真奈
俺たちは、車好きなら誰もが痺れるような音を奏でて、高速道路へ上っていった。連休中、上を行く車は多かったが、順調といえるほどには流れていた。
「俺よ、多恵の実家に行くん初めてやん。あの、ほれ、手ぶらでええんかいな? 何か買ぅて行こか?」
「こんなときにいいって」多恵は手を振って「それと、今向かってんのって、おばあちゃんの家よ」と言った。
多恵の妹、真奈ちゃんは大学に合格すると、すぐに両親と暮らすマンションを出たそうだ。大学生や社会人となる節目に、一人暮らしに憧れて家を出るなんて話は珍しくない。しかし、実家からすぐ近くにあるという祖母の家から通いたい、に引っ掛かって、彼女に訳を尋ねた。
「あの実家のマンションね、凄いの」
多恵はケータイを耳に当てながら、さらりと答えた。
あぁそう……。何が凄いのかなんて、全然聞きたくない。
ちょうど多恵も説明している場合ではないようで、ケータイの画面を見つめて不安を口にした。
「もぉ、真奈のケータイ、電源落ちてるって。おばあちゃんちも誰も出ないし、やっぱり病院へ行ってんのかなぁ。――どうしよう。おばあちゃん、ケータイ持ってないから連絡つかないじゃん……」
両親に連絡は取れないのかと訊くと、彼女はハッとした表情で、また電話に挑んだ。
多恵がそんなことにも気づかないとは……。これは相当なことだ。運転手を買って出て良かった。
母親とはすぐに繋がったようだ。
多恵はしばらく難しい顔で相槌を打っていたが、やがて深いため息をついて項垂れた。
「ええ、そうなの? 何それぇ、もぉ!」
通話を切ると、ケータイをバッグに投げ入れた。怒り口調だったが、表情からは安堵が窺える。
真奈ちゃんは何箇所か打撲を負ったものの、骨に異常はなく頭も大丈夫。それで、もうタクシーに乗って、家に向かったということだった。
「後になって、痛い所とかが出てくるってことあるやん。検査入院とかせんでええのんか?」
「う~ん、もぉ、知らん。予定変更の変更で悪いけど、このまま、どっか行こうか」
多恵はそう言って、済まなそうな顔を向けた。
しかし俺は、折角だから一応は妹さんを見舞っていこう、と進言した。
俺は真奈ちゃんを、多恵の部屋にあったアルバムの中でしか見たことがない。その写真の中の彼女はまだ中学生だった。その後、妙な薬に手を出したとか、急に太り出したとかのアクシデントさえなければ、なかなかの別嬪さんになっているはずで、現在は女子大生(六年も通っているが)という最強の肩書きまで持っている。妹の目から見た姉はどうなのか、と尋ねてみたかった。
幸いにもだいぶ事情が変わったので、やはり手土産くらいは必要かと思い、彼女に何が適当かと訊いた。
……が、彼女は口を尖らせたまま、反応しない。何をそんなに悩む必要があるのか。
「もしかして、姉妹仲が悪いとか?」
「そういうのじゃないんだけどさ」
多恵は何とも煮え切らない物言いで返してくる。
「おばあちゃんと私と真奈で、三人も……」と言いかけたときに、彼女のケータイがカバンの中で、籠った着信音を鳴らした。取り出して、画面を確認する。
「あ、おばあちゃんから。真奈のことはわかったし、もういいのに」
多恵は邪魔くさそうに通話ボタンを押した。
「え、真奈? もぉ! ちょっとアンタ、何してんのよ! おばあちゃん、連絡とれないしさぁ。……うん、……うん。私ら、もう近くまで来ちゃったじゃん。あっ……うん、一緒に……。そんなん、おばあちゃんに言わなくていいって! あ、ちょっと!」
無事に帰宅した真奈ちゃんが母親から連絡を受けて、家の電話からかけてきたようだ。警察やら保険屋に事情を聴かれたり、ケータイが壊れたのでショップに寄っていたり――、で帰りが今になったと。
電話の内容は多恵に尋ねるまでもなく、漏れ聞こえていた。
どうやら俺は大歓迎らしい……。姉妹揃って声が大きいとわかったのは、事前情報の収穫の一つと喜んでいいのか。
俺たちは、彼女が学生時分からよく利用していたという、パン屋に寄って訪問準備を整えた。
姉妹による彼氏チェック眼は、かなり厳しいものだと聞いたことがある。付き合っている当人同士からすると、それは大きなお世話でしかないが、少しでも良く思われたいという気持ちは、俺にだってある。
整然と区画整理された住宅街を、案内されるままに走って行くと、パッと開けた場所に出た。右も左も家、家、家がずらっと建ち並ぶ景色が一変して、目の前が木とフェンスだけになった。
「このT字路を左。ここら辺ねぇ、公園を中心に家が扇状に広がってて、どこの角を曲がっても、筋さえ合ってれば家に着くんだけどね。――あぁそれで、公園沿いに走って、五筋目の角の家ね」
「このフェンスの向こうが公園なんか?」
「うん。車は通れないんだけど。公園の中を突っ切って行くと、駅とか商店街が近いの」
このフェンスの長さが、公園の大きさを表していた。
区画整理された住宅街に公園は付き物で、そう珍しいことではない。ただ、ここまでの大きさを確保する意味がわからない。脇見運転は事故に直結するが、俺は右手の公園が気になって仕方がなかった。後でゆっくり散歩でもすればいいか……。
***
「え~、ここ?」
思わず声に出して再確認してしまった。
多恵の祖母の家は、同じような家ばかりが建ち並ぶ住宅密集地の角地にあって、奥行のある長い家だと感じた以外は、あまりにも普通の二階建てだった。それ相応の雰囲気を出して、周囲から孤立していてほしかったわけではないが、いささか拍子抜けだった。
多恵は、そんな俺の感情を察知したのか、小さく咳払いをして「何よ!」と言った。その後には、何か文句でもあんの! と続くに違いない。「ここに車を?」と、俺は、ここ、を何とかはぐらかす。
多恵を先に降ろして、車を路肩に停めていると、玄関の扉が勢いよく開いた。中から、妹の真奈ちゃんが顔を覗かせた。
「お姉ちゃぁん、お久しぃ!」
その高めで可愛らしい声に、俺はスパッと目をやった。
あぁ……折角の美人がもったいない。足や腕に巻かれた包帯の痛々しさを憂うよりも、アゲアゲ盛り盛りのギャルメイクで登場した真奈ちゃんに、長く会っていない智美義姉さんの姿が重なった。
「アンタ、またそんな格好をして! 今年中に就職決める気あんの?」
「え~、会ってすぐ説教とか、超ウザイんですけどぉ」
これは俺の苦手なジャンルの人だ。口角を上げて微笑んだままの表情で固まった。
真奈ちゃんと目が合って、ハッとする。
「えっと、はじめましてやね。山西です。怪我のほうはどうもないんでっか?」
「キャー! 関西ベンキチ最高! はじめましてぇ、でツナギとか超ウケピーの彼氏も、遠慮なく上がってよー」
今朝は慌ただしくて……、慌てていなくても俺は普段からツナギ姿だが、他所行きツナギではなく、就寝用ツナギで来てしまったことを悔いた。関西ベンキチって何だ? 超ウケピー、か……。ウケたのなら、まぁいいか。
「もぉ真奈! ――キュウ、とにかく上がって」
多恵は項垂れる俺の背中をポンと叩いて言った。
俺は右手に下げているロールケーキの箱を、左手に持ち替えて、多恵の後を追った。
長い廊下をずっと進んで奥の部屋へ通された。
途中、左手にある階段を、真奈ちゃんが苦労して上がっていた。パンツが丸見えだったが、多恵がグニュッと俺の顔を押すので、しっかりとは見られなかった。
家の人が誰も入って来ないという部屋があれば、俺はもう少し楽な気持ちでいられたのだが、おばあちゃんちには、しょっちゅう来てたのよ、と言う多恵も、住んでいたわけではないので、この家に彼女の自室はない。
多恵が飲み物を取ってくる、と言って出ていったので、俺は大きな座布団の上でポツンと独り。ケータイで時刻を確認したり、腕立て伏せをしてみたり……。居心地の悪さを感じていた。俺がシンプルな暮らしに慣れすぎているせいなのか、掛け軸やら置物が飾られているこの部屋には、はじめましての緊張とは別の、圧迫するような雰囲気が漂っていた。
俺は所在なく立ち上がって、和室とマッチした棚に置かれている品々を見て回った。
人形は元々好きではないし、額に入れられた書は何て書かれているのか読めない。二つ並ぶお面はどちらも無表情で気味が悪かった。そんな中で、細工が施された小さな髪飾りのような物に、興味を惹かれた。手に取って眺めると、模様に見えた刻みは、全てが小さな文字の集まりだった。
俺はコレに不思議と縁がある。
――母ちゃんが生前にくれた物、高校の卒業式の日に元カノがくれた物、公園で拾った物、付き合い当初に多恵がくれた物――で、計四つも持っている。正確には、それぞれ大きさも飾り花の種類も違うので、全く同じ物ではない。この髪飾りも、北海道の特産品で〈鮭を銜えた熊〉のように、どこか地方の土産みたいなもので、そう珍しい物ではないのかもしれない。
「おばあちゃぁん、早く早くぅ。お姉ちゃんが変わったのを連れてきたぁ!」
階段の上のほうから、真奈ちゃんの声がする。
「ちょっと真奈! もぉ、変な言い方しないでよ。聞かれたら拗ねちゃうでしょ!」
この姉妹は本当に声が大きい。
俺は自分を特に変わった奴だとは思っていなかったので、少しショックだった。しかし、多恵が言うように、不機嫌になったり、拗ねたりはしないつもりだ。
彼女には過去三人の男性がいる。それは本人から聞いていた。その歴代の元カレと俺とでは、まるでタイプが違うといったところだろうか。
しばらくすると、玄関のほうから足音がしたので、俺は元の位置に座り直した。
ところがその足音は、この部屋の前を通過してしまった。この部屋が家の一番端だと思っていたので、俺は確かめるために、障子戸を開けて顔を出した。足音が行った先には扉が一つあって、まだ先があったのかと納得した。
頭を引っ込めようとすると、今度はパタパタと鳴るので、玄関のほうを向いた。お盆を持って戻ってくる多恵だった。
「何やってんのさ? 落ち着きないよねキュウ」
「なぁ、あの扉の向こうて、何なん?」
「あそこ? トイレよ。デーンと広くて使いやすいけど、あそこだけ家から張り出していて、冬は寒いの。――それで、おばあちゃんだけど、お祈りの時間だって。もうちょっと待っててね」
ふぅん、と気のない返事をした俺は「ケーキは俺の分も、食ってええで」と付け加えた。
わざわざ付け加えなくても、多恵は俺の分から先に手を着けていた。
そして、多恵が自分の分に手を着けたとき、グッパタ、グッパタ、と拍子抜けする足音が聞こえてきた。顔を出したのは真奈ちゃんだった。片足首を包帯で固めているせいで、アンバランスな足音になっていた。
――ということは、さっきトイレへ入っていったのは、誰だ?
俺は紅茶を静かに飲んだ。
だって、ここは多恵の婆ちゃんの家だもの。それくらいは想定内だろう? 無理やり納得して、足音のことは黙っていた。
続いて、真奈ちゃんが開け放った障子に、古風な着物に身を包んだ女性が映った。
多恵の祖母は俺を見るなり「あらあら……」と言って、口に手を当てた。
う~ん、凄く楽だし、気に入っているのだけど、やっぱりツナギ姿っておかしいのか?
白いビラビラの紙が付いた棒を片手に、頭にハチマキを巻いてロウソクを差している老婆像。それが俺の想像していた多恵の祖母だ。ところが目の前の女性は、お婆さんには違いないが、姿勢が良くて動作がお茶目だった。
俺は、多恵と婆ちゃんを見比べて、フッと笑みを浮かべた。キツネ目の細さ加減が同じだと思った。
キョロキョロする俺を、婆ちゃんと真奈ちゃんが笑った。
「山西といいます。なかなかこっちに来ることがなくて、挨拶が遅れました。多恵さんとは三年ほどになります」
「いえいえ、ご丁寧にどうも。祖母の富貴恵です。多恵ちゃんが男の方をここに連れてくるのは、山西さんが初めてですよ」
へぇ、単純にそれは意外と思って、多恵を一瞥する。
彼女は平然として、紅茶を口に運んだ。
ごくごく普通で当たり障りのない挨拶だ。この感じでは〈受け入れの舞〉的な踊りを、見せられることもなさそうだ。
***
「五十メートルは飛ばされたんだよー」
「はは、そんなん、普通に他界するわいや」
かなり創作の入った真奈ちゃんの事故話に、俺がツッコんでいると、富貴恵婆ちゃんが立ち上がった。
「紅茶よりコーヒーのほうが、良かったかしらね」
後ろを通る際に、ちょっと御免なさいね、と俺の背中にスッと手を当てた。それは多恵がたまにする仕草と同じだった。
しばらく、そのことを思い出している間に、真奈ちゃんの事故話は、彼氏への愚痴に変わっていた。
「約束した時間に、いつも、ちょうど十五分遅れて来るって、何なの? おかしくない? そもそも今日は見舞いに来れないって、どゆこと?」
真奈ちゃんが頬杖をついたまま、生クリームまみれのキウイを、フォークでクスクスと突いている。
「それくらい待てるけど、十五分ってのが微妙よねぇ。何なの?」と、多恵が俺を見た。ハッとしたような小芝居を打って「来るだけマシか」と言った。顔には(皮肉)と書かれていた。
「そういう男も、たまにおるらしいなぁ。何やろな?」
俺は目を逸らして、曖昧に逃げた。
察した真奈ちゃんがニヤリ。その眼光が、世の男性代表として俺を責め立てようとしていた。
カチャッと、トイレの扉が開いたのは、そんなときだった。
トトッと部屋を横切っていくのは、まだ幼い男の子。そしてその男の子、すぐにダダダッと戻って来て、バタンッとトイレへ帰っていった。
「今、出前を取りましたから……ね」
お盆を手に戻ってきた富貴江さんが、トイレを見ていた。
こちらに向き直った富貴江さんは、持ってきたお盆をテーブルに置いて「お寿司で良かったかしらね」と訊いた。
そして口元に手を添えて、ホホホと笑った。
多恵と真奈ちゃんは、アハハと笑い、三人の視線を浴びた俺は、震える膝を手で押さえつけて、エヘヘと笑った。
「おばあちゃん。そんなんいいって。真奈に説教しに来ただけだから」
姉に反発して、真奈ちゃんの抗議が続く。
「久しぶりに帰って来たんだから、お寿司くらい、ねぇ?」
富貴江さんは俺に助けを求めた。
立場上、俺は誰の味方になるのが一番いいのか? 嫁姑問題における夫の行動に似ている?
いやいや、そこまで深く考えてはいない。単純に無料の寿司が目の前にぶら下がっていて、朝食を食えなかった俺は腹が減っている。それがいつもの回転するやつじゃないとすれば、断る理由なんて見つからない。
「多恵の生まれ育った土地の寿司ってのも、食べてみたいやん」
スベったときにだけ、味わえる空気を吸った……。
すぐに取り繕ってくれる富貴江さんに次いで、トイレのほうから『キャッキャッ』と、笑い声がした。
しばらく考えて、俺は「あの、あれは……」放っておいていいモノなのか、とトイレを指差した。
彼女たちは揃って驚いた。
――俺にバレていないとでも思っていたのか?
彼女たちは顔を見合わせて、頷いた。
「昨夜にね、頼まれて一人祓ったの。それが憑いて来ちゃったのよ」
富貴江さんが笑顔を崩さないまま端的に言って、また三人は揃って笑った。
「この部屋にある置物の一つ一つに力があるから、あの程度ならこっちに来れないよ」
真奈ちゃんの言葉に、二人がそうそうと頷いた。
へぇ、それなら安心やね。……なんて、俺が言うわけないやんけ!
多恵たちは、この状況に慣れすぎている。何とかなるなら、しない手はない。何もできない俺とは違うはずだ。素人考えだが、これと真奈ちゃんの事故は関係ないのだろうか?
しかし、誰の責任? となるので、俺は思いを喉元で止めた。
暑すぎる
ノートのキーボードが手汗でビチャビチャ




