公園通り抜け
そんな気持ちを早めに回復させてくれたのは、真奈ちゃんの質問攻めだった。
多恵の顔色を窺いながら、その返答に四苦八苦しているうちに、俺の中だけの霊騒動は収束していった。
そして、待望の寿司が届いたことで、質問攻めも一時休止となった。
多恵が取ってきてくれた出前の桶は、艶やかに光っていた。中には当たり前だが、寿司が整然と並べられている。四人分としては量が少ないように感じた。
俺の家で寿司といえば、兄貴と闘いながらになるので、高いネタ狙いの両手食いが基本だ。しかしこの家では醤油小皿と、箸を使う。貧乏な家の子と思われたくない。俺はテンポ良く頬張りたい気持ちを抑えた。
「さっきのが見えたって、やっぱ三人寄ると場が深まっちゃうよねぇ。彼氏さんも……」
「ちょっと真奈!」多恵が激しく遮った。
真奈ちゃんが寿司を喉に詰まらせて背筋がグイッと伸びた。胸を叩いて、お茶を求めた。
驚いたのは俺も同じで、後五回は噛む予定だった塊を飲み込んだ。横から、富貴江さんが苦笑しながら言った。
「まぁ、多恵ちゃん、話してないの?」
「説明しづらくて。今日、真奈が言うまで半信半疑だったっていうか……」
多恵がチラッと俺を見た。
三年もの間、秘密にされてきた話。そんな話が、この場で多恵の口から聞けるとは思えないが、俺はそっと手を挙げた。
「あのぉ、それは俺も知っといたほうがええことですか?」
多恵の胸につかえるものがあって、それがスッキリするのなら、聞いてやりたい。そのつかえるものが邪魔をして、多恵の胸が成長しないのなら、ぜひ取り除いておきたい。
多恵の箸は完全に止まった。富貴江さんは笑顔を崩さずに、多恵を窺っている。場の雰囲気に、俺も一旦箸を置いた。真奈ちゃんはキョロキョロと見回して、大きく息を吸った。
「怪我した分、しっかり食べなきゃ」
妊婦さんが言うような台詞を口にして、場を和ませた。
はぐらかされたのか? それが答えだと思った。
結局、俺はガリまで完食して、一息ついた。
「ケーキも食べてたくせに、よく食べるよね。キュウはいいけど、あんたは太るよ」
多恵が、俺と真奈ちゃんを交互に見て言った。
「まだ若いから、大丈夫、大丈夫」
膝立ちになった真奈ちゃんが、腰のクビレに手を当てて、勝ち誇るように言った。
「もぉ……」
多恵の声のトーンが明らかに落ちている。話を蒸し返すのもどうかと思ったが、我慢ができなくなった。
「なぁ、隠し事の一つや二つあってもええやん。言いたくなったらで、ええんやで」
多恵は俺を一瞥すると、項垂れてボソッと言った。「キュウのことよ」
真奈ちゃんは後ろに手をついて、脚を投げ出した。「彼氏さんのことだよ」
ホホホ、と笑った富貴江さんは、ひと呼吸置いて「山西さんの、珍しい体質のことですよ」と言った。
俺は訳がわからず、えっ? と顎を出した。
「山西さん。明日から何かが変わるというわけじゃないですから(そういうこともあるんだ)くらいで、今からする話を胸に留めといて下さいよ」
富貴江さんはそう前置きして、お茶を啜った。
***
玄関で靴紐を結んでいた。
昔から、歩くたびに踵がゴソゴソする感触が嫌いで、たとえ面倒くさくても、靴紐だけはいちいち結ぶ。今日に限って、蝶々結びの左右のバランスの悪い様が気になった。それで二度も結び直した。
家から出ると、すぐにモワッとした外気に襲われた。堪らずツナギの上半分を脱ぎ、袖を腰に回して結ぶ。今が一番暑い時間帯だろう。もう帰りたくなってきたな。
俺は幅の広い歩道まで出て、彼女を待った。尻のポケットに両手を突っ込み、木々の隙間から公園の様子を窺っていた。
「おばあちゃん、キュウと駅前ぶらついてくるね」
多恵が小さな手提げ鞄を片手に出てきた。もう片方の手で俺の肘を取り「お待たせ! 行こっ」と引っ張った。
商業区画のある駅方面へは、先に彼女が言っていた通り、この大きな公園の中を突っ切って行くのが近道のようだ。途中、公園の見取り図前で、彼女の案内を受けた。
上から見ると、この公園は丸い形をしているらしく、そのほぼ中央を河川が横切っている。出入口にいたっては、全部で十箇所もあるそうだ。どこから入っても、好きな所へ出られるように、すべての道路が中央付近で交差している。徒歩ならば、わざわざ道に沿って歩く必要もないらしい。
日曜日とあって、あちらこちらに家族連れが見えた。お金を使わないで過ごすには、最適な場所と言えるかもしれない。
「でっかい公園やな。出入口を間違ぅたら、余計遠回りになるやん」
俺は率直な感想を述べた。
「まぁね。ウチのマンションに来る人には、四番出入口を目指してって言うの。おばあちゃん家へは七番よ」
俺の声のトーンに、合わせようとしない彼女に苛立ちを感じた。
等間隔に立つ街灯の一つを目指して行くと、自販機のブースと、それを囲むように幾つかのベンチが設置されていた。
何を買うでもなしに、俺は自販機の前に立った。
「キュウ、何か飲む?」
彼女がバッグから、財布を出そうとしていた。
「あっいや、要らん、要らん」
周囲に何もなくて、上空に電線もないのに、どこから電源を取っているのか、と思っただけだ。
「あそこで、ちょっと休んでく?」
彼女がすぐ近くのベンチを指差して、俺の腕を引っ張った。
あぁ、と引かれるまま、俺はベンチに腰を下ろした。隣に大きな木があるので、日陰にはなっていたが、それでも座ったところは温かった。
先ほどから彼女が、やたらと俺を気遣っていることには気づいている。おそらく多恵は、俺が富貴江さんから話を聞いて、落ち込んでいると思っているのだろう。無気力になっているのは確かだし、そう見えているなら、俺はたぶん、落ち込んでいるのだろう。
富貴江さんの言うには――、数や強弱の違いはあるとしても、人には必ず守護霊が憑いているんだとか。その守護霊が、俺には一体も憑いていないらしい。ところが、守護霊席は空いているので、いろんなモノが絶えず憑いたり、離れたりしている……と、いうことだった。
「彼氏さんはねぇ(興味のある方、ちょっと憑いてみる?)って貼り紙を、背中に貼って歩いてるのと同じだよぉん」と、真奈ちゃんは言う。
よぉん、は軽いな……。
多恵が、真奈ちゃんの頭を小突いた。
「普通は、小ちゃな雑鬼レベルでも溜まってくると、体調崩したり、心的に影響を受けたりするもんなのよ。キュウは鈍感だから……」
「これこれ! 多恵ちゃん」と、彼女は富貴江さんに叱責された。
「今、憑いている猫は可愛いわね。最近、車にでも轢かれたのかしらね?」
富貴江さんがそう言うと、多恵と真奈ちゃんは、俺の左肩をまじまじと見つめた。
彼女たちが天然なのか、俺はからかわれているのか……。
泣きながら部屋を飛び出していく、というノリもあった。ギャグ漫画のように振舞うのが嫌で、俺はじっと耐えて、動かなかった――。
陽も高いうちから、多恵が俺の肩に頭を擡げてきた。
「見る力は、真奈のほうが私より全然強いんだけど。何せ馬鹿だから、ズケズケと言うのよ」
「あぁ、真奈ちゃんな」
どうしようもないくらい質の悪いのが憑いたら、俺はどうなってしまうのだろう?
「おばあちゃんは、キュウに謝っといてって言ってたよ」
「あぁ、おばあちゃんな」
俺に寄ってくるモノのせいで、周りの誰かが、不運に見舞われることもあるのだろうか?
「今まで知らなくても、それが普通だったでしょ? 知ったところで、何も変わんないよ」
「あぁ、変わらんやろな」
これからも、ずっと? 小学生のときの作文で書いたテーマ(長生き)は、期待できそうにないか……。俺は両膝に肘をついて、前のめりに崩れようとする体を支えた。
あのトイレの男の子、今回の事故の一件とは無関係なのだろう。孫娘の命が危険にさらされて、あの富貴江さんが、黙って放置しているとは思えない。
しかし、俺の両親の事故はどうだろうか? 俺に寄るモノと関係ないのだろうか? もし関係あるとしたら、もしも俺のせいだとしたら……。
(お父さんが、やっと迎えに来てくれはったねんわ。もうニ十分くらいで帰れるさかいな)
「えぇ! 母ちゃん、俺、めっちゃ腹ペコやねんけど」
(もうちょっと待っときぃさ。できるだけ急ぐさかい)
最後になった母ちゃんの声は、俺の頭の中でいつでも再生できた。
俺はこれからどんな思いで暮らしていけばいい?
気温に関係なく背中に寒気が走って、俺は奥歯を噛んだ。
しかし、その背中の寒気は、突然痛みに変わった。
「もぉ! 反省してんだけど! わかってんの!」
多恵は、俺の肩甲骨をグーで殴って立ち上がり、腰に手を当てて怒鳴った。
九月も半ばだというのに、どこかにいた蝉が一匹、ジジっと鳴いて逃げていった。少し離れた所で、一組の家族がこっちを窺っている。フリスビーを持った男の子は目を丸くして、立ち尽くしていた。
「おぅ、悪い悪い。そろそろ行こうか」
肉が付いていない箇所への打撃は、ズシンとくるので遠慮してくれないか。多恵の一喝で、尻にムチが入った。
何とか気を張り直して、俺たちは駅へと向かった。
その道中、俺の胸は理不尽な思いでいっぱいになった。
***
俺たちは芝生を踏み、公園の中を横断する河川に沿って歩いた。
中央に架かる橋を目前にして、俺は顔に強張りを感じた。
コンクリートの橋を渡った所から、道路が黒からエンジ色に変わっている。
「あそこから、道の色が違うんやな」
なるだけ平静を保って、多恵に訊いた。
「へえ、こんなの知らなかった。私がいた頃は、普通のアスファルトの黒だったよ。これから徐々に、全部塗り替えていくのかなぁ?」
五メートルほどの橋を渡りきる前に、俺は走り出していた。
大きな木の根元まで来て立ち止まる。この風景だ。似ている。コンクリートの塊と、木製のベンチは見当たらない。俺はその大きな木を回り込んで、地上に暴れ出た根の形を確認した。
鼻から大きく空気を吸って、息を整えにかかった。――馬鹿馬鹿しい。笑みが溢れた。
「何なの……馬鹿なの……もぉ! まだ怒ってんの?」
息せき切って追いついてきた多恵が、リズムを刻むように言った。
「ちょっと、気になることがあっただけや。――それにしても多恵なぁ、この距離でそれか? 運動不足も甚だしいっちゅうやつやな。そやし、年々体重が増えていくねんで」
ハンカチを小鼻に当てた多恵が、眉を潜めてバッグを武器にした。




