作 富貴江
二人でアーケード街を練り歩いた。
多恵は、この場所でこうした、あの場所でああしたと過去を語った。俺に話し聞かせているうちに、自身が十年以上前へ戻ってしまった様子だ。
俺が、多恵のことを何でも知っておきたい、と思っていた時期は、遠に過ぎたと思っていたのに、また新たな興味が湧いてきた。その時間、その場所にいた人にしかウケないような話も、ずっと聞いていられた。
ところが、懐かしさが勝っていた、多恵のハイテンションタイムは短かった。ついでに嫌な思い出まで呼び起こしてしまったのか? と一瞬心配したが、ただ単に暑くてダレてきただけらしい。
九月になっても、まだまだ衰えそうもない熱気に当てられて、確かに色白の多恵が赤くなっている。それについては、大袈裟に対処しなくていい。俺たちがこの三年間で学んだことだ。
それでも、演技派の彼女が、死ぬ~とヨロヨロ歩き出せば、涼し気な場所を探さないわけにもいかなかった。無関心に流すと、後々俺が酷い目に遭うからだ。
大して観たい映画は上映していなかったが、俺たちは映画館で人工の涼を取ることにした。
***
キャラクター入りの扇子を片手に、映画館から出てきた。途端に引き返したくなるほど、大気は未だ熱を帯びていた。この温度差が余計にダメージを増大する。
「――あ、もしもし。おばあちゃん、もう少ししたら帰るけど、夕飯は用意しないで」
多恵が離れた所で余計な断りを入れていた。彼女の場合、二、三メートルは意味をなさない。
俺たちは映画の余韻を話しながら、公園へ向かった。だいぶ歩いたので、帰りはまた違う出入り口だ。
しばらく歩いて行くうちに、やはり知っていると思った。記憶にあるコンクリートの公衆トイレが、今も変わらずそこにあった。あのときは暗かったので、今とは雰囲気こそ違うものの、ここで耳を澄ますと、川の流れる音が聞こえてくる。
こんな所まで来ていたのか……。
「多恵の婆ちゃんも、昔からここを、よぅ通ってはったんかいな?」
「そりゃそうよ。近隣住民全員が通ってるわよ。私の話、ちゃんと聞いてた?」
夜遅く、ここのベンチに座っていることはあるのか、と訊きたかったのだが、言葉足らずだった。
俺は危険を察知して「真奈ちゃん、元気そうで良かったな」と、何の脈絡もなく話題を変えた。
「うん、ありがと……何かゴメン」伏し目がちに返事。
そんなに、しんみりとした感じになるとは予想していなかったので、また話を変える。
「あぁっと、守護霊の憑いてる生活って、どうなん?」
多恵が憐れむような目を向けてくるので、これも失敗だったかと思う。
「意識することってないし、まず、いないときとの比較ができないじゃん。キュウのほうが、憑いたり離れたりするんだから、違いがわかるんじゃないの?」
俺に対する気遣いが感じられない……。
「そらそうやな。全然わからへんけど」
「何て言ったらいいかなぁ? ――キュウは、ウイルス対策ソフトが入ってないパソコン、みたいな感じ」胸の前で手を打った。
「マジかいや。ほな、常に感染の恐怖に晒されとるやんけ」扇子のスピードを上げた。
「そうそう。新婚旅行で海外なんかへ行ったら、外国の霊とか輸入しちゃったりして」上目遣いに俺を見てくる。
例えもそんなに上手いとは思えないし、そうそう、じゃないだろ! なかなかヤバイ状態じゃないか、と余計に気分が凹んだ。
「何で、そこで無反応になるかなぁ」
多恵は俯いて拗ねたように、地面を蹴った。
「あん? 何が?」
今の状況では、俺のほうに拗ねる権利があるはずだ。
***
俺たちは家には上がらず、挨拶だけ済ませて帰るつもりでいた。
ところが富貴江さんが、渡したい物がある、と言うので、俺たちはしばらく玄関で待たされることになった。
おそらくアレだろう。それくらいは俺にでもわかる。
「もぉ、おばあちゃん」
なかなか戻って来ない富貴江さんに、痺れを切らした多恵が靴を脱いでのしのしと廊下を進んでいった。
「そんなの剥き出しでも、キュウは全然気にしないって」
家の奥から多恵の声が聞こえる。良く言えば、通る声だ。それを包むか、入れる袋を探すのに手間取っているようだった。
やがて戻ってきた多恵の手には、半紙で包んで麻紐を掛けた〈渡したい物〉があった。
遅れてパタパタと見送りにやって来た富貴江さんは、上り口に膝をついた。
俺はそれをチョイと上げ、富貴江さんに礼を言う。
「あのぉ、十年近ぅ前のことなんすけどね。あっ、唐突で済んまへんけど……。夜の公園で、俺と会ぅてないっすか? そのときに拾ぅた物があるんすけど、あれは、お婆ちゃんが俺に拾わせたっちゅうか、持って行かせたっちゅうか……」
段々と自信がなくなってきて、声は小さくなった。
随分と昔の、夜道でほんの数秒の出来事だ。人違いかもしれない。そして、もしあれが富貴江さんだったとしても「記憶にございません」と言われれば、話はそれまでになる。
多恵が、いったい何を言い出すの? と言いたげに、俺を見ていた。
ちょっとした間が空いて、富貴江さんは、ホホホと顎に手を添えた。
「ええ、良く覚えてますよ。お顔は暗くてよく見えませんでしたけど、今日会って、もしかしたら、あのときの子じゃないかってねぇ」
俺は、クイズ番組のラスト問題に正解して、逆転勝利したぐらいの気分になった。
「そういえば、一番先に走っていった子、あの子も珍しい方だったわね。――随分と強いモノが、ピタリと重なるように守護しているので、驚かされたものですよ。あの子……、山西さんとはあまり相性が良くないでしょう?」
先にトイレを飛び出していったのは……隆宏のほうだったか? 懐かしい名だ。あれはただの馬鹿だから、この際どうでもいい。
「それと、この……」この髪飾りはいったい何なのか、と訊きたかった。
「玄関先で長話も何ですから、後は多恵ちゃんに訊くといいかしらね。ホホホ、またいつでも遊びにいらしてね」
富貴江さんはチラリと多恵を見て、話を打ち切った。
表には出していないが、肩透かしを食らって、俺はがっかり。
多恵は完全に蚊帳の外に置かれて、口を尖らせている。
真奈ちゃんが階段の二段目に腰掛け、ニヤニヤとしながら手を振っていた。
助手席に乗り込んでからも、多恵は膨れたままだった。
そんな孫娘を気遣ってか、富貴江さんは車まで寄ってきた。そして、多恵に窓を開けさせて言った。
「多恵ちゃんが、大学の入学式へ着ていく服がないって、騒いでいたときがあったでしょう? あの頃に、私が多恵ちゃんにした公園の話。覚えているかしらね」
富貴江さんは俺を指差して、素早くその指を引っ込めた。
多恵に思い当たる節があったようで、口を手で覆って、富貴江さんに向かって細かく頷いていた。その表情は窺えなかったが、だいたいの想像はつく。
あのときの変わったガキを、自分の孫娘が彼氏だといって家に連れてきたのだから、態度には出さなくても、一番驚いているのは富貴江さんだ、と思うのだが……。そういう点を多恵は見習えよ。
低い位置で手を振る富貴江さんが、ルームミラーの中で小さくなっていった。
出発してからというもの、俺は多恵の視線をずっと感じている。
決して、左からのアングルに自信がないわけではないが、車に置きっ放しになっている、サングラスをかけた。
「おい、見すぎやろ。惚れ直しとんか?」
多恵は「べ~つ~に~」と言って、自前のサングラスをかけた。
何を考えているのかは、わからない。しかし、機嫌が悪いわけではなさそうだ。
厳しい西陽に晒される中、車は国道に出た所で渋滞に填まった。ここら辺の道路事情はさっぱりだが、明日の祭日が多分に影響していることは間違いない。
車内では、さて何から訊こうか、と考えていた。
しかし今は、真奈ちゃんがいかに駄目か、という話になっている。それには、妹を心配する姉の気持ちが見え隠れしているようで、ただの悪口のようで……。しかも、過去のエピソードから、ランキング形式で発表されていくので、俺はだいぶ待たなければならなかった。
次男坊である俺としては、真奈ちゃんのほうに共感する。兄弟と姉妹の違いはあるとしても、どこも同じようなものか。
あっ、多恵のこと、真奈ちゃんに訊くのを忘れた!
***
時刻が遅くなるにしたがって、道路の渋滞も解消されていった。
焼鳥屋で道草を食った後の走りは、快適そのものだった。
多恵のアパートに帰り着いたとき、俺が「今晩」と言うと、彼女が「泊まってく?」と返すので、俺は彼女の部屋に上がり込んだ。付き合いも三年目になると、お互いの部屋にお泊まりセットが常備されているので、お手軽なものだ。セットといっても、俺の場合はスウェットの上下と、歯ブラシだけだが。
夜も更けて、俺はシャワーを浴び終えた彼女の膝枕で、テレビのニュース番組を見ていた。
先ほどから、多恵が俺の顔にペチペチと塗り込んでいるのは、化粧水だか乳液だか……。肌がすぐに赤くなる人の使っている物が、俺の肌に合うとは思えない。そのことで「何しとんねん。男やし、そんなんいらんわい」と口では言うが、結構気持ちいいので、大人しく身を委ねている。
「ねぇキュウさぁ。お土産の中身、見ないの?」
「居間にあった、木工品の髪飾りみたいなやつ、やろ?」
「え……、何で?」
多恵は予想通りのリアクションを取った。太腿からも、驚き様が俺の後頭部に伝わってくる。彼女からその話題を振ったのだから、あれの意味を話す気になったのか、と期待した。……が、なかなか解説が始まらない。なぜ俺が言い当てることができたのか、を多恵は当て返そうとしていた。
「なあ、それのことやけど……」
「ちょっと待って!」
推理中に話しかけるな、まだ答えは言うな、とピシャリ。
「ほな、十秒な。カッチ、カッチ……」
多恵は卑怯にも、俺の口に指を突っ込んで、カウントダウンを阻止した。
さて、どんな感じで話そうか? 多恵は、俺がこの髪飾りを二つ持っている、と思っているだろう。いや、公園での話が伝わっているのなら、今日のこれで三つ目だと考えているか。フフ、ところがどっこい、じつは五つ持っている、と言おう。知らない人からすると、五個というのは、どこかへ行く度に買ってきて収集しているのだな、と思われてしまうような数だ。
母ちゃんからのと、元カノからのを未だに持っている……。元カノのはマズいか? マザコンというワードも嫌いだ。それとも大昔のことだから、どうでもいいか?
考えるのも、彼女の答えを待つのも、面倒くさくなってきたところで、俺は種明かしを元カノの件だけ少しアレンジして、多恵に話した。
「ええ! 私が渡したのも、まだ、そのまま持ってんの?」
彼女が素早く膝を引くので、俺は後頭部をカーペットに打ちつけた。
「おぅ。あの中でも多恵に貰ったのを、一番大切に持っとるで」
俺は頭を擦りながら、フッと唇を歪ませて得意気に言った。
彼女の顔色が予想と違う色になっていく。
「持ってちゃ駄目じゃん! お寺か神社で焚いてもらうんだって。……ええ! 私、ちゃんと言ったよね?」
多恵は今から、俺のアパートへ取りに行くとまで言い出した。
俺は、大切にしている、とは言ったものの、じつはどこにしまったのか覚えていない。収納スペースはクローゼットしかないので、探せばすぐに見つかるはずだ。シャワーも浴びて、まったりとしたこの状況から、行動を起こすのはいかがなものかと、彼女を宥めた。
「もぉ、キュウ、自分のことなのに!」
「そんな、一日延期したくらいで、何も変わらへんて」
多恵はため息を一つ吐いて、ようやく髪飾りについて話し始めた。
「ヒトガタって知ってる? 人の身代わりとして、船に乗せて流したりするんだけど……」
それは、人の身代わりとする他に、彷徨う霊魂を憑かせて安定させたり、寄り代を失って憑いたモノを、引き離したりするときにも使えるらしい。人形と呼ばれるだけに、従来は人の形を模した物が多い。ところが、現代においてそれを持ち歩くのは、だいぶ抵抗があると、渡した人にはかなり不評だったそうだ。
そこで、富貴恵婆ちゃんが考案したのが、この髪飾りバージョン。花を人の頭に見立てて、胴体から足の部分には、びっしりと経文が彫られている。これは、その文様が一度これに憑いた者を縛りつける、という機能もついた優れ物だった。
「小学四年生のときに? それ、本当に同じ物?」
「誰かの葬式へ行って、帰りに坊さんがくれたって、言うとったで」
多恵は何か引っ掛かることがあるようで、視線を落としたままだった。
俺も、事の重大さはおぼろげに理解した。それでも、まさかちょうど今晩で消費期限が切れる、なんてことはないだろう。
「そしたらこれは、霊のゴキブリホイホイみたいな物やな」強がって見せた。
「あーあー、言っちゃった……。私も経験済だけど、それを言葉を理解するモノに聞かれると、酷い目に遭うのよ」
俺は多恵に擦り寄って、周りを見渡した。




