雨のレストラン
俺たちは出入り口に一番近い比較的小さなテーブルに着いた。
おざなりにメニューを捲っていくが、俺はハンバーグセットと決めていた。しかし先に、寺島さんが「じゃぁ、俺はハンバーグのAセット」と言ったとき、陽子さんが「結局それよね。子供か……」とツッコんだので、頼みづらくなった。
「キュウも、だいたいそれよね」と、多恵がバラしたので、俺は照れながらそれの和風セットを注文した。
静かなBGMが流れる中、二人のスタッフがトレイを胸に抱き、浮かない顔で外を見ていた。さらなる来客を願っているというよりは、帰りの心配をしているように見える。その様子から「雨、止みそうにないっすね」と始めたが、温めただけとわかる早さで運ばれてきたハンバーグセットで、会話は中断した。
全員の分が揃うより先に、ハンバーグに取りかかる男二人を、女性陣は半ば呆れるように見ていた。
「雨もあんまり強いと、恐怖よね」
陽子さんがコップの水を飲み干して言った。
それから、多恵をじっと見つめて「もう、すっかり抜けたみたいね」と微笑んだ。――すみません、お水ください。
黒い顔でホテルを出発して、車を降りたら肌の色が白に変わっていたのだから、寺島夫妻じゃなくても普通は気づくだろう。俺の口からは、上手く説明できそうになかったので、あえてそのことに触れなかったのだ。
その話に寺島さんも、ライスを頬張ったまま入ってきた。
「それがホテルのと同じパターンなら、いよいよヤバくね? 山西くんは……体、大丈夫なの?」
結局、わかっていないのは俺一人ということ。この二人に細かい説明は要らないようだ。
「俺は別に。何が何やら、さっぱりですけど」
夫妻は口を揃えて、凄いなそりゃ、と驚いた。
すぐさま多恵が「鈍いだけ」と、コーヒーを濁す。
折角俺が褒められているのに……。多恵を睨みつけやる。すると彼女は、パスタとゆで卵の輪切りを少しくれた。
その様子を陽子さんはただ笑って見ていた。
寺島さんは、そんなやり取りに我関せずといった感じで、ごつい手からナイフとフォークを離した。さらに追加でカレーライスと、水をピッチャーごと置いといてくれ、と注文をする。
その下げられていく食器を見ていて、俺にはふと気づいたことがある。……ふりかけの空き袋? セコい話だが差別感を抱いて、自分のトレイにふりかけを探した。もう殆ど食べ終えているので、見つけたところで後の祭り状態だが……。
ライスの皿を持ち上げると、そこにゴマ塩の小袋を見つけた。小さく舌打ち。重ね重ねセコいが、俺は小袋をズボンのポケットへしまった。
もぉ! と、一部始終を見ていた多恵が、俺の太ももをピシャッと打つ。すると、反対の右側からも『もぉ』と、太ももを突くモノがあった。
一瞬にして俺の背中が突っ張る。今の俺が、どんな状況に置かれているのか、誰か説明してくれ、という思いを、固唾を飲んで我慢した。ここはみなに倣って、無視するのが一番のはずだ。
雨は止むどころか、雷を伴ってより激しくなっている。
なかなか出発する気になれない状況で、三人の会話は〈霊能者あるある〉になっていた。
それは、夏の夜に集うと、すぐに持ちネタを披露する奴らとは違う次元の内容だった。普段、近くに相談相手のいない多恵にとって、この場が先輩のアドバイスを貰うチャンスだったようだ。彼女は積極的に話しを振っては、目からウロコといった顔で何度も頷いていた。
そんなハイレベルの会話に、到底俺が入っていけるわけがない。欠伸を噛み殺して、小鼻がプクッと膨らんだ。それでも、全く無視されているような気がしないのは、夫妻が時折、俺に興味津々といった視線を投げかけてくるからだ。俺は食後のコーヒーを何度も口に運んで、何もない右側を気にしつつ、外を見ていた。
三人が盛り上がっている中、突如として雷鳴が轟いた。豪快な一発だった。
近くに落ちたか? 考えるまでもなく、建物自体がビリビリと揺れる。店内の照明が一斉に落ちた。厨房のほうが騒々しい。聞こえてくるのは、女性スタッフの声のみ。
対して、客である俺たち四人に焦った様子はなかった。俺は雷にワクワクする質だし、多恵はもちろん、陽子さんも、雷ごときでキャーキャーと騒ぐタイプではないようだ。
容赦なく続く雷鳴で、店内の壁が不気味に照らされた。俺は、おーっと口を丸くして、胸の高揚を感じていた。
黒いワンピースの女の子が見えたのは、そんな光の中だった。俺のすぐ右横だ。
俺は顎を引き、空気をゆっくりと吸い込んでいった。その少女は雷が光る度に現れた。その瞳は俺を、俺だけを凝視している。俺の顎はだらしなく下がり、口が大きく開かれた。そこへ、けたたましい金属音。スタッフがトレイを床へ落したのだ。それと同時に、黒板を引っ掻くような悲鳴を上げた。
その女性スタッフの悲鳴が合図かと思ったほどタイミング良く、店内の照明は復旧した。
スローモーションを断ち切った女性スタッフは、店の出入り口付近で顔を覆い、しゃがみこんで震えていた。
奥から他のスタッフがドヤドヤと出てきて、不思議そうにその女性に寄り添う。俺以外の三人が、やれやれといった表情で、それぞれの飲み物に口をつけた。
俺の開いた口は、完全に叫ぶタイミングを失って、静かに閉じた。
「ここは俺が払っとくから、みんな先に出て」
寺島さんがコップの水を飲み干して、立ち上がった。
その口調に急かされ、俺たちは礼を言うのも忘れて自動ドアをくぐった。店内にいては過小評価されていた雷雨の激しさを、肌と足元に喰らった。
支払いを済ませて出てきた寺島さんが、激しい雨音に対抗して叫ぶように言った。
「ここからは、峠を下るまで一本道だから、迷うこともないよ」
ここでお別れだ、と言っているのだ。
寺島さんは頭をジャケットで覆い、車へと走って行った。あの体格からは想像もつかない軽快な動きに、少し驚いた。
陽子さんはハンドバッグから、一枚の紙切れをを取り出した。そして、何かを呟きながら、それにフッと息を吹きかけて、俺の背中をひと撫でした。
「これも何かの縁だから、この子、連れてってあげるわ」
陽子さんは流れるような仕草で、その紙切れをハンドバッグへしまうと、店の前の五段ある階段を三歩で駆け下り、ちょうど迎えに来た車に飛び乗って行った。
「何か、カッコイイ!」
運動音痴の多恵が熱い眼差しで、夫妻の車を見送っていた。
今、俺が何をされたかぐらいは洞察できる。身体的に何の変化も感じないのは、いつものことだ。俺は自分の肩を揉みながら、多恵をチラチラと見た。――ああいう便利グッズを、多恵は持ち歩いてへんのかいや?
「何よぉ……持ってないわよ」
多恵は俺を見上げて口を尖らせる。
俺の思考が耳から漏れているのか?
俺たちは滝のように容赦のない雨を、気持ちだけは掻いくぐったつもりで車へ戻った。
「コーヒーのおかわり自由って、書いとったのになぁ」
ほんの五メートルでズブ濡れになった髪を掻き上げながら、俺は大袈裟に残念がった。
多恵がタオルを引っ張り出してきて、俺の頭に被せる。
「居心地が悪い所で、長居はしたくないでしょ」
水滴を拭ったついでに、フロントガラスも拭いてワイパーを作動させると、数名のスタッフがこっちを指差して、何かを言っているのが見えた。
「う~わ~、めっちゃ見とるやん……。二度と来んから、別にええけどや」
「さっきの、見えたの? 陽子さん、連れて行ったけど大丈夫かな」
その問いに、俺が答えられるはずもなく。
「大丈夫やなかったら、どうなんの?」
多恵はタオルに顔を埋めて、唸った。
「霊符の縛から解放されたら、どうだろう? 次に憑く器を探すかな? この車をタクシーを拾うみたいに、手を挙げて待ってるかも」
俺は車の座席に深く身を沈めた。
***
程なくして俺たちは出発した。
峠道に出てみると、そこはもう道路全体が川のようで、排水設備が整っている施設駐車場では想像もしていなかった有様になっていた。
ワイパーを強レンジにするのも久しぶりのことだった。平地の水害と違って、車が水没するようなことにはならないだろうが、車高の低いこの車の底を、ガッガッと水が叩く度に、いろいろと心配事が増えた。
ここからの下り道は、坂の勾配が緩やかな分、道のりがひたすら長い。観光バスを狙ってのことか、道幅は充分確保してあるし、天候さえ良ければ、地元の走り屋たちのホームとなる予感がした。
「もう、勘弁して欲しいわいや」
何度も呟きながら、尚も続く峠を下っていた。
そんな中、多恵が「あーぁ、マジで? 川の底、這ってんじゃん。冗談だったのに……。キュウ、ヤバイことになってる」と言った。
この騒音の中でも、彼女の声は良く聞こえた。
周囲の状況は先ほどと変わらないので、おそらく霊的な意味で言ったのだろうと思う。そうとわかっているなら、何が来ても取り乱さないという覚悟で、俺は切れ込んだ左のブラインドコーナーに、ハンドルを合わせていった。
強レンジのワイパーが、間に合わないほど激しい降りの中、目の前に現れたのは、大きな黒色の四駆、寺島さんの車だった。
タイヤのスリップ痕がすぐに洗い流される状況下では、なぜに寺島さんの車が生い茂る雑草に正面から突っ込み、溝に填まっているのかが、理解できなかった。




