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連れる旅の事象  作者: ゆぞぅ
第三章  卒業旅行の終わり
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17/35

旅の終焉

「とりあえずは水分やろ。それから、病院か」

 面倒くさいことになったが、弱っている奴を追い討つ趣味はない。

「ほな俺、めっちゃ嫌やけどクソヒゲの様子を見てくるし、キュウは病院を探しといて」

 友春は上着とミネラルウォーター、それと隆宏の靴を手にして車を降りていった。


 隆宏を気にしつつ、俺は地図とケータイを照らし合わせた。現在地が今いち不明だが、この大きな道路に出られればと、だいたいの目星を付けて友春に声をかけた。

 友春の肩を借りて戻ってきた隆宏は、まさに病人だった。モミアゲから連なる顎ヒゲが、萎びたちりめんジャコのようになっている。ここにたどり着いて、たった五時間後にこんな状態になるものなのか……。ふと、一人で暮らすことに対する不安が沸き起こった。

 病院へ向かう途中にも、隆宏の症状はどんどん悪化していくようだった。つまらない冗談も言わない。チョッカイをかけてくることもない。苦しそうな呼吸だけが聞こえてくる。

 ただ、幸いなことに、病院は案外近場にあって迷わずに到着できた。大きな市民病院だ。ここならば何とかしてくれるだろう。総合受付へは、隆宏の両手足を持って担ぎ込んだものだから、急患としてすぐに診てもらえた。俺たちの騒ぎ様には、長く待たされている他の患者たちも納得してくれたような気がする。

 だいたいの病状説明は俺から伝えた。伝えたといっても、朝起きたらこうなっていたとしか言いようがなかったが……。自覚症状について尋ねられたとき、隆宏が「頭がポワンポワン」なんて、へらへらと笑って言うものだから、血液検査を受けることになった。危ない薬の使用を疑われたのではないか、と思う。


 隆宏は俺の肩を借りて簡易ベッドへ移った。俺は、その部屋の隅にあった丸椅子に腰掛けて、ホウッとひと息ついた。隆宏が血を抜かれる様を、ここからボーッと見ていた。採血が終わると、また別の看護士が来て、点滴の準備を始める。その淀みない所作に感心していると、俺の目に隆宏の姿がブレ出して二重に映った。

 以前にもこんなことがあった……。が、そのときとは状況が違う。目を擦った。何より看護士が淡々と作業をこなしていることが、俺だけの錯覚だと証明している。驚きよりも、どうして? と思う気持ちのほうが強かった。


「一時間ほどかかりますよ」

 看護士に話しかけられて、我に返った。

「一時間ですか……。特に用事もないんで、その辺をブラブラしてます」

 立ち上がるときに、ポケットに入れていた髪飾りが、太ももにつかえた。取り出して眺める。これのことはすっかり忘れていた。

 俺は隆宏の傍らに寄った。見ると、隣も、その向こうの人も点滴を受けている。ここはそういう部屋のようだ。

「お~い、大丈夫けぇ? 旅行中に具合が悪ぅなるって、なかなか最悪な奴やのぉ」

 隆宏からの反論はなし。俺は手にしていた髪飾りで、隆宏の額をペチッと打って、部屋を出た。


「おぅ、こっちや。どうやった?」

 総合受付前に戻って来ると、待合ソファに座っていた友春が手を挙げた。玄関前に横付けしていた車を、駐車場に移動してきたそうだ。

 俺は医者とのやりとりをそのまま伝えた。

「過労? 過労って、労が過ぎるんやろ? あいつ、何か労したけ?」

「知らんわ。とりあえずは点滴で様子見やて。一時間くらいかかるってよ。それでどうなるんか知らんけど」

 俺たちだけならどうしようもないが、病院で診てもらえれば、後は何の心配もいらないという思いから、軽口が出る。

「あ~あ、これからどうするぅ? 俺らだけで、原宿探索ってわけにはいかんわな」

 友春が言いにくそうにしているので、俺から「ここらが、終点かいな」と言った。

「やっぱり、そうなるわいね」友春はきっぱりと諦めたように、大きく息をついて立ち上がった。「あいつのケータイで、妹に連絡入れてくるわ。保険証のこととかも言わなアカンしな」


 市民病院を出た後、車は俺の新居に向かった。

 軽快に流れる中央道のお蔭で、戻りは早かった。明確な目的地と、そこまでの最短ルートをしっかりと決めて走ると、何とスムーズに事が運ぶのだろうか。それは旅における一つの当たり前事項だが、今初めて実感していた。


「次のサービスエリアで、昼飯にするか」

 隆宏には悪いが、運転手の俺は腹が空いている。昨夜の九時から、何も食べていないのだから腹が減るのも当然。

「隆宏ぉ。食えるけ? 何か買ぅてきたろか?」

 気を遣う友春に、後ろのベッドでくたばっている隆宏が、手を挙げてピラピラと振った。相変わらず辛そうだ。ただ、処方された薬か注射が効いているようで、遠出に厄介な下痢の症状は治まっていた。


 昼食を摂った後、友春は家族への土産を買った。ずっと先になるはずの帰り道で買う予定だったらしいが、急遽早まったのだから仕方ない。他に無駄なことはせず、すぐに出発。車内は重苦しい雰囲気のまま。しかし、車だけは快調そのものだった。


    ***


 この道は通った記憶がある。コンビニはどこも同じように見えるが、すぐ隣のビジネスホテルが個性的な名前だったので覚えている。間違いない。前方に見える高架を越えて少し行けば、街並みはがらりと変わり丘陵地になるはず。そして周りには田畑が目立つようになって、やがて学校が見えてくる。……ということは、また来すぎているということだ。

 俺は新住所を覚えてなくて、自分のアパートに帰れないでいた。

 学校の場所は知っている。学校から常盤不動産へも地図があるし、もう見なくても行ける。あのアパートだけがないというわけだ。


「あんなポストがある角から、出てきたような気がするぞ」

「ホンマかいな? ほな、あそこの道から、入ってみようけぇ」

「アカン! 一方通行や」

 後ろのベッドから、死にかけがクソ生意気にツッコんだ。

「お前ら……アホやん……酔うぅ」


 隆宏は今も怠そうにしていて、呼吸も浅く早い。しかし頭痛だけはマシになってきたらしく、ボソボソと喋るようになっていた。それで俺と友春も何となく気が楽になって、冗談も言えるような雰囲気が戻ってきた。

 ――アパート探しのほうは、結局、恥を忍んで、もう一度不動産屋へ寄った。


「保証人様の書類がまだ届いていないので、急ぐ必要はないんだけど、こちらにも記入漏れがあったので、大家さんの所へ行こうと思ってたのよ。今から一緒に行きましょうか?」


 先日、案内してくれたナイスバディの女性が、また美しすぎる笑顔で対応をしてくれた。しかしその笑顔は、そんなことだから寮も辞退になるんじゃね? と言っているように見えた。それは俺の後ろめたい気持ちが、そう感じさせるだけであって、もちろん彼女はそんな嫌味を口にしない。それでも俺は、また乗って行く? 今度は助手席でもいいわよ、との誘いを断った。


「キュウを送ってからが、長いねんなぁ」

 アパートに向かう途中の車内で、友春がしみじみと言った。

「まぁそうやのぉ」

 確かにそう。道中のことはもちろん、隆宏を送った後も、家の人に病院のことなどで、いろいろと言われるかもしれない。友春に後の面倒なことを、全部押しつけるようで申し訳ない。


 アパートに到着すると、友春は俺の部屋へ上がっていかなかった。すぐにでも出発すると言う。

「そうか……。まぁすぐにGWやし、地元に帰ったら連絡するわいや。またブラブラしようや」

 おう、と友春は答えたが、帰った瞬間から社会人になると決まっている友春と、学生の俺が上手く都合を合わせられるかは疑問だった。

 隆宏には「お前ぇ、しっかりせえよ。ほなGWに、またな」と、声をかけた。

 クソヒロは目を瞑ったまま手を振って、プピーッと屁で返事をした。その毒ガスが大気中に漏れ出さないように、俺は素早くスライドドアを閉じた。

 友春がクラクションを一度鳴らして去って行く。

 俺はしばらく世話になった後ろ姿を、角を曲がって見えなくなるまで追った。


    ***


 玄関の扉を開けると、大家さんがモップ掛けをしていた。簡単な挨拶を交わしただけで、俺は二階の部屋に上がっていった。

 今日から一人だ、という思いを胸に部屋の扉を開けて、改めて、狭っ! と声を上げた。

 部屋に入ると、財布とケータイと髪飾りを、ポンと段ボール箱の上に放り出して、床に突っ伏した。隣への挨拶やら何やらは明日にしようか、それとも最初が肝心かと、それなりに悩んだ。考えれば考えるほど、何もかもが面倒くさくなってくる。俺は仰向けに寝返りを打った。

 あーれー、カーテンと布団がない……。しばらくは、アイマスクと段ボールで我慢するか。


 今日から一人……。先ほど思った言葉を反芻して、勢いよく立ち上がった。放っておけば、そのうち誰かがやってくれるという生活は終わった。俺自身が動かなければ、明日も、明後日も、このままなのだ。俺は萎える心に鞭打って部屋を出た。衣食住が安定しないと仕事に身が入らない、と言っていた兄貴のことが脳裏を掠めた。

 俺はそのままの勢いを殺すことなく、バス停へ向かい、ちょうど追い抜いて行ったバスに飛び乗った。

 ところが、その勢いがすっかり冷めてしまうほどに、最寄りのローカル駅は遠かった。最終的には駅に到着するのだろうが、寄り道が多い。そこは真っ直ぐ行けよ……と、一番前の席に陣取って運賃表と運転手をを睨んだ。

 駅で降車すると、フッと肩をなで下ろして辺りを見渡した。知らない街だ。当然それはそうだが、知らなさすぎる。最寄りの駅へは一度だけ行った記憶があるが、まるで景色が違う。この駅は最寄りではない! 

 俺は駅のベンチに座って逡巡した。

――折角なので、すぐ横から始まるアーケード街を、端から端までざっと歩くとするか。


 大家さんも含めて五人分のタオルセットを選び、店を立ち並ぶ順番通りに回った。布団と小さな棚を配達してくれるように手配。あと、自転車ぐらいは買わないと、暮らしていけないかも……。

 買い物客で賑わう夕方の商店街。この中に俺のことを知る人は一人もいない。そう思うと孤独感が胸に押し寄せた。


    ***


 帰宅して、すぐに大家さんの部屋へ行った。

 大家さんは挨拶の品を抱える俺を見て、ここの住民全員をダイニングキッチンに集めると言い出した。

 それから十分としないうちに、ワイワイと自己紹介が始まる。アパートというよりは寮みたいだ。俺は質問攻めを受けながら、暖かみのある空気で呼吸した。

 共同の設備が多いことで、長々と続くルールや注意事項の先に、予期していなかった歓迎会が待っていた。大家さんがこの会費を全て持つ、と告げた。そのときのリアクションで、ここの住民はみな飢えていると知った。一番年下の俺が雑用係になりそうな不安を残しつつ、家族のような感じになるのも悪くはないものだ、と思った。

 ささやかな宴が終わり、みんなで一斉に後片付けが始まる。片付けといっても、出前を取っていたので容器をさっと洗って、玄関先に並べておくくらいだ。

 さらにいろいろと話を聞いていると、みんなはこの共同ダイニングキッチンで寛いでいると言う。部屋は狭いがここは広い……。二部屋あるようなものだ、と嬉しくなってきた。だいぶ気持ちに余裕が出てきて、自室に戻る足取りは軽快そのものだった。


 カーテンのない窓から、月明かりが差し込んでいた。電灯も点けず部屋で一人、静かなものだ。俺は張った腹を摩りながら、片腕を枕にして寝転がっていた。荷物のダンボールをひっくり返すのは、雑貨入れの棚が届いてからの作業だし……。まだ二十二時にもなってないが、今夜はもうすることがない。俺は手持ち無沙汰に弄んでいたケータイで、友春を呼んだ。


「よぉ。そろそろ着いた頃やろ?」

(高速降りてから、帰宅ラッシュに填まってよぉ。兵庫には入っとるけど、もう一時間以内ってとこや)

「そうか、お疲れやのぉ。――どうでもええけど、隆宏は? まだ生きとるんけ」

(おぅ、それがよ! ホンマ、こいつ腹立つわ。ちょっと、ヒゲに替わるわな)

(よぉ、キュウ! 一人暮らし初夜はどうやねん?)

 予想外に元気のいいガラガラ声が、俺のケータイを汚した。

 隆宏はあれから三時間ほどで完全復活し、助手席で何かの遅れを取り戻すかのように、地方特産品をバクバクと食べていたそうだ。

「お前、何やねんそれ……。いろいろと腹立つわぁ!」


    ***


――兄のタケシは、俺がテレビを観て寛いでいるときに限って、よくプロレス技を仕掛けてくる。

 もちろん俺も黙ってはいない。しかし、兄貴を跳ね除けることは叶わない。中三と小四とでは、圧倒的な体格差があったからだ。

 断腸の思いでギブアップ宣言……と、そのときに玄関の戸が開く音を聞いた。俺は心の中で、助かった、と呟いた。

「ただいまぁ。遅くなってゴメンな。アンタら、晩ご飯はどないしたん?」

 玄関で母ちゃんが草履を箱にしまっていた。

「もう適当に食ったわ。オトンは一緒やなかったんかいな」

 俺の首に食い込んでいた兄貴の腕が解かれた。

「お父さん、今晩は向こうに泊まるって。それよりお兄ちゃん、ヒサシのご飯も作ってあげた?」

 喪服の帯を椅子に放り投げ、母ちゃんが急須にお湯を注いだ。

「ラーメンとチャーハン食った。母ちゃん、お土産は?」

 俺は首を手刀で叩いて、母ちゃんの手荷物を漁りにかかった。

「何言うてんのヒサシ。お母さんら、旅行に行ってたんとちゃうねんで。お葬式やて言うたやんか……」

 母ちゃんはお茶を冷ますのに、ため息を吹きかけた。

 何だつまらない、と俺はソファーの背を飛び越えて座り直した。

「あ、そうそう。お上人さんがな、ヒサシにって、コレをくれはったんやわ。何や知らんけど、アンタ、持っときぃさ」

 母ちゃんはバッグから、木製の髪飾りを取り出して、俺に手渡した。

「何や、こんなん女の持ち物やんか。食えるもんがええわ」と言うと、兄貴が「ほな、俺が貰ぅとくわいや」と言った。

 全く興味のないお土産だったが、どんな物であれ兄貴に取られるのだけは腹が立つ。

「誰も要らんて、言うてへんやんけ」

 それを兄貴から隠すようにポケットへしまい込むと、兄貴は笑いながら俺の脚を取って、また変な技を繰り出してきた。

「ちょっとお兄ちゃん。あんまり、ヒサシをイジメんときや」

 母ちゃんの忠告効果は薄かった。しばらく根性だけで粘ったみたが、今度は、なかなか放してくれない。俺は苦痛に耐えかねて、兄貴に――


 ……と、危ない所で目が覚めた。

 俺は涙目を擦りながら、布団代わりの衣服を払いのけた。母ちゃんが登場するとは、全く以って懐かしい夢を見たものだ。これが噂に聞くホームシックというやつか? 早速すぎるだろう、と情けなくなった。

 時刻は、まだ朝の六時にもなっていない。点滅する着信ランプに気づいて、ケータイを引き寄せて見ると、二件のメールが届いていた。

 一件は友春からの到着の報告だった。もう一件は隆宏からで、心配かけてスマン。お詫びに使って――、とエロ画像が添付されていた。

 返信を打ちながら、頭を掻いてしばし考える。二度寝する気にはなれなかった。

 俺はジャージに着替えて、新しい住処周辺を散策しよう思いついた。徒歩での行動範囲なんてたかが知れているが、いい運動にはなるはずだ。

 ところが、お出掛け準備が整ったところで、雨粒が落ちてきた。途端に出かける気が失せて、俺はその場でヘタリ込んだ。

 熟考の末、同じ屋根の下の先輩方に、どこかへ連れて行ってもらう作戦を考えた。図々しいか? いや、我ながら名案だ。そうと決まっても、時刻がさすがに早すぎる。仕方ないので、昨夜、先輩から借りたクルマ雑誌を、片肘をついてパラパラと捲った。

 ふと、衣装ケースの上に置いた木彫りの髪飾りが視界に入った。今朝の夢のこともある。俺はのっそりと起き上がった。

 口をへの字に結んで、雑貨のダンボールを静かにバラシにかかった。

 箱の中を覗きこんで、舌打ち。家から持ってきた二つの髪飾りは、やはりダンボール箱の中に存在した。

 俺はそれらを手に取って「えぇ何で? 三つになってしもたやん……」と呟いた。


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