藤堂 多恵
門倉先輩と細井さんは、あの居酒屋の一件から、わずかニか月後に結婚した。
細井さんは品川商事をすぐに寿退社されたので、俺が彼女と再会したのは、二人の結婚式当日だった。
そのときの彼女は、ややポッチャリ、といっていいぐらいにまで痩せていた。これが愛のパワーか、と驚かされたものだが、じつは記念写真のためだけに頑張ったらしい。現在はリバウンドに成功して、また元に戻っている。
門倉先輩は元々太めが好きなので、それについては何も言わない。それどころか、彼女と同調するかのように肥えてきている。嫁のメシは旨い、と口癖のように言っているので、そこに要因の一つがあると思われる。腹が出てくれば、整備の仕事にも支障をきたすので、心配だが。
まぁ何にせよ、仲睦まじい夫婦なので羨ましい限りだ。
俺はというと……、あの後、藤堂さんをデートに誘って、その何度目かの別れ際に、告白した。
「もう、とっくに付き合ってんだと思ってたわよ」という返事を貰ったのは、三年も前のことだ。
それから俺たちは急速に関係を深めていった。休みの日の前夜ともなれば、どちらかのアパートで一緒に過ごし、そのまま泊まっていくというルールみたいなものもできた。
そうなると、お互いに深い部分まで晒すようになっていく。俺発信といえば、両親の交通事故の話なんかが、そうだ。しかし、これはもう俺の内で克服できているので、ただ思い出を語ったようなものだ。
ところが、多恵のほうは現在進行形で、俺が聞いてもどうにもできない類の話だった。
多恵は、俗にいう霊感の持ち主だった。
いろんな暗いエピソードを聞いたが、その中の一つに中学時代の話がある。
(理由も聞かされないで、一方的に振られた)と落ち込んでいる友達を、仲間内で慰め合っているとき、多恵が「腰に巻きついてる黒いのが取れたら、もう一度やり直そうって言ってみたら?」と発言して、その場にいた友人を、ドン引きさせたことがあったらしい。
その後、しばらく孤立したとか……。
それからも、興味本位に近づいてくる友人たちが、しばらくすると潮が引くように去っていく、という経験を重ねてきたそうだ。
見えるモノに反応して、すぐ声に出してしまう小学生の頃や、見えるモノを目で追ってしまっていた中学生の頃は、自分がコントロールできていなかった――。そう言って、多恵は頬をピンク色に染めた。
何が恥ずかしいのやら、さっぱりだ……。色白の彼女が頬を染めると、可愛いなと思っただけだ。
「資料が残っていなくて口伝えだけど、私のおばあちゃんも、その前の前の……。とにかく、直系女性に遺伝するのよ」
多恵がそう言ったときに、霊的なことに関して〈普通の人〉である俺は「あぁハイハイ、そのパターンな」と言って、グーで殴られたこともあった。それが、昨年の秋頃だったか。
高校生の頃は、彼女なりにいろいろ対策を練ったという話とか。そういうところ、嫁いできた母親は全く理解してくれないとか。十代の頃は、それでよく妹と二人で祖母に泣きついたとか。
俺は、聞きたくなかったと思う反面、明かしてくれて嬉しいとも思っている。多恵が一番嫌がる〈見える人〉と一括りに称して、希少カテゴリーに入れる、なんてことは絶対にしないつもりだ。
そんな多恵は俺と会っている最中にも、その能力のせいで気持ちが沈んでしまうことがある。
回復すると、すぐに状況解説をしてくれるのだが、まず生命体の残留思念というもの在りき、で説明してくるので、予備知識のない俺が簡単に納得できる話ではなかった。
それでも二年ほど経った頃には、とりあえずはそういうモノがあって、人の行動や思考に多少なりとも影響を及ぼしていると。関係ない、知らないでもいい、ただ、興味本位でヒトの側から、関わろうとしてはいけない――と、学んだ。
彼女の目に俺の成長ぶりは、どう映っているのだろうか?
俺の反応はわかり易かったはずだが……、何をどう読み間違えているのか、いつしか多恵はそれ関係の話を、俺にしなくなった。だから、彼女のほうからその手の話が出たときは、余程のことだと理解している。言われるがままに行動したほうが無難だと思っている。
その他の、お化けの時間以外は口うるさい……、いや、大変活発な女性だった。
そういうタイプの女性を避けて生きてきた俺に、多恵をコントロールするスキルなんて備わっていない。だいたい月一のペースで怒らせては、俺から謝るという流れができつつあった。
三年経った今もこうして繋がっていられるのは、俺が我慢強く、謝り上手であるからに違いない。
そんな女性に惚れてしまったのだから、仕方ない。
***
九月のとある日曜日――
まだまだ残暑厳しい折、エンジンの不調を訴える車が立て続けに舞い込んできた。毎年、夏のエンジン調整、特に普段の点検を怠っているエンジンには、うんざりとさせられている。
今年は雨も少なくて本当に暑かった。脱水との闘いに粘り勝ち、冷房の効いた休憩所で一旦腰を下ろすと、しばらく立ち上がれなくなるほどだ。
そんな言い訳をしながら、俺は多恵のアパートへ車を飛ばしていた。
彼女と約束していたデートの日は確実に今日だったが、迎えに行くと言った時間をだいぶオーバーしている。最近、帰宅時間の遅い俺を気遣ってか、目覚まし時計がいつもより小さな音で鳴ったようで、起きられなかったのだ。
土、日、祭日が定休日の多恵と、水曜日と祭日、隔週希望日が休みの俺とでは、お泊り遠出デートの段取りが難しい。二人にとって、祭日が絡む日曜日は実に有難い日だった。折角、希望休暇を使って連休にしたのに、これでは台無しだ。だから今日の寝坊は重罪だ。
それを警告するように、多恵が激怒している夢を見た。内容はよく憶えていない。スマン! と叫んだときは、まだ夢の中にいたか……。ネコ科の動物が獲物を狙うようなポーズ、いや、おそらく土下座の姿勢で目が覚めた。
足元で充電しているケータイは、着信アリを知らせるランプを凄い速さで点滅させている。
俺は折り返し電話しようとして、指を止めた。面と向かって言い訳したほうが、上手く言えそうな気がしたからだ。
信号が青に変わったのに、ワンテンポ遅れてスタートした前の車に舌打ちをした。
焦っているときの典型的なパターンだと、自分を分析する余裕がない。シフトノブに掛かる指がトントンと苛立ちを表す。雑なクラッチ操作でタイヤが鳴いた。
車は渋い低音を響かせ、多恵のアパートの裏手の駐車場に到着した。この聞き慣れた排気音で、俺の到着は伝わったはずだ。
エンジンを切り、車内からそっと多恵の部屋を見てみると、チョロっと開いたカーテンが、シャッと閉まった。
……これは一大事になるかもしれない。
俺は覚悟を決めて、表に回った。
多恵、スマン! 部屋に入れてくれ。――違うな。
ホンマに悪い、いつものように寝坊したわ。――ふざけているな。
外で待ち合わせやなくて良かった。さすが多恵、こうなんのを読んでたんやな。――殴られるな。
お前のほうが迎えに来いよ。――逆ギレは修復不可能に陥る危険性が高いな。
言い訳を練りながら歩いていくと、俺がたどり着くより早く部屋のドアが開いて、中から多恵が飛び出してきた。
「もぉ! 何で電話取らないのよ!」
「おぅ、ちゃうねん、それがやなぁ」
弁解開始の俺を、多恵が遮った。
「ゴメン、今さっき、おばあちゃんから電話があって……」
大学に六年も通っている多恵の妹が、今朝方、交通事故に遭って救急車で運ばれたらしく、デートを中止して、家に駆けつけたいということだった。そして、準備はできているので、このまま車を飛ばして家に向かう、と言う。
「ほな、ナビしてくれ。多恵の実家まで俺が車を出すわいや。靴履き替えて、横に乗れや」
多恵はデートバージョンの服装に身を包んで、手にはバッグと車のキーが握られていた。しかし、足元はベタにサンダル履きだった。
俺は仕事柄、交通事故の現場に立ち会うことが多い。ご子息が交通事故を起こした、と警察からの一報で、病院に駆けつけようとした親御さん自身も事故に遭う、というケースを何度か耳にしたことがあった。もちろん、当事者の性格や家族関係等の、いろんな要素が絡み合うので行動結果は様々だが。こんな感じのときの彼女は、何かやらかしてしまうような気がした。
「え? あ、ゴメン。いいの? ちょっと待ってて……って、え? キュウ来んのぉ? え~」
多恵は考えが纏まらない様子。何度か立ち止まって「えーえー」と言いながら、部屋へ戻っていった。
冷房が効く? 利く?




