編入生紹介 〜Noir〜
朝の学院は、気怠さと活気の入り交じった中途半端な空気が流れる。この時間は特別騒ぎになったり、話で盛り上がったりはしない。学期始めは報告し合う事が多い分賑やかになりがちなものだけれど、お昼や授業終了後の解放された賑やかしさには敵わない。
けれど、今日ばかりは事情が違う。今まで連絡が取れなかった私達兄妹の復帰に加え、10年近くなかった編入生、それも移民の2人を、私達の家が後見しているのだから。
今日は担任のレオニード先生がノワールとフウにかかりきりなので、教室で私語をしていても咎める人がいない。私とお兄様は教室に駆け込むなり友人達の質問攻めに遭い、なし崩しにこれまでの事情を全て話す事となった。
家が高位の貴族である友人達はともかく、平民の子達は吸血鬼の集落が滅んだ事すら知らない。私達の話は十分すぎる程衝撃的なニュースとして受け入れられた。
「……ミアとヴィルを助けてもらったお礼に後見して学院へ通わせる、かあ。ミアのお父さん、なかなか思い切った事するね」
興味津々にそう言うのは、学院で共に過ごす間に仲が良くなった友人、エマ・キース。真っ直ぐな深緑の長い髪を手で払った彼女は、鮮やかな真紅の瞳で私の目を覗き込んだ。
「それにしても、ミアといいヴィルといい、その人達に随分肩入れしてるね。そんなに素敵なの?」
エマが言っているのは、先程私がクラスメイトでありノワールと言い合いになったヘイグ——ヘイルバーグ=ネイ=オーギュストが改めて口にしたノワールへの不信に言い返した事と、実力を疑う、つまりお父様の口利き故に受かっただけなのではという声にお兄様が反論した事だろう。普段は余り言い返さない私と穏やかな気性を崩さないお兄様が揃って言い返した事は、エマを始めとしたクラスメイトには驚く事だったようだ。
「ええ、とても強くて頼りになる2人です。フウはとても可愛くて良い子ですし、ノワールは……」
そこで言葉を詰まらせてしまったのは、やはり良くなかったのだろう。心配そうな顔、好奇心を露わにした顔、不審げな顔が私を見つめる。
「え、どうしたの。何か性格に問題ある感じ? そのノワールって人」
皆の疑問を代表するように、エマが尋ねてきた。その問いかけにはゆっくりと首を振る。
「いえ、そうではないのですが……どうも、適切な言葉を思い付かなくて」
ノワールやフウと共に暮らすようになって、1週間以上が過ぎて。フウとは、仲良くなる事が出来た。フウはとても人懐こくて、いつも無邪気な笑顔で話しかけてくれる。使用人達にも良く話しかけていて、既に娘のように可愛がられている。
……けれど、ノワールは違う。
拒絶する訳でも攻撃的な訳でもないけれど、常に線を引くような態度の彼。距離を埋められないのは、けれどその態度だけのせいではない。
素っ気ない口調で突き放したかと思えば、丁寧に私達の質問に答えてくれる。常識的な対応をした次の瞬間には、何でもない顔をしてとんでもない事をやってのける。矛盾して見えるその態度も説明を聞けば彼なりに筋が通っているように思えてしまうのだから、尚更手に負えない。
冷たいようで私に気を遣ってくれる彼は、優しいと言うには何かが違って。どんな言葉を使っても彼を表現するにはしっくりこなくて、戸惑ってしまう。
「……とても頭が良くて、優秀な、人です」
結局、彼の能力に関する事だけを告げる。それさえも何だかぴったりな表現では無い気がして、落ち着かない。
——私は、彼の事を全く理解出来ていない。そう、思い知らされたような気がして。
「ふうーん? そう」
それに答えるエマの声は、妙に嬉しそうだ。怪訝に思って顔を上げると、友人達の顔はどこか……どこか、悪戯めいていながらも、ぎらぎらとした笑みを揃って浮かべているように見えた。
「あの、どうかしたのですか……?」
驚いて尋ねてみると、エマがびしりと指を突きつけてくる。
「割と人を見る目のあるミアにも掴めない男。しかもミアはそれを気にしてると来た。……惚れでもしたんじゃない?」
「な!?」
ストレートな質問に絶句する私を見て、他の子達もここぞとばかりに攻め込んできた。
「あら、もしかして図星なのかしら?」
「確かに、助けられて、優秀で、しかもミステリアスな男なんて、これで惚れなければ嘘かもしれないわね!」
「ちょっと本の影響受けすぎじゃないかしら? その発想」
「あらあら、そう言いながらもその展開を期待しているくせに」
「助けた側だってこんな美少女放っておかないわよね!」
「すれ違った誰もが振り返る美貌、優秀な成績、高い身分。全てを兼ね揃えた憧れの高嶺の花を、颯爽と現れた訳あり少年が掻っ攫っていったなんて、男子にはきつい事実ね〜」
口々に言いたい事を言う皆の勢いに圧倒された。何も言えないまま硬直する私に、皆が身を乗り出す。
「で、どうなのよミア。彼の事、好きなんでしょう?」
「ええと、あの……」
どうしよう。私の頭の中はそればかりだった。彼女達に何と返すべきか、どうにも思い付かない。
確かに、私はノワールに助けられたのだけれど。彼女達の言うような、そんな素敵な……単純な話ではない。私達の関係も夢のあるものではなく、とても複雑で。
彼に惚れてしまったのかもしれないと、そうピエールに言ったけれど。未だにそれが正しい表現なのか、確信していない。彼に抱くこの感情を恋と呼んで良いのか、分からなかった。
——私達が想像する恋愛の対象になるには、彼は全く違う次元にいる気がして。
「そういうものでは、ないと思うのですが……」
「へーえ? ま、いいや。見れば分かる話だし?」
ミアが隠せるとは思わない、とエマが悪戯っぽく笑ったその時、教室のドアががらりと開いた。レオニード先生が楽しげな表情を浮かべて入ってくる。先生はいつでも楽しそうだけれど、今日は格別だった。
「おーい、お前ら座れー。何を騒いでたかは聞くまでもないが、さっさ座らんと編入生の紹介も出来んぞ」
悪戯っぽいその言葉に、友人達はさっと席に戻った。まるで非常時のような素早さに、レオニード先生は肩を震わせる。
「普段からそれだけ素早く動いてくれればなあ? ……まあ良い。さて既に知っての通り、今日から編入生が2人、このクラスに入る。移民として過ごしていた分、この学院の事は一切知らない。そのつもりで接してやれ」
そう告げるとレオニード先生は開けたままのドアへと歩み寄り、廊下で待っているだろう2人と一言二言話すと、身体を横にずらした。
まず目に飛び込んだのは、鮮やかな赤い髪と、ふわりと広がる茶色の制服。弾むような足取りで教室に入ってきたフウは、傍目から見てもうきうきしているのがはっきりと分かった。輝く藍色の目を大きく開いて、教室をきょろきょろと見回している。
そのどこか子供っぽい仕草にクラスの空気が柔らかくなったのは、一瞬。
続いて目に飛び込む強烈な黒色に、教室の空気はしん、と静まりかえる。
裾の長い黒の制服を翻し落ち着いた足取りで入ってきたノワールは、クラスの子達の様子など露程も気にかけず、黙ってこちらに顔を向けた。視線が動いたのは、一瞬。その後は、正面を見るとも無しに眺めている。
しん、と静まりかえった友人達は、言葉もなく。余りにも対照的な2人を、食い入るように見つめていた。
「紹介するぞー。ダンスーズ・フージュとスブラン・ノワール。移民で編入生だけど、かなり優秀だからな。お前ら気ー抜くと置いて行かれるぞ」
のんびりとしたレオニード先生の紹介に、教室の空気が少し緩む。その一瞬の揺らぎに飛び込むように、フウの明るい声が響いた。
「ダンスーズ・フージュです、フウって呼んでね。よろしくお願いします!」
元気の良い挨拶に思わず表情を綻ばせた時、ノワールがフウに続いて口を開く。
「ノワールだ。分からない事が多く色々と尋ねると思うが、よろしく」
殊勝な言葉を紡ぎ軽く頭を下げるノワールに、クラスの空気が今度こそ緩んだ。皆近くの席の子とこっそり感想を言い合っているのが見える。その表情のほとんどが好奇心であるのを見て取って、小さく息を吐きだした。
自己紹介で名乗らない事からも、彼は本当にスブランという名が嫌いなのだろう。支配者と名乗る趣味は無いと言ったその表情は本当に嫌そうだったし、その理由も分からなくはないけれど、やはり私はユハナと同じように、ぴったりな名前だと思ってしまう。
ほんの僅かな時間でしかない、編入生の紹介。人目を引く美少女であり、最初に入ってきたフウに見惚れ続けた子はいなかった。誰もがノワールの放つ異質な空気に呑まれ、目を離せなかったのだ。
ただ入ってきただけで人の注目を集め、黒という未知の色に対する恐怖を二言三言の挨拶で払拭し。フウの天真爛漫な振る舞いさえも自分の印象の緩和に利用してみせた彼は、あの短い時間、確かにこの教室の空気を支配していた。
「おーい、静かにしろお前ら。どうせこの後嫌って程質問攻めにするんだろうが、今2つ3つ受け付けるぞ」
レオニード先生の呼びかけにクラスは喧噪を鎮め、さっと手を上げた。誰よりも早く手を上げたエマが、先生に指名されて立ち上がる。
「エマ・キースです。えっと、噂通り髪も目も真っ黒だけどさ。ヘイグに聞いたんだけど、本当にそれ、闇属性だからなの?」
誰もが聞きづらく思っていた質問をさらりとしてのけたエマに賞賛の眼差しが集まる中、ノワールはあっさりと頷いた。
「ああ」
「じゃあ、闇魔法とか使えるんだ?」
恐怖など一切無い、興味津々のエマが重ねて尋ねる。その質問に何人かの友人の顔が強張る中、ノワールが答えた。
「使える。ただ他属性の魔法が使えるから、学院内で使う事はないと思うが」
初めて聞いたその意思に、驚いてノワールを見る。視線に気付いたのか、ノワールは私にちらりと視線を投げ掛けたけれど、直ぐに外されてしまった。
「何で? 魔法は練習しないと上手くならないよね」
「……1人で練習場を使える機会があれば、練習する。だが、人に向ける事はない」
エマにとっては尤もな、けれどノワールにとっては少し返しづらいだろう問いかけには、返答に少し間が空いた。そして発された答えに、顔を強張らせていた生徒が不信を浮かべる。
「うーん、ミアも普段は光属性の魔法を使わないけど、似たような感じって判断して良いのかな?」
「おそらくは」
けれどエマは、その答えで満足したらしい。頷くノワールに簡潔にお礼を言って、フウに向き直る。
「えっと、フウで良いんだっけ? 魔法は何が得意なの?」
話しかけられたフウは、嬉しそうに質問に答えた。
「うーん、身体強化の魔法かな。ノワも上手だけど、私の方が得意!」
そう言って誇らしげに胸を張るフウに、ノワールは軽く肩をすくめる。
「身体強化! え、フウって近距離戦闘タイプなの?」
「えっと、そうだと思うよ?」
驚いて聞き返すエマに曖昧に頷いて、フウはノワールを見上げた。ノワールも頷いて、エマを向く。
「寧ろ近距離しか出来ない、いや、させられないといった方が正しいな」
「それはまた何で?」
ノワールはフウをちらりと見て、溜息混じりに答えた。
「フウの魔法制御ははっきり言って悲惨だ。威力は確かだが周囲への二次被害がでかすぎる。放っておくと仲間ごと吹っ飛ばしかねないからな、こいつは」
「あっ、ノワ酷い! 私そこまでしないよ!」
「どうだか」
フウが怒った様子で言い返すのを、ノワールが一言で流す。そんな2人の様子に、エマが悪戯っぽく笑った。
「仲良いね、おふたりさん。付き合い長いの?」
そう言ってちらりと私を見るものだから、2人が入って来る前のやりとりはなかった事にされていないと分かる。困惑してエマを見返していると、フウの声が耳に入った。
「えっと、結構長いよ。どれくらいだった?」
「さあ。日付を気にした生活を送っていないからな」
フウの問いかけにそれだけを答えたノワールは、エマに目を向ける。
「拾われた先でフウに懐かれ、俺が集団から独立する時にもついてきた。それ以来ずっと行動を共にしている」
問われるだろうと想像が付いていたからか、ノワールが用意していた事情を説明した。それを聞いたエマが、軽く首を傾げて聞く。
「じゃあ、ノワールがフウの補助なのかな? 遠距離?」
「俺はどちらもこなすが、大抵はフウのサポートに回っている事が多い」
その答えに強い違和感を覚えてフウを見るけれど、フウは不満げにノワールを見上げるばかりで気付かなかった。
「それ、私が危なっかしいから目が離せないって言ってるみたいなんだけどー……」
「事実だろう」
切り捨てるようなノワールの物言いに、エマはまた笑う。
「取り敢えずおふたりさんが良いコンビなのはよく分かったかも。ひとまず訊きたいのはこれくらいかな、ありがとう」
「というよりもエマ、貴方1人で訊き過ぎよ。私達が質問する事、全部訊いてしまったじゃない」
苦笑気味の友人の声に、エマは悪びれる様子もなく笑って謝った。
「ごめんごめん、気になるからつい。先生じゃないけど、どうせ後で訊くから良いじゃん」
「ずるい、と言わんばかりの男子を完全に無視して質問を続けていたくせに」
批判するような内容なのに、その声にエマを責める色は薄い。平民であるエマは、けれど身分差など一切気にせず自由に振る舞って、それでいて不思議と身分の壁を越えて親しまれている。
そんなエマが率先して質問を投げ掛けたのは、正解だったかもしれない。悪意ある質問が無かったからか、ノワールの返答も割合親切なものだった。お陰で、クラスの皆がノワールを見る目も幾分か和らいでいる。
自分の事のように胸を撫で下ろす中、このままではいつまでも終わらないと判断したらしいレオニード先生が手を叩いた。
「よし、じゃあ取り敢えずこれまで。後は休み時間にでも好きなだけ質問攻めにしとけ。ただし、ほどほどにな。嫌われても知らねーぞ」
冗談めかした言葉に、クラスが笑いに湧く。和やかな雰囲気の中、先生がノワール達に話しかける。
「じゃあ、ノワールはヴィルヘルムの隣、フージュはミアの隣な。聞きやすい奴が近い方が良いだろ」
逆の方が楽なのではないかと密かに思ったけれど、普通は先生が正しい。お兄様が少し緊張した様子だけれど、2人は全く気にならなかったようだ。
「はーい!」
「分かりました」
フウは元気よく、ノワールは短く頷いて、2人はそれぞれ示された席へと足を向けた。好奇の目に晒されながら席に着く。
「んじゃ、1限目は魔法理論だな。質問は授業後にしろよー」
私達にそう告げて、レオニード先生は教室を離れた。途端、ノワールやフウの近くに座っていた友人達が身を乗り出して話しかける。
少しすればエイノ先生が入ってくるのに。苦笑しながら、私は随分と久しぶりに感じる授業の準備を始めた。




