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連れる旅の事象  作者: ゆぞぅ
第六章   帰省
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夜の散歩

 

 混雑は避けたいものだ。そう思って夜明け前の出発を考えていた。

 チェックアウトのリミットを聞き忘れていたので、フロントへ確認の電話を入れると、早く出る分には何時でも構わないが、リミットは十二時だという返事。

 受話器の向こうの女性は、先ほどと変わらず息が荒い。――それはともかく、そんなにゆっくりとさせてくれるものなのか? 多恵と相談……。それならば予定変更だ。


 二十二時過ぎ。俺たちはケータイと財布を持って、近辺の散策に出かけた。

 高架の下をくぐり、片道二車線の道路を真っ直ぐに行く。夜風は冷ややかだった。

 三階層レベルのテナントビルが立ち並ぶオフィス街は、静まり返っている。全く人通りのない道路には、夜中の学校のような、叫べば誰かが応えてくれそうな雰囲気があった。連休中のオフィス街で、しかも夜となれば、そう珍しい光景ではないのかもしれない。みんなどこかへ避難してしまったかのようでいて、それなのに誰かに見られているような。時折、ヒョッヒョッと聞こえるのは風の音だが、痩せた爺さんの笑い声を連想させた。暗すぎる街灯は俺たちの影を作らなかった。ここには切れかかって点滅する電灯に、蛾が舞うといった光景が似合う。

 真っ直ぐに伸びる道の向こうまで見通したが、信号の先はよく見えない。遠くには黒い丸があるだけで、あの先には行きたくないと感じた。

 不意に腕を掴んできた多恵に、俺は驚いて現実に引き戻された。


「もぉ、何か危なっかしい」

 多恵は俺の顔を覗き込むと、少し笑った。

「おう、悪い」

 何のことやらわからなかったが、とりあえず謝っておいた。

 

 この何にも通らない、通る気配すらしない道路の真ん中を歩きたくなった。肘を耳に近づけてストレッチをした。それから、う~ん、と唸って、車道へ出ていった。普段なら、もぉ! 止めときって、とか言いながら、俺の行動を律する役の多恵が、何も言わずについてきた。

 静かすぎる道路を二人で歩く夜の散歩。情緒もヘッタクレもないので、当然、胸の鼓動が速くなり、立ち止まって見つめ合うこともなく、只々、言葉数だけが減っていった。俺たちの会話の九割を担当する多恵が黙ってしまっては、この沈黙は仕方ない。

 俺はポケットからケータイを取り出して、座って話せる店を、と検索してみた。


「まぁ、雰囲気的に、なさそうやけど」

 多恵は無言のまま、画面を覗き込んでくる。

 ケータイを傾けて検索画面を見せると、日焼けした多恵の顔が、画面に照らされて幾分白く見えた。予想通り、徒歩で行くような範囲内には、検索ヒットしなかった。

 多恵は、そりゃそうでしょ、とでも言いたげな顔でさっさと歩き出す。俺たちに、付き合い始めの頃にありがちだった、沈黙からの気まずさや、焦りはなかった。


「ねぇ、あれでしょ?」

「そうやろうな」


 多恵が指差す先に、目印としていた大きな交差点が見える。直線道路なので、ずっと前から見えていたが、交差点を曲がるという行為で訪れるであろう変化に、期待したのだと思う。

 時々不安げに振り返りながら交差点にまで来ると、信号が赤に変わった。元々、道の真ん中を歩いている上に、この状況では従う気にもなれない。


「こんな感じやったら、点滅信号でええのにな」

 多恵も頷いた。

 言いながら左折すると、景色は一転した。う~わ~、と二人で声を上げて立ち止まった。

――何もない。

 今まで歩いてきた道路の両端にだけ、ビルが建ち並んでいたのか。

 この先は、これまで以上に暗い。正確には、本当に真っ暗闇で、何もないというわけではない。アスファルトも敷かれていて、きちんと区画された駐車場が見えるし、その向こうは空き地になっているとわかる。

 しかし、とりあえずは電源確保のみ、と主張する電柱があまりにも細くて、臨時丸出しだった。それに取り付けられている電灯ごときで、得られる情報量はとても少ない。先ほどまでの街灯も暗いと思っていたが、アンティークな造りで、暗さに意図が感じられた。ここからの灯りは、只々引き返したい気持ちを駆り立てるだけの、闇の暗さだ。

 そんな中でも、工事用ライトに照らされたプレハブ小屋の存在が気になる。いや、それしか気にするものがないというべきか。その建物はライトの照射角度のせいで、一見すると、宙に浮いているように見えた。


 プレハブの前で足を止めた俺たちは、道路に沿って設置されている、巨大な看板に見入った。このだだっ広い場所が、数年後にはこうなる予定だと、区画の図が描かれている。


「なるほどな、ここに分譲住宅が二百戸建つんかいな! ごっつい仕事やのぉ。なんぼ儲かるんやろ?」

「ほら、あそこ。病院と幼稚園も建つみたい」

「上のほうにコンビニがあるやん。……けど、建つ予定か」

 看板から目を離して、道の先のほうに目をやると、小さく光るポールサインがあった。遠すぎてはっきりとしないが、青と白。おそらくローソン。目標が見えたことで、二人の間に安堵感が広がり、咄嗟に絡めた二人の腕は解かれた。

「へぇ、ほな、あのコンビニは完全な先走りかいな」

「昼間は大工さんとかで、溢れかえるんじゃない?」

 コンビニの店員が聞いていたら、大きなお世話だ、と言うだろう。話題を提供してくれた完成イメージ看板に感謝したい。


「失敗やなぁ。こんだけ何もないんやったら、車で来たら良かったわいや。多恵、風呂上りやん。どうもないんか?」

 一塊となった風が、予測不能なリズムで吹きつけた。見渡す限りと言えるほど視界は良くないが、これだけ防風壁役の建物がない所で、風を受けるのは久しぶりだった。

「うん、大丈夫。髪はちゃんと乾かしたし、何か私らって、早歩きになってたし」

 この暗さが煽っていたのは不安だけではなかったようだ。そのお蔭で、ホテルを出たときに感じた風の冷たさは、幾分和らいでいた。

「キュウさぁ、地図見てたじゃん。ここら辺、どうなってたの?」

 俺の少し前を歩いていた、多恵が振り返った。

「あぁ、地図な。何にも表示されとらんかってん。この画面サイズで文句言うのは何やけど、細い道路とか、よぅ省略されよるやん。ここまでホンマに何もないて……。ん、どないしたん?」

 多恵の視線が、俺の後ろに向いていた。

 俺はその視線を追った。

「あの信号からやし、結構、歩いて来たのぉ」

 彼女は何かを諦めたように「ほぉんと、帰りが面倒くさいかも」と言った。

 

 それから十五分ほど歩いて、ようやく店に着いた。

 俺にお目当ての商品はない。とりあえずは、と雑誌コーナーへ向かった。じつのところ俺は昨日もコンビニへ寄っていた。連休中のコンビニで、そうそう目新しい本に出会えないことは知っている。

 俺が中古車情報誌を立ち読みしていると、多恵が〈夏のアイテムをチェック〉先取りがどうしたこうしたとある雑誌を、突きつけてくる。


「キュウさぁ、いつもツナギじゃん。こういう雑誌とか見るときないの?」

「あるように見えるか?」

 多恵はゆっくりと首を横に振って、雑誌を元へ戻した。

 

 思えば、学生時代はほとんどジャージで過ごしていた。兄貴の給料だけでやっていたのだから仕方ない。そういう少年期を経て、自分が働くようになると、反動が出てしまう人もいるだろうが、俺はそうでもなかった。今でも服を買うといえば、ワークマンかユニクロだ。

 どうせ馬鹿にするだろうから、多恵には詳しく説明しないが、俺のツナギには、仕事用と就寝用と他所行き用がある。ポケットの配置や腿回りのワタリ幅、生地とファスナーの材質も、用途によって違うのだ。俺だって、オイルの染み込んだ社名入りのツナギのままで、布団に入ったりはしない。


「流行りを追っかけ回してたら大変やん。毎日、家と会社を往復するだけやのに、ツナギで充分やんか」

 デザインや着たときのシルエットよりも、機能性を重視する俺から言わせてもらうと、その服を着ると速く走れるとか、壁と同化して隠れやすくなるとか、でないと購買意欲は刺激されない。当然、ただの布切れを前にして、これは絶対に買いやんけ! なんて言うはずもない。

「そりゃそうだけどさ……」

 多恵は、俺にファッションの話をすることが、どれだけ無駄かを知っているので、それ以上しつこく攻めてこなかった。すぐに女性誌に取り替えて、ウーとかモーとか言い出した。

「ねぇ、今度私がこれぐらい短いスカートを履いてきたら、どう?」

 多恵は俺を試すように訊いた。……まだ続ける気だったのか。

 俺は、彼女が指差す雑誌のモデルさんを一瞥した。


 え~、その布の少なさで、その値段は有り得へんやろ。

 え~、顔のわりに、太ももはムチッとしとんのバレるで。

 え~、二十八歳でギリ、痛々しいわいや。

 え~、熱いものが飛んで来たら、ジュッてなってしまうやん。

 

 咄嗟に浮かんだ(え~)から始まる言葉を飲み込んで、俺は余計な重い空気を吸わなくて済むよう、頭をフル回転させた。

 思案中、多恵が俺の目の奥を探ってきた。俺は目を逸らせないままで仰け反っていく。シャープで黒目がちな彼女の目がカッと光り、心の内を丸裸にされたような感覚に陥った。そのとき、駐車場に入ってきた車のヘッドライトが、俺たちを照らした。

 

 店内に、来客を告げる音が鳴り響いて、一組のカップルが入店した。二人とも三十代半ばくらいだろうか。その二人は、入口付近で店内を見渡していた。俺たちと目が合って、ピョコっと首だけで挨拶をしてきた。

 それに釣られるように挨拶を返して、奇妙な一体感を味わった。


「キュウ、知ってる人?」

 多恵が体ごと向き直って訊いた。

 あっちの二人も、このあたりの雰囲気に飲まれた口だろう。人気のない暗がりを走り続けて、やっと灯りを見つけ、第一村人発見となって、知らないカップルについ会釈してしまった、といったところか。スカートの話が逸れて助かった、と俺は胸を撫で下ろした。

「いやいや、こんな知らん土地でまさか……。けど、何か釣られたなぁ」

 多恵も同じ印象を持ったのだろう。微笑んで、雑誌を棚へ戻した。

「お菓子でも買ぅて、もう帰ろかぁ」

「うん、選んでて。私、ちょっとトイレ」


 お菓子といえば、ぼんち揚げか、柿ピーの二択しか思い浮かばない。出された物は何でも口にするが、基本、菓子類を自分で買うことがない。高校を卒業して以来、このお菓子が食べたいと思ったことがなかった。そんな俺が、駄目出しを喰らわないようにするには、トイレから帰還する彼女を待つしかない。それでも選んでいる態は見せておこうか、と考えた。

 振り返ると、先ほどのカップルとまた目が合った。今度はお互いが目を逸らした。

 偶然か? 自意識過剰な反応をするわけじゃないが、ずっと見られていたような気がした。


「夜遅くまで、子供を外に連れ回す若い夫婦って、たまにいんじゃん。この間寄った居酒屋にも、一人いてさ。ラストオーダーの声がかかってたし、結構な時間なわけよ。その子、全然眠そうじゃないんよ。精神面で、将来に絶対悪い影響が出ると思うんだけどさ」

「そういうのじゃないみたいよ……」


 その後も、女性は何かを言っていたようだが、俺は適当にお菓子を選んで精算し、一人で店を出た。

 ランドローバーの大きな四駆車が、熱気を放って停まっている。

「そやけど、ホンマに暗いのぉ」と呟いて、車止めのブロックに腰を下ろした。

 周辺を見渡しても、光り輝いているのはこのコンビニだけ。この状況で、照明に集る虫が一匹も見当たらないのは、どういうことだ? 誰かが、虫は照明の出す僅かな紫外線に反応しているので、LED照明にすると寄って来なくなる、と言っていたのを思い出していた。

 そんなどうでもいいことを考えて、気を紛らわせていると、多恵が駆け寄ってきた。

「もぉ、何で外なのよ! ちょっと店内探したじゃん」


   ***


 コンビニを出た俺たちは、体が触れ合う距離でダラダラと蛇行して歩いた。

 店の照明に目が慣れたせいか、来たときよりもあたりは一層暗く感じる。それでも目的地までの距離がはっきりしている分、気が楽になっている。それは多恵も同じなのだと思う。歩きながら、雑誌で仕入れたばかりの芸能人情報を、雄弁に語って教えてくれていた。

 俺は先ほどの二人の話が気になっていた。――でもまぁ、多恵がこの調子なら大丈夫か。

 お菓子のCMの話題になったとき、多恵が喋りながら、俺の持つコンビニ袋を、スッと指を掛けてひったくった。


「缶コーヒーと、ぼんち揚げ? 何これ、マジで?」

 彼女はコンビニ袋の中身を覗いて、目を丸くした。

「俺に任せたら、そうなるやん」

 多恵も希望商品があったわけではないと思う。肩を落として、がっかりした素振りを見せているが、怒っているふうではなかった。自分を責めているのか、納得しようと努力しているのか、読めない沈黙が流れた。

『ウチはハタハタ饅頭が好き』


 もし、俺たちが会話中だったなら、その声は止まっていたに違いない。

 それは半信半疑というレベルを超えていたが、それほど怖さを感じなかったせいで、俺の歩みは止まらず、乱れてさえいなかった。多恵がこの程度のことを無視できるのは知っているので、今の声について話を膨らませるのも、気のせいにしてしまうのも、要は俺次第というわけだ。

「もぉ……」

 突き返されたビニール袋が、カサカサと鳴った。

 コンビニを出てから結構歩いてきたのに、さっきのカップルのエンジン始動音が聞こえた。

 俺の顔は引き攣っていたかもしれない。ここが街灯と街灯のちょうど中間辺りで、一番暗い地点だったことが、二人の雰囲気を壊さないでいた。

 車の音が近づいて、あたりが照らし出されていく。あの車が俺たちを避けて通れるくらいの道幅は充分にあったが、俺は多恵を路肩へ押しやった。


 俺たちを抜き去っていく車、その窓越しに、車内の二人と目が合ったような気がした。

 その車は俺たちをやり過ごして、十メートルと走らないうちに、何の合図もなく停車した。

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