。安全運転して下さいね」
警官は多恵にも敬礼して、立ち去っていく。
「ポリっちゅうのは、何かとイチャモンを付けてきよるのぉ」
俺は警官が完全に見えなくなってから、エンジンを掛けた。この車は音が少々大きめなので、さっさとこの場所を離れたかった。
ところが、多恵はなかなか車に乗り込んでこなかった。
俺は助手席の窓を下げた。多恵に声をかけようとして、はたと躊躇した。多恵は下唇を噛み、悔しそうな表情で車を見ている……。それでもずっとここにいるわけにもいかない。
俺は鼻息を漏らして「何しとんねん。早よ、行くで」と声を張った。
ようやく多恵は助手席に着いたが、相変わらず思い詰めているようで、元気がない。
「お~い、多恵。ポリの巣窟やし、いちおうシートベルトせえよ」
「あっ、うん。ゴメン」
ハッと我に返ったように、彼女がシートベルトをする。すると、少し遅れて後ろからも、カチッと音がした。
駐車場から出るのに、幾つもの必要な運転操作を流れるように行った。彼女が俺の横顔を覗っているのには気づいている。どう言っていいのかわからなかった。
「俺も、カドやんとかに土産を買わんと……あの人、そういうのにうるさいし」
『今子浦』
後ろの席から、か細い声がした。俺はチッと舌打ちをした。前方の道路事情に注意を払いながら続けた。
「芦屋とか言ぅたけど、俺、あそこらへんのこと、あんまり詳しい知らんねんけどな」
『今子浦!』
「デパートに入ってしまうか、う~ん、専門店を回ってもええか」
運転席の背凭れを、ボンボンと叩くモノがあって、俺の体は前後に揺すられた。
「ねぇ、キュウ」と、多恵が俺の左腕に手を添えた。
「それで、まずは会社の連中のやろ……」
座席への衝撃は、どんどんと大きくなっていった。
俺は奥歯を噛み締めて、ぎこちない余裕を多恵に見せる。
多恵の手に力が加わった。焦った表情で「キュウ、もう無理だって」
俺は路肩に車を停めて振り返った。
「鬱陶しいんじゃいボケ! ほんな簡単に人を殺すなや!」
俺は何もない後ろに怒鳴った。
首筋から背中を棒に縛りつけられたような感覚に襲われた。同時に運転席が後ろへ引き倒された。胸を踏まれて躙られると、こんな感じだろうかと思うほどの圧迫。俺は肋骨の耐久性を上回る力に屈服して顎を上げた。
「行かないって言ってないでしょ。止めなさい!」
多恵はそう叫んだ後、小刻みに唇を動かすと、俺の体から嘘みたいに痛みが引いていく。
俺は車の天井を見つめて、何度も深く呼吸をした。
「もぉ……キュウ、大丈夫?」
俺は目を閉じたまま、ポケットに入っている髪飾りを握りしめていた。反対の手を力強く挙げて見せる。
多恵を青ざめさせるほどのモノを、俺がどうこうできるわけがない。それでも、寺島(偽名)さんのこともあって、言わないと気が治まらなかった。
耳には車の排気音だけが聞こえる。
水を一口貰った。大袈裟に一息吐いてから「もぉ! 何やねん」と強がりを言って、車をスタートさせた。
ルームミラーを必要以上に何度も確認するが、俺の目にアイツはもう映らなかった。だからといって、そこにいないわけではない。後部座席のシートベルトが、不自然な形を保って宙に浮いている。
呼吸は徐々に整っていった。一生のうちに、俺は後何回こんな目に遭うのだろうか……。
信号待ちの先頭――前の横断歩道を小型犬を五匹も連れた、けばけばしいマダムが渡っていく。
「今子浦に着いたら、ここ掘れワンワンで、お宝ザックザクみたいな、お礼とか……ないやろか?」
座席の背凭れを突き抜けて、ドンッと返事があった。
「絶対、ないでしょ」
多恵が目を糸みたいに細くして、やっと笑った。
神戸を抜けてからの走りは順調だ。また地元に戻って、さらに今度は日本海まで出なければならないことを考えると、何とも面倒くさかった。それから神戸にとんぼ返り? 勘弁してくれよ。
「ガソリン代ぐらい出せや。だいたいお前、きっちりシートベルトなんかしくさって、いったい何に気ぃ遣ぅとんじゃい!」
俺は眉間にしわを寄せて放つように言った。
後ろからの返事はなかった。
代わりに多恵が、俺の肩に手を置いて、ドゥドゥ、と抑えた。
来たときとは違うルートを選んで、少しでも無駄に戻っている感を緩和する。それが、今の俺に出来る精一杯の抵抗だ。
車は北上を続ける。流れはそこそこに快調だ。
-了ー




